2005年09月02日(金) |
三村一族と備中兵乱37 |
総大将の三村元親は北軍を受持ち、中島大炊を案内人として八千余人の編成で釣りの渡しを越え、湯迫村から北の山の麓を四御神村に進み、矢津越えして沼に迫り、宇喜多勢の留守を窺い亀山城の乗っ取りを企図していた。本隊の三村元親軍は副将の植木秀長が采配を振るった。 一方宇喜多直家の備前軍は迎え撃つに僅か五千余騎である。
直家の頭の中には諜者から聞いた安芸の毛利元就が僅か四千の軍勢で陶晴賢の軍勢二万を厳島の狭隘な地へおびき寄せて殲滅した戦いのことが目まぐるしく駆けめぐっていた。「謀略以外に小勢が多勢に撃ち勝つ手だてはない。どのような手でいくか」 直家は寝床に入って奇策を思い巡らせるのであった。 出撃の朝を迎えた。一番鶏の声で布団から抜け出した直家の着替えをお福が甲斐甲斐しく手伝った。 「御武運をお祈り致しております」 と言ってお福は八幡神社で祈願したというお守りをそっと手渡した。 直家はお守りを受け取りながらお福の腹へさりげなく視線を投じながら言った。 「必ず帰ってくるからそなたは芽生えた嬰児(やや)のためにも体をいとえよ」 「はい」 と答えて見上げるお福の瞳に光るものを認めた直家は、この戦必ず勝ってみせると自分に言い聞かせて本丸の大広間へ入っていった。そこには、武装した兵士が居並んで直家の下知を待っていた。 「敵は多勢、われは無勢じゃ。だが毛利が陶を殲滅した厳島合戦の例もある。勝算は我が胸中にある。皆の者、命は全員直家に預けてわしの下知に従え。勝利は必定じゃ」 と部屋中に響きわたる声で言った。これに応えて 「オッー」 と全員が一斉に叫んだ。
直家は沼の城を出発し五千の軍勢を五隊に分けてそれぞれに部署した。敵は二万の大軍である。本陣は古都宿の山鼻に置き、主力を目黒村のあたりに配置した。古都宿は西大川の釣りの渡しを渡って沼城へ東進してくる備中勢の通路にあたる所であった。直家は先手の兵に下知して明禅寺城を攻撃させて、一戦し休息していたとき物見に出していた斥候が馳せ帰ってきた。 「後詰めの備中勢が三手に分かれて進撃してきました。一手は富山城の南、一手は首村から上伊福を経て中道へ、また一手は山裾を津島村・御野村を経て釣りの渡しにかかる様子です」 直家は斥候から報告を聞くと事態は切迫していることを感じとり、この際一気に明禅寺城を奪取すれば必ず勝機があると思った。それは多くの戦場往来をした者だけに判る勘のようなものであった。この勘は織田信長が桶狭間で今川義元を討ち破ったときの勘、また毛利元就が厳島で陶隆房の大軍を殲滅したときの勘とあい通じるものであったろう。 「戦う時はこの一瞬じゃ。備前武者の運命はこの一瞬にかかっている。ほかには目をくれず、ただひたすら明禅寺城を奪回するのじゃ手間どっていると敵に先を越されて、捕虜となってしまうぞ。城の奪回こそ勝負の分け目じゃ。死力を尽くして城を落とせ」 と直家は馬上から大音声で叫び続けた。 「備中勢なにするものぞ。かかれ、かかれ、勝てば恩賞は思いのままぞ」 直家はこう叫んで田畑の中を一直線に突っ走り明禅寺城下へ駆けつけた。
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