前潟都窪の日記

2005年09月19日(月) 無縁仏の来歴7

    7.                                                               常泉寺は国鉄鶴見駅から山手へバス通りに沿って徒歩で7分程のところにある。寺の裏手にはスーパーマーケットの白い四階建ての建物が木立の間に見え隠れしている。

「まだ、埋葬許可は下りないのかね。沢村君」
「今、葬儀屋を鶴見警察へ交渉に生かせているのですが、本籍地照会の調査結果の連絡がまだ入らないそうなので、もう少し待って欲しいということです」
「たとえ、身元が判らなくても、仏様を何時までもこのままにしておくことは出来ないだろう。遺族が現れたときにはお気の毒だが、お骨で引き取って頂くことにしようではないか」と喪服に身を包んだ大柄な50歳前後の男が部下の沢村に結論を下すように言った。鼻の下に蓄えたちょび髭がこの男の言葉に重みを加えた。

 社長に言われるまでもなく、沢村勝は先刻からやきもきしながら葬儀屋が帰ってくるのを待っていたのである。
 寺の本堂には既に白木を組み合わせた祭壇ができあがり、拾い境内には受け付け用のテントも二張り張られている。気のはやい弔問客はぼつぼつ集まりかけている。弔問客と言っても会社関係の客ばかりで、故人の身内の者とか、親しい友人等は一人もいない。一風変わった葬式になりそうである。故人の写真が祭壇に飾られていないのも故人の死が異様のものであったことを物語っている。

 故人の俗名は松山一朗といい、推定年齢は26歳であるが、偽名の可能性が強い。
 松山一朗が京浜工業地帯の一角にある関東石油横浜工場の構内で石油精製装置の定修工事に従事していて事故死したのは五月七日のことであった。

 松山一朗は当日犬山組の作業員として、ベンゾール製造装置の小型タンク内の配管を取り替えるため、マンホールから中へ入り込み作業中倒れたのである。
 労災事故の発生とともに関東石油では所轄の鶴見警察署と鶴見労働基準監督署へ通報し、検死の結果事故死と断定されたが、死因については司法解剖の結果により判断されることになり、遺体は直ちに横浜市立大学の付属病院へ移送された。

 事故に最初気づいたのは、松山と一緒に作業していた梅林である。
 その日は朝からベンゾール製造装置の修理が予定されており、3日前から装置内のベンゾールは抜き取られていた。抜き取った後,残留ガスを追い出すため、窒素ガスを圧入し完全にベンゾールの残留ガスがなくなった頃を見計らってバルブとマンホールが開放されるのが通常のやり方である。マンホールからタンク内に入る前には空気を吹き込んで窒素ガスも追い出してしまうことになっている。酸素欠乏による事故が起きるのを防ぐためである。
 松山と梅林は二人で組を組んでベンゾール製造装置の小型タンクに潜り込みタンク内のボルトを外し部品を交換する作業に従事するよう指示されていた。

 石油精製工場内での作業は危険物を取り扱っているので、安全対策上色々な制約がある。作業員の動きは独自の判断が許されず必ず石油会社の担当係員の指示に基づいて工事監督が発する作業指示を受けてから行動するよう義務づけられている。最も注意を要するのは火気使用である。施工上ガス切断、電気溶接は不可欠の作業じあるため、ガス、電気を使うときには細心の注意が要請される。有毒ガスの発生、酸素欠乏状態の作業環境、高所での作業等危険な場所は至るところにある。その日松山と梅林はタンクの中へ入るに先立ち、ガス検知と酸素欠乏状態の有無の検査をして貰って、作業指示オーケーの指示を受けたので、先ず松山がタンクの中へ入った。

 タンク内中は人一人がやっと潜り込める程の広さであり、無理な姿勢で作業をするのであまり長い時間入っていることはできない。松山が中へ入って暫くの間、タンクの中からは、スパナでボルトの頭でも叩いているらしくカーン、カーンという金属音が聞こえていた。

 梅林はタンクの外で装置についているバルブを取り外す作業に精を出していた。五月の日差しは肉体労働をすると体に汗をにじませた。梅林は時々ヘルメットの顎紐を緩めてヘルメットをあみだにし、汗をぬぐい取った。ボルトが腐って錆びついているので、ボルトの頭にスパナをはめてハンマーで叩くのだが、作業は意外に手間取った。漸くボルトを一本抜いたところで時計を見ると松山がタンクへ入って既に30分は経過している。
「おーい、松山時間だよ。出てこい」とマンホールから中を覗き込んで声をかけたが何の反応もない。
 明るい戸外で作業していたのでタンクの中を覗いても、暗くて中が見えない。
「おい、松山どうした。早く出てこい」
 大声で梅林が怒鳴ると声がワーンワーンと聞こえるが松山の返事は返ってこない。暫く耳を澄ましてみたが、人の動く気配もない。漸く暗さに目が慣れて上の方を見上げると松山の足が二本垂れ下がっているが動かない。胸騒ぎを覚えた梅林は 
「誰か来てくれ。松山の様子がおかしい」               と助けを求めた。                                       
 梅林の声に近くで作業していた作業員が4〜5人駆け寄って来た。どの作業員も汗と油にまみれ、黒く汚く汚れていた。たまたま、パトロール中の関東石油の安全担当者大浦英夫も、騒ぎを聞きつけて駆けつけてきた。大浦はガス検知の担当者だったからもしかすると自分の手落ちで有毒ガスが残っているのに気づかずオーケーの報告をしたのではないかと内心ビクビクしていた。ガス中毒による事故でないことを願っていた。
「どうした」  
と大浦が声をかけた。
「松山の様子がおかしい。いくら呼んでも返事をしないのだ」
と答えておいて梅林は同僚を救い出そうとマンホールからタンクの中へ潜り込んだ。
「危ないぞ。ガス検をして貰え」
 と言って引き止めようと足を引っ張る者もいたが、梅林は意に介さなかった。狭いタンク内は梅林が入るともう他の者は入れない。梅林が小腰を屈めて上を見ると、松山はタンクの中を通っている4インチほどのパイプの上に腰を下ろして頭を前へ垂れ、うつむんたままの姿で動かないでいる。目の前に垂らしている二本の足に手をかけるとぶらぶらしている。中は狭くて松山のいる場所まで登っていくことができない。梅林は急いでタンクの外へ出て
「どうも様子が変だ。死んでいるかもしれない」
と変事を告げたが自分でも声がうわずっているのが判った。
「早く助けろ。外へ引きずり出すんだ。何をボヤボヤしている」
と急を聞いて駆けつけてきた工務課の山本正が顔色を変えて怒鳴った。

 山本は梅林と入れ代わりに中へもぐり込むと松山の両足を引っ張って引きずり降ろし、両足をマンホールから外へのぞかせた。外で待機していた作業員達が松山をタンクの外へ引きずりだしてみるとぐったりして死んだように動かない。このような突発的な変事が発生したときには、大勢人は集まってきてガヤガヤ騒ぐが、てきぱきと状況を判断して適切な措置を取れる人は少ない。
「救急車に電話したか」
「早く医者を呼べ」
「医務室の医者はまだ来ないのか」
「酸素ボンベを持ってこい」
と口々に騒いでいる。思い出したように、あたふたと駆けだして行く者もある。皆がてんでに自分の思いつきを実行に移すことになるので混乱を招くことになる。後で判ったことであるが、消防署へはこの事件についての出動要請が五人の人から別々にあったそうである。五人五様に状況を説明するので混乱は増すばかりである。ある者は死んだといい、或る者は死にそうだといい或る者は怪我をしたという。

 酸素を吸入させるつもりか酸素ボンベを担いできた者もいる。何を慌てたのか窒素ボンベの空瓶を運んできた粗忽者もいる。
 誰もがまず思いつくことは救急車を呼ぶことである。だが自分で手を下してこの場合もっとも有効な応急手当てをすることができない。人口呼吸をしてみようということに思いつくまでにかなりの時間を徒過していた。

 山本はベンゾール製造装置の直接の担当者であった。関東石油では若手の工務課員としては人当たりもよく、仕事もよくできるという評判である。下請けの作業員にも仕事は厳しいが自分達の気持ちをよく理解してくれると人望があった。決断も速いが短気で怒りっぽいのが玉に疵だと言われている。
 山本は自分の担当するベンゾール製造装置で起こった事故だけに責任を感じて必死で松山を助けたいと思った。
「救急車はまだ来ないのか」
と叫びながら心臓に耳を当ててみると鼓動音が微かに聞こえている。
「まだ生きている。早く医者を」
と山本
「早く上着を脱がせて人口呼吸をしてみろ」
と誰かが叫ぶ声が聞こえた。その声に山本は大事なことを忘れていたぞと臍を噛む思いで松山の作業衣をめくり上げ膝を折って人口呼吸を始めた。
 人口呼吸法としては、口を相手の口へあてがい呼気を直接送りこんでやるのが一番効果的だということは、この事件の後山本が医師から得た知識である。
「医者は何している。まだ来ないのか」
「今日は金曜日だから、医務室には看護婦だけしかいない。今博善病院へ医者を迎えに行っているからもうすぐ来るだろう」

 ピーポー、ピーポと間の抜けたサイレンを鳴らしながら救急車が到着するのと博善病院から医者が到着するのと殆ど同時であった。                      
 その医者は白衣に身を纏い手慣れた手つきで作業を進めた。松山の右手の脈をとり首をかしげている。心臓に聴診器をあてていたが、やがて目蓋を指先で器用にめくり懐中電灯の光を当てて瞳孔を調べている。
 いつしか駆けつけた工務部長、製造部長の顔も群衆の中に認められた。

 皆が固唾を飲んで見守る中で駄目だという風に首を振った。医者の一挙手一投足は言葉よりも雄弁である。松山の心臓は完全に止まってしまったようである。
 藁にでも縋りたい気持ちで医者の動作を見守っていた山本はがっかりしてその場へ崩れ落ちそうになる気持ちを辛うじて耐えた。心配していたことが遂に起こったというのが実感であった。
 救急車は死体を病院へ運ぶこともできず空のままで帰って行った。虚しさだけが残された。
 遺体は担架で医務室へ移され、警察の手によって検死を受けることになった。

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