前潟都窪の日記

2005年08月26日(金) 三村一族と備中兵乱31

 三村家親が本陣を構えている下籾の興禅寺へ向かって、更に弓削から誕生寺川を下り上神目まで辿りついた時、三村家親の配下の兵が数人ずつ隊列を組んで巡回警備している姿を目撃した。いよいよ敵陣近く潜入してきたのである。
「兄者、これはぼっけぇ警備じゃのう。迂闊には近寄れんようじゃなあ」
と喜三郎が囁くと
「なあに、日が暮れれば目につきにくくなるわな。それまで動かずに隠れていよう」
と又次郎が囁きかえした。
 二人は灌木の中に姿を隠し、お互いの顔を見つめあった。これからやろうとしていることの難しさを改めて反芻したのである。このあたりは、猟場を求めてよく往来した所なので地理は頭の中に入っている。敵の監視の目をかいくぐって、じわじわと興禅寺近くまで辿りつくことができた。時刻はたそがれどきであり、身を隠すには都合のよい時刻と言えた。兄弟は寺横の竹藪の中に潜み巡回してくる警護の隊列をやり過ごしておいてから、土塀の破れより境内を窺ってみた。意外にも境内の警備は手薄のようである。定期的に二人一組で五組の足軽が交代で一定の間隔を置いて境内を巡回しているのが判った。
「これなら、暗くなるのを待って忍びこめば家親の陣屋へ潜りこめるかもしれんぞ」
「月の光も乏しいから夜になれば、勝機が掴めるかもしれんのう」
「そうじゃ、足軽の扮装をして警備陣に紛れこもう」
「うまい考えだ。こそこそやるより、敵の中へ飛び込むほうが却って怪しまれないで済むかもしれない。かけてみよう」
「逃げ道もよく調べておこう」
「夜は敵も警戒していることだから、十分気をつけるんだぞ」
 用意を整えた遠藤兄弟は月光のない二月五日、夜空のしたを、夜回りの足軽に扮装して土塀の破れから興禅寺境内へ忍びこんだ。
 草むらに身を隠して正面を見ると黒々と本堂が建っている。最初に来た警邏の足軽をやり過ごしておいてから、素早く本堂の床下に潜りこんだ。次に来た巡回の足軽を再びやり過ごしてから喜三郎を見張りとして床下に残し又次郎が本堂の濡れ縁へ上がった。縁側と座敷を隔てた格子戸に近づいて内部を窺うと軍議の最中らしい。又次郎には軍議の内容までは聞き取れなかった。
「お館様が興禅寺へ陣を張っておられるだけで、恐れをなして傘下に入りたいと誼を通じてくる国人衆もぎょうさんおります。大した御威光ですなあ」
と植木秀長が言った。
「金光宗高の岡山城、中島元行の中島城、須須木豊前守の船山城もわれらの手に落ちた今となっては、美作を平定してしまえば、都へ一歩近づいたようなものじゃ」
と三村家親が言うと 
「松田も先が見えたし、備前のことは宇喜多氏を叩ければ手に入ったも同然ですらぁ。浦上氏も宇喜多直家がいなければ、赤子も同然というものじゃろう。浦上宗景も最近宇喜多に手こずっていると諜者が報告してきておりますぞ」
と石川久智が浦上家の内紛を披露した。
「興禅寺で冬籠もりというのも無粋なものだが、兵を休養させるのも大切なことだ。たまには近くの温泉にでも漬かって英気を養っておくんじゃなあ。雪解けになったら一気に備前へ攻め入ろう」
と三村家親が言った。
「早く雪解けにならないものかのう。腕がなるわ」
と荘 元祐がいうと
「そうじゃ。わしゃ、じっとしておれん性分でな」
と植木秀長も髭をなぜながら言った。
「夜も更けたし、寒さも厳しくなった。寒さ凌ぎに一杯飲んでくれ」
と家親が言って瓠を回すと親成が杯で濁り酒を受け、おし頂いてから旨そうに口に含んで言った。
「暗いと酒が不味くなるので、明かりを大きくしましょう」
と燭台に菜種油を注ぎ、灯心をかきたてた。
 部屋の中が急にパッと明るくなった。この時一発の銃声が轟いた。
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