山本正は松山一朗の労災事故死により、業務過失致死の容疑で基礎されてから会社の冷たさを知った。関東石油では会社の幹部に責任が及ぶのをくい止めようと画策した。その画策が見え透いた露骨なものであるだけに山本はやりばのない憤りを感じた。 山本正は報国工業の沢村が出た後、入れ代わるようにして工場室へ呼ばれた。 「山本君、御苦労様。そこへかけたまえ」 総務部長が折り畳み椅子を指しながら言った。度のきつい眼鏡のガラスが渦巻きのように光った。 「はい。今回は私の監督不十分のため会社にご迷惑をかけて申し訳ありませんでした」 山本は深々と頭を下げてから腰を下ろした。 「今、いろいろ対策について考えていたところだが、君は今回の事故の原因を何だと思うかね」 「定修工事の作業工程に無理があったことが根本的な原因だと思います」 山本は工務部長の顔をみながら答えた。工務部長は山本の視線をそらすように下を向いた。山本は工務部長のそんな態度を見ながら、定修工事開始前に行われた工程会議のことを思い出していた。
その工程会議では製造部と工務部とで、工期をめぐって、大論争が行われた。定修工事をできるだけ短期間で切り上げようと主張する製造部と工期を長くしたいとする工務部との間の論争である。製造部は製造計画に基づいて一日でも早く定修工事を切り上げて貰いたいと主張し、一日工期が延びると一億円売り上げが減ると説いた。
これに対し工務部では安全確保上、製造部で主張している30日の工期では無理で、少なくとも35日は必要であると言い張った。生きている設備の一部を止めて修理をするので、有毒ガスを完全にパージして安全な環境のもとで工事を進めるためには、製造部のいうように五日間工期を短縮することは、危険であると主張した。限られた予算の中で工期を五日間短縮することは、作業能率も低下するし事故の発生しない保証ができないとまで言った。工務部の中でも山本は特に強く35日説を主張した。だが、生産第一主義の製造部が安全第一主義の工務部の意見を押し切った。
有毒ガスのパージには窒素をふんだんに使い、ガス検知と酸素濃度検定を十二分に行えば、安全作業は確保できるという製造部の説得に首を縦に振ったのが工務部長であった。 「君はまだそんなことを言っているのかね。工程会議で議論をして、その問題は充分潰した筈ではなかったのかね」 製造部長が工場長の顔を窺うようにしながら言い放った。 「はい。私は工程会議の席上で事故の起こらない保証はできないとまで言った筈です。私の虞れていた通り事故が起こりました。しかも酸素欠乏状態での死亡事故です」 「君、問題を混同してはいかんよ。有毒ガスによる事故ではなく、酸素欠乏事故なんだよ。有毒ガスは完全にパージされているんだ。酸素濃度検定は充分やったのかね」 「作業着手前の酸素濃度検定ではオーケーでした」 「そうだろう。だから、作業計画に無理があったことにはならないんだ」 製造部長は自分に言い聞かせるような言い方をした。 「しかし・・・」 「どうでしょう。事故の原因を追求するのは、調査委員会を設けて究明することになっているので、そちらの調査結果を待つということにしては。当面大切なことは、警察の取り調べに対して、会社の見解を統一しておくこととマスコミ対策だと思いますが」 工程会議での議論が蒸し返されるのをいち早く防止しようとする意思をあらわにして総務部長が言った。
関東石油会社は旧財閥系の山王化学の子会社で百パーセントの資本が山王化学から出資されている。関東石油の社長は山王化学から派遣されており、横浜工場の工場長、製造部長も山王化学出身である。横浜工場の工務部長と総務部長は関東石油固有の社員であり、工場長や製造部長に対しては公式の場では意見の開陳にも遠慮したところが窺える。もともと関東石油は岩原交通の岩原一誠が自社の車両の燃料を自給しようとの考えから出発した会社である。岩原が経営していた頃は京浜石油と称しており、会社の規模も現在とは比較にならないほど小さいものであった。規模が小さくても個人の資本では装置産業を維持してゆくことは難しかった。
日本の産業が高度成長の時代を迎え、設備の巨大化が進むにつれ岩原一誠は個人で石油会社を経営していくことの非を知り、採算の上がらぬまま痛手が大きくなる前に手を引いた方が得策であると判断し、京浜石油を売りにだしたのである。
時は産業界の資本の系列化が進んでいるときでもあり、自己の系列会社に石油精製部門を持たない山王グループが山王化学の子会社として京浜石油を買収し関東石油と社名を変更した。 首脳陣を山王化学から送り込むとともに、装置産業にふさわしい大型の設備をどんどん造って現在の規模にまで膨脹したのである。山王化学が京浜石油を買収したときには、工場は横浜工場だけであった。山王化学は間もなく水島に最新鋭の精油所を建設し関東石油水島工場とした。
水島工場の建設には横浜工場から約半数の技術陣を転勤させた。水島工場の建設にあたっては日本有数のエンジニアリング会社大日本化工機が設計施工した。 現在の横浜工場の工場長も製造部長も、山王化学による買収後、三代目であり、総務部長と工務部長は京浜石油生え抜きの社員で、買収されたときには何れも係長であった。京浜石油が山王化学に買収されたときの工場長は、関東石油本社の技術部長に収まって取締役の末席に名を連ねている。 総務部長も、工務部長も山王化学出身の工場長と製造部長の顔色を窺いながら自分も大きな失敗さえなければ、取締役の末席ぐらいにはなれるのではなかろうかという期待を持っている。それだけに陰では上に調子よく下には冷酷だという声がささやかれている。
山王化学の人事政策は巧妙である。工場長、製造部長という要職は山王化学よりの派遣社員で抑えるが総務部長、工務部長は京浜石油出身者に委ね重役へ登用の道も残して、プロパー社員の士気が低下しないように配慮している。 現在の関東石油本社の総務部長、工務部長は何れも関東石油の工場で総務部長、工務部長を経験した京浜石油出身の社員であり、重役陣の中に名を連ねさせているのである。 山本正は入社五年目である。大学は旧帝大である大阪大学の工学部を出ている。山本が大学を卒業した昭和40年は高度成長経済がその勢いを蓄えるために一休みした時であった。新聞紙上で不景気と書かれた年である。
旧帝大の工学部出身である山本は不景気であっても就職に困るということはなかった。産業界は不景気の時代だからこそ、次の好景気の時代に備えて優秀な人材を確保しておこうと求人キャラパンを繰り出した。特に旧帝大の工学部出身者は一流企業からの求人をよりどりみどりであった。山本の所にも幾つかの企業から母校の先輩を通じて勧誘があった。中にはキャバレーに連れて行ってくれて豪遊させてくれた某製薬会社に勤めるA先輩のような人もいた。電話がかかってきたり、親展の手紙を貰ったりもした。何れも先輩を使っての凄まじい求人攻勢であった。
山本は先輩や友人の話を聞いて会社選択の基準を作り、基準に合わない会社はどんどん不採用とした。まさに求職者が求人会社を採用するのではないかと思われるような凄まじい求人難の時代であったと言える。 山本の作った会社選択の基準は次のようなものであった。 ・旧帝大出身者の少ない会社であること。 ・今後成長することが予想され、社歴は浅い会社であること。 ・知名度もある程度高く、待遇のよい会社であること。 友人達が好んで超一流企業へ就職したのに較べれば一風変わった選択である。山本は何よりも、早く出世できそうな会社を選んだのである。山本の選択基準からすれば、関東石油はまさにぴたりの会社であった。 山本が予想したように、関東石油は山王化学の子会社であるとはいえ、旧帝大出身者は殆どおらず急成長を遂げており待遇も良かった。入社してみて山本を何よりも喜ばせたのは、入社間もない山本に責任のある仕事を任せてくれたことである。そして社内でも、前途有望の青年であると期待されていた。 山本は横浜工場工務部に配属された。工場は拡張期のため、新しい設備がどんどん増設された。加えて水島工場に技術陣が半数転出していたので、新しい設備の増設工事は入社したての山本が計画段階から携わることになり、大きな権限を与えられた。それは若い山本の野心を満足させるに充分のものであった。 年に一度の定修工事もやり甲斐のあるものであった。短期間のうちに五百人を超える作業員(下請け作業員ではあったが)を指揮して意のままに動かすことは男の本懐であるとまで思った。しかも工務部の若手のやり手という評判があるので、下請け会社の社長や専務があの手この手でご機嫌を取り結ぼうとするのも、若い山本の自尊心をくすぐった。
出入り業者達は競って山本に縁談を持ち込んだ。自分の姪や友人の娘、我が娘と下請け業者の社長達は、山本に先物買いをした。だが、山本は下請け業者の勧める縁談には頑として耳を貸そうとしなかった。業者と縁組すると社内的に色眼鏡で見られることは確実であり、業者に対してけじめをつけておくことが、将来社内で出世するための一つの条件であると考えたからである。 とかく業者と工務担当者との間には黒い噂が流れ勝ちであるが、山本に関してはそのような噂は聞かれなかった。
「ところで、山本君今回の松山一郎の死亡事故については、いろいろ原因も考えられるだろうし、会社としてもこれを今後の施策に生かしていかなければならないと思う。事故調査委員会も活動を始めているのは君も知っている通りだ。そこで今、大切なことは総務部長がさっき言ったように、対外的に処理する方法を検討することだ。取り敢えず急がなければならないのは、マスコミと警察だと思う。それに労働基準監督署もある。忘れてならないことは我々は組織の一員であるということだ。会社の名誉、対外的な信用これを損なうことなくうまく処理することを考えなくてはならないと思う。よし、仮に会社の名誉や信用に傷がつくとしても、最小限にくい止めなければならない。そのためには君にも覚悟を決めて貰わなければならないこともある」 工場長が煙草を忙しそうにふかしながら言った。ふかした煙草の煙が神経質そうに揺らいだ。 「工場長が言われたように、社外に対する対処の仕方を打ち合わせておきたいと思って、君に来て貰ったわけだ。一番のポイントは会社が安全をなおざりにしているのではないかという印象を与えることが一番困るところだ」 その場を取り繕うような言い方を総務部長がした。 「ですから、定修工事前の工程会議で申し上げたように、工期が短過ぎたことが今回の事故の最大の原因だと私は思います。部長そうではないですか」 「この場合、総論の議論をしても仕方がないんだ。当面どう始末するかという各論に議論の焦点を絞らなければ。さっき報国工業の沢村君がここへ来ていたが、警察で取り調べを受けたそうだ。君にも警察から呼び出しがあると思う。その時我々の言うことがチグハグになっては困る。方針ははっきりしている。関東石油に被害の及ぶことを最小限にくい止めなければならないことだ。そのためには、作業計画には無理のなかったことを主張し、立証することが大切だと思う。そのとき君の証言の仕方が問題になると思う。工期が短かすぎるなどと言って貰っては困る」 製造部長が一気に喋った。 「次に作業指示の問題だ。最終的な責任は勿論工場長にあるわけだが、個々の作業指示についてまで工場長が関与することはない筈だ。そこで大切なことは君が担当者の責任において、独自に判断して作業指示を与えたことを強調して欲しいということだ」 製造部長が続けて言った。 「ですが、作業に着手する前には、有毒ガスの検定も酸素欠乏状態の測定も行って異常がなかったのですから、当然作業指示はゴーの指示を出すことになると思いますが」 「問題はその点だ。ガス検知をやってオーケーだったから作業着手許可を与えた。しかし実際には酸欠であった。だから死亡事故が発生した。ガス検知が充分でないのに作業指示を出した。そこに過失があった。つまり君が独断でガス検知の結果,異常なしと思って作業着手許可を与えた。このように説明するのが無難だと思うんだが」 「それでは全く私が悪者になってしまうではありませんか」
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