2. 門川 久はここ一ヵ月ほど散髪していないのに気がついた。何ものにも束縛されない気儘な一週間を過ごす前に、まずこざっぱりした気持ちにならなければならないと思った。タクシーを駅前で乗り捨てると「いらっしゃいませ」という元気な声に迎えられ、理容院の客となった。
駅前の理容院にしては、お客もたてこんでおらず、三つほど空いていた椅子の一つに座ると目を閉じた。これから何をしようという当てがあるわけでもなかったが、自分で自由にできる時間が七日間もあると思うと気持ちが豊かになった。散髪をしてもらいながら一週間をどうやって過ごそうかと考えていた。両親の許へ帰ってのんびり過ごすのもよかろう。或いは行きあたりばったりに行く先を定めずに足の赴くまま、気の向くままの旅に出るのも悪くないなと考え巡らせていた。
と、突然隣で外人の声が聞こえた。 「ウオッシュアンドカット、プリーズ」 何げなく声のする方を向くと空いた椅子を前にして髭もじゃの背の高い赤毛の若い外人が、手真似で理容師に散髪方法の注文をつけている。相手をしている理容師はこれも手真似で一生懸命応答しているが、どうも意思が通じないらしく首をかしげて困った顔をしている。
久が横から英語で外人に問いかけてやるとその外人は喜びを顔面に表し、頭髪を鋏で刈って頭を洗って貰いたいと思っているのだが、そのことをこの人に説明してくれという。髭は剃らなくてよいと伝えてくれと言っている。久がその旨通訳してやると、今まで困った顔をしていた理容師は大きくうなづいて俄に元気づいた。 「シャンプーネ、ヘヤーカットネ、オーケーネ」
その理容師は自分も片言の英語なら喋れるぞということを誇示するように知っている単語を並べ立てた。 「サンキュー」と外人は人なつっこそうな笑顔を久の方へ向けて、両手を大きく開き肩をすぼめて見せた。
「お客さん、随分英語が達者なんですね。商社へお勤めですか」と久の顔を剃っていた理容師が話かけてきた。 「いや、大したことはないよ。学生の頃、外交官を志したことがあってね、多少英会話の勉強をしたことがあるだけさ」 「それにしても大したものですよ。私なんかチンプンカンプンで、何を言っているのかさっぱり判りませんでしたよ。お蔭で助かりました。あれだけ英語が喋れれば一人で外国へ行っても不自由しないでしょうね」 「それが残念ながら、外国へは台湾にしか行ったことがないんでね。でも英語なんてものは、心臓で喋るようなものだと思うよ。外人をみかけると誰彼となく話しかけてみると結構通じるものだよ。ジェスチュアーを交えながら単語を並べるだけで意思は通じると思うよ」
「そうなんですってね。私の友人で鉄工関係の仕事をしている人が横浜にいるんですがね、東南アジアへ工場の建設のために、若い職人を連れてよく出張しているんですよ。その友人が外国語は心臓で喋るものだということを言っていましたよ。何でもその友人は中学を出るとすぐ鍛冶屋の職人になって日本国内のあちらこちらの工場建設をやって歩いたらしいんですが、外国へ行ってみたいと思っていたそうです。ある日、タイで工場建設の仕事があるから行ってみないかと仲間から誘われたので二つ返事で行くことにしたそうです。まだ外国へ行くのは珍しい時代だったので、親兄弟は英語も喋れないのに外国へ行くのはやめろと反対したそうです。ところが、その友人は手真似足真似でも意思は通じる筈だと頑張り通して、タイへ二年も行って来たそうです。確かに最初は不便を感じたそうですが、心臓強く体当たりでやっているうちに英語とタイ語が喋れるようになったということですよ。今ではそのことが箔になって、まだ30歳そこそこだというのに職人を30人も使って請け負い工事をやっているそうです。請け負い工事というのは儲かるそうですね。その友人は最近、いい所に土地を買って立派な家を建てたらしいですよ。車なんかでも凄い外車に乗っていますよ」 理容師は話好きらしく、我がことのように得々と喋っている。
「へぇー、建設関係の仕事というのはそんなに儲かるのかねぇ。私なんか一生働いたって、自分の家なんか建てられないかもしれない」 「今は建設関係はいいらしいですね。その友人の話だと電気熔接工とか配管工、鳶工などの職人は一日の日当が五千円もするんだそうです。私なんかももう少し若ければ、理容師なんか止めて熔接でも覚えて商売替えしたいですよ」 「へぇー、技能工の賃金は高騰したとは聞いていたけれど一日五千円もとるのかねぇー」 久は頭の中で自分の給料を日当に換算してみるとその半分にも満たない。 「だから、最近ではメーカーの工員なんかで会社勤めを辞めて職人になる人が増えてきたんですってね」 「なるほどねぇ、そんなに日当が高いのなら、流れ作業なんかに従事しているより、余程面白いから、若い人達は転職するだろうね」 「また職人の世界というのが面白いんですね。腕のいい職人はあっちの親方こっちの親方というふうに渡り歩いて腕を磨いていくんですね。そして独り立ちすると若い衆の何人かを使って請け負い工事をやって儲けるんだそうです。その友人なんか、外国へ行ってきて英語も喋れるというんで、あちこちの大手のプラントメーカーから引っ張りだこだそうですよ。確か又近いうちにイランへ行くとか言っていましたよ」 「ふうん、建設労働者の世界を研究してみる必要があるなあ」 「すると、お客さんは人事関係のお方ですか」 「そうなんだよ。硝子会社の人事をやっているんだけど、人が集まらなくて困っているよ。最近では手と足さえついていれば、どんな人間でも採用したいくらいの気持ちだよ」
久は散髪をして貰いながら、理容師の話を聞いているうちに職業意識が頭をもたげてきて、建設労働者の労働市場のことを調べてみなければならないなと思った。何にも束縛されないで気儘な一週間を過ごしてみたいと考えていたのに、何時の間にか自分の仕事と結びつけて話を聞いていた。 「お客さんの会社なら日本でも超一流の会社だから希望者はいくらでもいるでしょう」 「ところが、そうでないから苦労しているんだよ。何か人がうまく集められる方法はないものかねぇ」 「そうですね。今はどこも人手不足で困っていますからね。でもこれも又、その友人の話ですがね、石油会社や化学会社では年に一回は、定期修理工事というのをやるんだそうですが、どこで集めてくるのか、短期間に随分多くの人足を集めるそうですよ。何でも一ヵ月の間に、工場の装置を止めてしまって、点検修理する大変な仕事だそうですが、一ヵ月の間に、500人近い人間を集めるそうですよ」 「そんな芸当みたいな事が現実の問題としてできるのかなあ。夢みたいな話だよ」
久は自分がこれから採用しなければならない人間の数を思い出しながら言った。 「どんな方法で集めるのかはよく知りませんが、その友人のの話だと結構集めているらしいんですよ。いよいよ、集まらない時には、簡易宿泊所の近くの風来坊を連れてくることもあるそうですね」 その理容師の話に久は目を開かれる思いであった。建設業と製造業とでは業種業態に相違があるとしても僅か一ヵ月の間に500人からの人間を集めるという話は驚異であった。話半分に聞いたとしても、建設関係の業者の動員力は研究してみる価値があると思った。職人という言葉がしきりに使われているので、職人の労働市場も調べておく必要があると思った。
どうせ気儘な一週間を送る予定で貰った休暇なので、建設業の職人の世界へ飛び込んで、一ヵ月で500人集める仕組みを、調べてみようと思いついた。それには,自分で作業員になりすまして、建設現場へ入り込むことが一番手っとり早い方法だろう。
久は簡易宿泊所へ投宿して様子を窺うことにした。久は横浜にやってくると寿町の簡易宿泊街で福寿荘という看板を出している宿に旅装を解いた。立ち並んでいる簡易宿泊所の中でも小奇麗な感じがしたので福寿荘を選んだ。かねて港湾労働者や建設労働者は簡易宿泊所に起居しているものが多いということを聞いていたので、とにかく泊まってみようと思い立ったのである。 宿帳に松山一朗と記入して宿の主人に何か良い仕事があったら世話して欲しいと頼んでおいた。宿の主人は久の身なりを見ながら、意味ありげに頷いて久の頼みを聞いて部屋から出て行った。久のことを何かいわくのある人間だというふうに感じたらしい。やがて宿の主人は、屈強な体格で目つきの鋭い一人の男を連れてきて言った。
「松山さん、この人が犬山組の番頭さんで菊池というお方です。今関東石油の定期修理工事で人を探しておられるそうだ。よく話を聞いてご覧なさい」 久は一週間だけ仕事をしたいと言うと、菊池はそれでは明日、マイクロバスで迎えにくるから、作業服に着替えて、朝7時に宿の前へ出て待っていろと指示して帰っていった。日当は毎日仕事が終わって帰る時に千五百円を払ってやるということであった。 久には求人がこんなに簡単な手続きでてきることは驚きであった。
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