2005年08月24日(水) |
三村一族と備中兵乱29 |
「お福殿、そなた達親子を賓客として迎えようと思よんじゃ。この城は自分のうちだと思うて気儘に振る舞われりゃよろしいが」 「これはまた、勿体ないお言葉ですなぁ、有り難くうけたまわります」 とお福が深々と頭を下げるとまたして、芳香が流れた。 「それで、お福殿この直家が力になれることがあれば力を貸しますらぁ。なんなりと遠慮のう申されりゃぁよろしいが」 と慈父が愛娘に言うような口調で言った。 「お言葉に甘えまして」 「よしよし、はっきり言うてみられぇ」 「桃寿丸のこと、行く末が案じられるんです」 「そのことよ、間もなく兵を出し、高田城から毛利の軍勢を追い散らし、桃寿丸殿を城主として送り込んであげますらぁ。勿論この直家が後見致しますらぁ」 「有り難う存じます。そのお言葉を聞いて、心が晴れました」 と婉然と微笑む笑顔がまことに魅力的である。すっかり心を奪われた直家が、 「そのほかには」 と言うと 「亡き夫の仇を討ちたいと思います。一日も早く、憎き三村家親の首を討って夫の墓前に供えとうございます」 と美しい顔が憂いを帯びてくる。 「憎い金田源左衛門ともども、三村家親もこの直家が討ち取って貞勝殿の無念を晴らしてあげますらぁ。それにしても家親は手強い相手故、暫く時間を下され。何か良い思案はないものかのう」 「そこまでは・・・」 とお福が言いかけると目で制して激しく手を鳴らした。 「お福殿がお休みになられるんじゃが。誰か案内を」 お福と桃寿丸とは沼城で過ごすこととなったが桃寿丸は幼く可愛いかった。お福は未亡人とはいえ若く美しかった。嫡男に恵まれなかった直家は桃寿丸をわが子のように可愛がった。自分の子のように慈しむことがお福への愛情を深めさせた。沼城が明るくなって、家臣達はいつしか 「お福殿が殿の後添えになられるのでは」 と噂しあうようになっていた。
永禄九年(1566)二月初旬の寒い朝、物見から帰った江川小四郎が直家の館にお福を訪ねてきた。 「お方さま、三村家親がまた美作に兵を入れました。久米郡弓削荘の仏調山興禅寺に本陣を置いて、家親はここを宿舎にしています」 と江川小四郎が言った。 「三浦の遺臣だけで家親を討つつもりか」 とお福が聞いた。 「もとよりその覚悟です。しかしながら、中々用心深く、近寄ることができません。我等人数も少なく宇喜多の殿のお力を借りることができないかお方さまに相談に参った次第です」 「わたしからお頼みしてみましょう」 お福は直家の部屋へ桃寿丸と小四郎を伴って伺候した。 「これは、お福殿と桃寿丸殿、それに小四郎殿もお揃いで何か急な御用かな。家親が美作で動きだしたことと関係がありそうじゃな」 と直家は親子の用向きに察しをつけながら言った。 「御意。興禅寺は雪が深く、家親は暫く滞在する気配ですらぁ。警戒も薄いようなので奇襲をかけるには絶好の機会かと考え、御加勢をお願いに参上致しました」 と小四郎が言えば、 「亡き夫の無念を晴らすためにお力添えを桃寿丸ともどもお願い申し上げます」 とお福が愁訴の眼差しで直家をみあげてから、深々と頭を下げた。 「お殿様、お願い致します」 と桃寿丸も母に習って頭を下げた。 いずれは家親と一戦交え、雌雄を決せねばなるまいと考えていたし、お福に想いを懸けるようになっていた直家としては、潤んだ瞳で懇願されると無下には断ることができなかった。 「よし。判った。一臂の力を貸しましょうぞ」 この言葉を聞いてお福の顔に喜色が迸った。桃寿丸の手をとって何度も頭を下げた。 「ありがとう存じます。流石、備前にその人ありと噂の宇喜多様でございますわ。何と頼り甲斐のあるお殿様ですこと」 とすかさず煽てた。古今を問わず、女からのこの種のお世辞は男をして、有頂天にさせ、実のあるところを示さねばならぬという気持ちにさせるものである。相手に好意を抱いていればその効果は倍加する。 お福は天性として男を虜にしてしまう話術と仕種を身につけていたのであろう。後年、豊臣秀吉が備中高松城攻略を前にして岡山城へ滞在したとき、お福の虜になったことからも、その天稟は窺える。
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