「その通りだ。君に悪者になって貰うのが一番良い解決法だと思う。君は不本意かも知れないが、担当者段階でのミスとしておかないと大変なことになる。作業工程の妥当性にまで調査の手が伸びると操業停止にまで問題が発展することもありうる。操業停止にでもなれば、会社の損失は莫大なものになる。勿論作業工程の妥当性についての検討も行われなければならないが、それは社内的な問題として検討し、次回の定修工事に生かせばいいのであって警察に関与されることは避けなければならない。君も将来のある体だから不本意なことはよく判るが、長い目でみれば一つの経験として将来に生かせると思う。決して悪いようにはしないから、君の段階で責任の追求がストップするように考えて貰いたい。くどいようだが、君の判断で作業指示を発したと証言して欲しいのだ」
「私も自分の担当の所で発生した事故ですからその限りでは責任を感じていますし、酸素濃度検定をもっと念入りにやっておけばよかったという後悔もしています。しかし、残念なのは工程会議で私の意見が聞いて貰えなかったことです。しかし、起こってしまったことを後から悔やんでみても仕方がないことはよく判っています。私も関東石油の社員ですから、会社に及ぶ被害が最小限で済むよう善後策を講じなければならないということも理解できます。仰るように、私の段階で問題が解決されるよう努力してみます」 山本は釈然としない気持ちで答えた。工場長に一礼してから工場長室を出たが、胸の中にはふっきれないものが残った。
翌日山本は警察に呼ばれて調書を取られた。警察で調書をとられた者は山本の他にも工務課長の林田、安全課の大浦、矢口がいた。 警察での取り調べが終わって一週間が過ぎたが松山一朗の遺族は依然として現れなかった。
工務課長の林田と山本は今回の事件で書類送検されることになった。林田は山本の上司である。山本が書類送検されてから数日後、山本は社内でも閑職とされている技術室へ配置替えを命じられた。林田は工場長付きの辞令を貰った。
山本と工務課長の林田が書類送検されることで、この事件が落着するとすれば、関東石油にとってはまずまずの結果といえるものであった。 山本は送検されることは覚悟していたが、送検された時点ですぐ閑職へ配置換えされるとは予想していなかった。関東石油としては、官庁筋に対する姿勢を示したものであり、社内的には一般社員に対して今回の事故の責任の所在を明らかにするという意味を持つものであった。
山本は配置替えを申し渡されたとき、会社の措置は性急すぎると思った。送検されるということは、業務上過失致死の容疑をかけられたということであって、まだ司法的な判断が下されたわけではない。容疑をかけられただけで誰が見ても左遷と受け取れる技術室への配置換えを会社が行ったのは明らかに会社が山本に責任ありと判断したことを示している。山本は冷めた気持ちで工場長から配置換えの申し渡しを受けた。
その日山本は帰りに林田をおでん屋へ誘った。 「林田さんは今回の会社の措置をどう受け止められますか」 「人一人殺しているのだから止むを得ないと思う。僕は甘受するしかないと思っている」 「私は直接の担当者として、林田さんにまでご迷惑をかけてしまって申し訳ないと思っています。人一人が死んだのは事実ですから、処置自体に不服を言うつもりはありませんが、もっと大きな責任が追求されないところが私には納得できないのです」 「どういう意味だね」
「林田さんも工程会議では工期35日説を主張されましたね。それに対して製造部長は30日説を主張しました。そのことです」 「ああ、そういう意味か。愚痴になるから言いたくはないが、今回の定修工事は製造部の横暴に押し切られた面があるのは事実だ。そのために、危険な作業が随分多かった。だけど、一旦命令となった以上はこれに従わなければならないのが組織というものだ。そこでは個人の善意や良心はどこかへ忘れられてしまう」
「私はそうじゃぁないと思うのです。製造部長の上向きの姿勢に問題があると思うんです。本社の意向ばかり気にして現場の意向は考えない。自分の保身のことだけしか考えていないんですよ。我々が送検されることで責任を免れてしまっている。そして追い打ちをかけるように今回の人事です」
「僕も内心では口惜しいと思っているよ。だけどサラリーマンというのは辛いもので、君とこうやって酒を飲みながらせいぜい悪口を言って、憂さを晴らすことぐらいしかできないんだ。君も承知のように、僕は昨年やっと念願の家を建てた。借金だらけだ。会社の処置が冷たいと言って会社を飛び出すことも出来ない。50を過ぎたこの年では職を新たに見つけることも出来ない。忍の一字しかないんだ。屈辱に耐えて会社の措置を受け止めるより仕方がないんだ。首にならなかっただけでも有り難いと思っているんだ」
山本は、寂しい気持ちで林田と別れた。林田から激しい言葉を聞きたかった。例えごまめの歯ぎしりと言われようと犬の遠吠えと言われようと、林田と一緒に怒り狂ってみたかった。だが、現実の林田の姿は初老を迎えた生活に追い回されている哀れな男にすぎなかった。首にならなかっただけでも有り難いと思っているという林田の言葉が頭にこびりついた。
山本はその晩一晩まんじりともしなかった。眠らなければと気ばかり焦るのだが、頭は冴えて色々な想念が、消えては現れ現れては消えた。
タンクの中で二本ぶら下がっていた松山一朗の足。ピーポピーポーと間の抜けたサイレンを鳴らしながら遅ればせにやってきた救急車、松山の遺体を取り巻きながら勝っ手なことを叫んでいる群衆、器用な手つきで松山の目蓋を開いた若い医師、常泉寺に姿を現した車椅子に乗った犬山勇次、度のきつい眼鏡をかけてしたり顔に話しかけてくる総務部長、鼻の頭の汗をしきりに拭っていた葬儀屋、工程会議で製造部に押し切られて首を縦に振った工務部長、執拗に問い詰めてくる刑事、時間の脈絡なしに次から次へと現れてくるのは、いずれも今回の事件に繋がりのある情景ばかりである。
山本は眠らなければとウイスキーをコップに注いで一息に飲み干した。焼ける熱さが喉元を走り抜けた。
新映像配信システム資料請求(無料)はこちら
1,000万円も夢ではないBIZ-ONE
毎日が給料日!毎日の振込が楽しみのDiscovery-net
小遣い稼ぎの虎の巻きBIZ-ONE
|