前潟都窪の日記

2005年09月07日(水) 三村一族と備中兵乱42

 輝元は安国寺恵瓊から将軍からの下し文を受け取ると急遽本陣に元春、隆景、福原貞俊口羽通良、熊谷信直、桂元延らの重臣を集めて軍議を開いた。
「宗景と直家が度々、和睦を請うてくるからには当家としもうっちゃっておくわけにも行かぬ。この際、将軍の顔をたてて有利な条件で和睦してはどうかと考えている。皆の意見を聞かせて貰いたい」
と輝元が口をきった。
 色々活発に意見がでたが総括すると
「四囲の客観情勢は当方に極めて有利であるから、これまで直家が備中において手にいれた諸城と領地を全て毛利に割譲すること。もしこの和睦条件が飲めないと言うのであれば兵馬を動かし徹底的に叩きのめす」
というものであった。
 和睦条件を示されると、全面降伏に近いものであったが、直家は止むなくこれを受け入れた。浦上宗景には既に戦意がなく宇喜多単独で戦うには相手の実力が遙に自軍を凌駕していて勝算は千に一つもないと考えたからである。
 宇喜多直家の西進政策は挫折した。
 しかし転んでもただで起きないのが直家のしぶといところである。直家は胸の内で色々と天下の情勢について思案した。
「信長が天下布武を唱え上洛したが、彼の強さは運だけではない。兵力も違えば装備も違う。隣国が互いに力を合わせて結束しておかなければ信長は山陽路へもやがて攻めてくるだろう。その時提携する相手は誰か。浦上は織田に尻尾を振って所領安堵の紙切れを貰って喜んでいるからもはや目ではない。三村はこのわしを家親の仇だと公言しているから組める相手ではなかろう。そうすると毛利しかいないことになる。織田が攻めてくる前に三村を潰しておかねばなるまい。そのためには毛利と盟約を結ぶことだ。わしが毛利と手を握ったと知ったらあの若造め血が頭にのぼって、毛利を飛び出し織田と結ぶだろう」
 直家は、早速角南如慶に恭順の意を表して毛利の麾下に入りたいという「親書」を持たせて安芸郡山へ輝元を訪問させた。
 この親書を受け取った毛利輝元は直ちに軍議にかけた。
「まことに怪しからん。宇喜多が首を洗って出てきても、三村と同席させるわけにはいかん。宇喜多は三村の仇ではないか。ぬけしゃぁしゃぁと宇喜多の神経がわからん」
と激昂したのは吉川元春であった。
「三村一族は代々、長年にわたり毛利に忠勤してきた信頼のおける家臣ではないか。それなのに宇喜多を今、毛利の麾下に組み込むことになれば、三村は毛利を離れざるを得なくなるではないか」
と毛利隆景も反対した。
 しかし、輝元はこの反対を無視して、宇喜多が毛利の麾下にはいることを認めてしまった。
「こともあろうに、三村家にとっては父家親兄元祐二代にわたる仇敵直家と同席せよ言われるか。つい先日までわれらの懇請により、宇喜多征伐の出陣をなされたではないか。毛利殿は父子二代にわたる献身的な忠節を弊履の如く捨てられるのか」
と三村一門の者は絶縁状を輝元に叩きつけて退場してしまった。
 このことを浦上宗景の放った間諜から聞いた信長はほくそえんで、密かに使者を元親の許へ派遣した。
「この度、前将軍足利義昭は毛利と結託して謀叛を企てるとのことであるが、もし貴殿がこの企てに加わらず、この信長に味方されるならば貴殿に備中、備後の両国を進呈するであろう」 
というのである。


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