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沢村がこの事故のことを聞いて出先から現場へ駆けつけたときには、松山の遺体は医務室に移され顔には白布がかけられていた。松山という名前は沢村も初めて耳にする名前であった。松山の遺族の住所が判らないので、関東石油の担当者と警察官は沢村が駆けつけるのを待っていた。
それまでの調べでは松山について詳しく知っている者は皆無で同僚の梅林が、松山は一週間程前に犬山組へ臨時の作業員として雇われたらしいということを知っているだけであった。本籍、生年月日、現住所、家族などについて何一つ判っているものはなかった。本人が雇われている犬山組の親方は不在で連絡のとりようがないという。
今回の定修工事の元請け会社である報国工業の責任者沢村勝なら知っていることがあるかもしれないということで、沢村の到着が待たれていたのである。 沢村の周辺は俄に慌ただしくなってきた。 沢村が松山一朗の雇用系統を辿ってみると驚いたことに、六次下請けの作業員であることが判明した。 沢村の勤務する報国工業は石油精製装置の配管工事に関しては日本でもこの業界では名の通った創業30年になる老舗である。報国工業は職人上がりの創業者社長の実直な人柄と信用で関東石油から横浜工場の常駐業者に指定され、ここ15年来関東石油会社横浜工場の構内配管補修工事は一手に引き受けるまでになっていた。
今回の関東石油横浜工場の定修工事は報国工業が元請けとなり、五月一日から装置を止めて、五月末日までに操業を再開できるよう、装置の不良箇所の補修、装置の改造等を完了させなければならないのである。しかも、工期は通常よりも短く、ゴールデンウイークを返上して工事を行い、少しでも装置の止まっている期間を短くしたいという施主の強い要請があった。
昭和46年の5月といえば、ニクソンショック、オイルショック以前の時期であり、日本の高度成長は最盛期である。佐藤内閣の指導のもとに、日本の産業界はめざましい躍進をしていた。生活環境、生活様式も激しく変化していた。
産業界はスケールメリットを狙って設備投資を大胆に行い、人手不足の経済と言われ、各産業界とも人手の確保には苦労していた。報国工業でもご他聞に漏れず、人集めには難儀していた。 工事会社の特質として固有の常用労働者は工事監督と見習いだけであり、配管工、電気溶接工は一つの工事毎に職人グループの親方に話をつけて集められる仕組みになっている。 この業界では配管工、電気溶接工ともに、4〜5人乃至10人前後のグループが親方と呼ばれるボスの配下にあって工事毎に請け負い契約を結び、工事完了までその工事現場で就労するのである。工事の規模が大きくなると直接職人を集めることは煩瑣になるので、同業者で自分と同等乃至は少し規模の小さい会社へ工事を分割して発注し、これを受けた会社が職人を集めて仕事を進めていくわけである。 このような仕組みの中では、資金力と信用と技術力と監督力さえあれば、相当大きな工事でもこなしていける。
報国工業が今回受注した関東石油横浜工場の定修工事は、毎年手掛けてきているので、報国工業にとっては別段難しい仕事ではなかったが、人手の確保の面と受注単価の面でかなり厳しいやりくりを余儀なくされていた。出入りの業者を傘下に相当数抱えていたので、分野分野に応じて、配管、電気溶接、機器据え付け、土木、塗装、保温、運搬というふうにそれぞれの専門業者に発注してあとはこれらの業者を組織化し、報国工業の監督のもとに工程に合わせて仕事を進めればよいのである。
だが、問題は出入り業者に職人を集める力が弱くなってきていることであった。時世というものである。人手不足の時代で、腕のよい職人は引っ張りだこであり、彼らは10円でも20円でも賃率の良い仕事へ好んで移動して行く。雇主の迷惑など一顧だにしない。昨日まで来ていた職人が今日は顔をみせないので、親方が自宅を訪ねてみると、別の業者の所で働いているというようなことは珍しくない。
定修工事のように短期間で多数の人間を集めて、一気に片づけてしまわなければならないような工事では、職人の手間代を世間相場の五割増しから倍近くもはずまないと必要な職人の頭数を揃えることができない。腕の良い職人と腕の悪い職人とでは、仕事の能率が極端な場合、二倍も三倍も違ってくる。 報国工業では世間相場よりもかなり高い水準で、業者に発注し、質の良い職人が集められるよう特に配慮していた。沢村が松山一朗の雇用経路を辿ってみると、報国工業が熱交換機のチューブ取り替え工事等機器関係の仕事を一括発注した山中工業は更にその仕事を分割して松野組と葦原機工に発注していた。葦原機工は更に海野組に発注し、海野組は極東工業を通じて犬山組に発注していたのである。松山一朗が就労するまでには、実に六段階の経路を経ていたわけである。しかも、請け負い契約書が整備されていたのは、葦原機工までで、海野組、極東工業、犬山組の段階になると契約書はおろか、作業員の名簿や賃金台帳すら整備されていないピンハネ会社であった。調査の過程で一寸気になったのは、犬山組が東都プラント専門に人夫出しをしているブローカーであるということである。
沢村の懸命な調査で松山一朗の手に渡っていた賃金は、報国工業が山中工業に対して発注したときの基準単価の三分の一程度になっていることが判った。人手不足の時代に短期間に500人近い労働者を集めるためには、いかに老舗で名が通っているとはいえ、報国工業一社だけで、直傭の作業員を動員することは不可能である。そこで請け負いという形式によって必要な人員を集めることになる。
報国工業は工事部長の沢村が統括責任者となって、今回の定修工事を五つの工区に区分して、金山工務店、京浜工業、山中工業、宮守土建、横山管工にそれぞれの専門に応じた発注をしたのである。従って報国工業としては、直接工事を発注した五社の工事責任者に作業指示をすればいくつかの経路を経て末端の作業員に指示が流れる仕組みになっているのである。
通常、金山工務店、京浜工業、山中工務店、宮守土建、横山管工程度の規模の会社であれば、直傭の配管工、溶接工、仕上げ工、鳶工、土木工を30〜40人は抱えており、出入りの親方も14〜15人はいるので、500人程度の作業員を集めるには5〜6社に発注すれば動員可能であった。ところが、今回松山の事故があって判明したように各業者とも人手が十分確保できなかったため、次から次へと下請け契約を重ねて六次下請けにまで及ぶ異常な形になっていた。間へ業者が入るごとに末端の作業員に渡る手間代はピンハネされて安くなっていく。電話一本と机一つだけの人寄せブローカーが雨後の竹の子の如く発生し暗躍することになり、作業員の技能の程度は度外視され、頭数だけが揃えられる。
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