前潟都窪の日記

2005年08月29日(月) 三村一族と備中兵乱33

 美作興禅寺本堂で三村家親が何者かによって暗殺されたことは、事件からかなりの時が経過するまで世間には知らされなかった。三村家ではこれを秘事として厳しく箝口令をひいた。
 三村家親の庶腹の弟孫兵衛親頼は、家親が暗殺されたとき、三村家の重臣達と相談して家親の遺言通り、家親の死を隠し
「家親の体調がすぐれない」
ということにして美作から兵を引いた。
 智将で鳴る親頼はもしこの事実が世間に広まれば、家中に動揺が起こり、敵に乗ぜられると判断したからである。遠藤兄弟が事件後さしたる困難もなく逃げおおせたのはその所為であった。
 喜び勇んで報告にきた遠藤兄弟の話を宇喜多直家は、半信半疑で聞き、恩賞をなかなか与えようとしなかった。
 三村家では何時までも家親の不慮の死を伏せておきたかったのだが、家親の病気見舞いに訪れた家中の者達にも顔を見せることができなかったので、いつしか家中の噂となり、隠し通せるものではない状況がでてきたので遂に家親の喪を発表せざるを得なくなった。 これを聞いて、宇喜多直家は遠藤兄弟へ約束通り知行を与え浮田の苗字を与えた。
 暫くして、宇喜多家で遠藤又次郎と弟喜三郎という鉄砲の名人が高禄で召し抱えられたという噂が備中成羽城にも流れてきた。兄は一万石、弟は三千石という破格の待遇であった。このことから三村家では家親を狙撃したのは遠藤兄弟であろうと推測し、黒幕は宇喜多直家に違いないと考えるようになった。
 そして又次郎が三村家の弓衆として在籍したことがあり、鉄砲仕入れに堺へ出奔したまま帰ってこなかった男と判って、宇喜多家に対する憎悪を倍加させていった。

 三村家親が不慮の死を遂げたという報は美作の地を再び動乱の地と化した。
 第11代当主三浦貞勝が薬師堂で自刃してから野に潜んで再起の時を窺っていた三浦家の旧臣である牧管兵衛・玉串監物・蘆田五郎太郎らの各氏が三浦家第10代当主故貞久の末弟貞盛を擁立して永禄九年(1566)旗揚げしたのである。これに呼応して恩顧の国人たちも馳せ参じた。この動乱の時高田城の守将は津川土佐守であったが、蜂起軍の猛攻を受けて数十名の部下とともに壮烈な討ち死にをした。高田城は再び三浦一族の手に戻ったのである。
 この朗報は宇喜多直家の沼城で食客となっているお福のところへ牧管兵衛の使者によってもたらされた。
「お方さま、お喜び下さい。高田城が再び我等の手に戻りました。直ちにこの城を引き払い美作の高田城へ戻りましょう。牧管兵衛殿がお迎えの使者を寄越されました」
と郎党の江川小四郎がお福を促した。
「亡夫貞勝の怨敵三村家親を宇喜多直家殿が討って下されたし、もう一人の仇敵金田源左衛門はこたびの戦で三浦軍によって討ちとられたのであろう」
とお福が言った。
「いかにも」 
と江川小四郎が答えた。
「されば、もう三浦家に対する義理は何もない。お主達は貞盛殿をもり立てて下され。桃寿丸が高田城へ戻ると先々叔父にあたる貞盛殿との間がまずかろう。必ず争いの種になりましょう」
と言って沼城を離れようとはしなかった。
「お方様、我等を見捨てられるのですか」
「そうではない。家親殿の仇を討って下さった宇喜多直家殿への恩義もあるし、桃寿丸の将来は直家殿が面倒を見て下さるとのお約束じゃ。そのほうが桃寿丸のためにもいいし三浦家のためにも良いことだと思うのじゃ」
「それでは、お方様は直家殿の正室になられるという噂は本当なのですか」
「直家殿のお心次第じゃ」
とお福は頬を紅潮させながら言った。 
 その時、お福は三村家親が暗殺されたという知らせを受けた日に、直家に誘われるままに直家の寝所へ入ったときのことを思い出していたのである。
「のう、お福殿、そなたの怨敵三村家親はこの直家が確かに仇をとって進ぜましたぞ。今日は亡き貞勝殿への供養を兼ねて心ゆくまで祝杯をあげましょうぞ」
と言って杯を勧められた。
 勧められるままに気持ちよく杯を重ねているうちにいつしか酔いがまわっていた。
女盛りを空閨で過ごしてきた体が酔いの所為で行動を大胆にした。
「わしの亡き妻達は皆、女腹での七人も子を産みながら全部女児じゃった。そなたのような美しい女との間に生まれていればさぞ美人揃いであったろうに、わしの娘達はどれも皆ぶす揃いじゃ」
と直家が遠巻きに誘ったとき、
「私に生ませてみては如何でしょう」
と言ってしまったのである。

 あとは酔いも手伝ってか直家の腕の中に抱かれ、恥じらいも忘れて燃えに燃えた。それ以来お福は逞しい男の腕に抱かれる度に女としての歓びを感じていたので、沼城をでる気持ちはすっかり失せていたのである。それに桃寿丸はまだ三才なので高田城へ戻ったところで城主がつとまるわけがない。新城主は亡夫貞勝の叔父である。今更高田城へ舞い戻って家臣達の間に家督相続を巡っての紛争の種を蒔くことは賢明ではない。桃寿丸の将来のことは、直家に縋ったほうが後見人としては頼もしいし、三浦一族のほうも丸く納まるだろうと考えたのである。

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