山本は会社から30万円ほどの退職金を受け取ると常泉寺へ出掛け松山一朗の霊に花を供え線香を焚いて別れを告げた。住職に頼んでお経をあげて貰った。
大阪では山本の実兄が手広くクリーニング業を営んでおり最近副業で始めた貸しおしぼりが市内のホテルや梅田、心斎橋、難波界隈のバー、キャバレー、料亭に好評で商売は繁盛していた。山本は関東石油在社中からサラリーマンなんか辞めて兄の商売を手伝ってくれないかと何回も勧誘を受けていたのである。
将来第三次産業とりわけサービス業の時代がくるのははっきりしており、事務機器のように進歩の速いものや、レジャー用品、衣装類のように流行を追い陳腐化するのが早いものはリースで間に合わせようという時代が必ずくるから、この分野へ早く進出しておいた方がいいというのが兄の持論であった。その手始めに始めた貸しお絞りがうまくいっているので、今度は貸しおむつを手掛けてみたいということであった。資本は大してかからず商売に工夫をすればいくらでも発展の余地があり、これからの目のつけどころは、新興団地のアパートやマンションに出入りして注文をとることだと教えられていた。ある程度客層が安定すれば、次から次へと口コミで新しい客を紹介して貰え、一つの部門として独立することも可能であることを会う度に吹き込まれていた。
関東石油在社中は兄の勧誘もただ聞き流していたのだが、今回の事件が起こってから兄に相談したところ、そんな冷たい会社に義理立てする必要はないから明日にでも大阪へ来いと兄が積極的に勧めてくれたので、関東石油を辞める踏ん切りがついたのである。 山本は常泉寺を後にして新幹線に乗り大阪へやってきた。
新横浜駅へは報国工業の沢村が一人だけ見送りにきてくれていた。 「山本さん。私が至らなかったばっかりにあなたにはとんだ御迷惑をかけてしまいましたね。大きな借りを作ってしまいました。何時かきっとこの借りはお返ししますよ。何かお役に立つことがあれば何時でも気楽に相談して下さい」 山本は沢村の気持ちが嬉しかった。松山の事故があってからは何かにつけて力を貸してくれ、激励してくれたのも沢村であった。関東石油の同僚や友人達は口でこそ、関東石油のやり方を非難し同情もしてくれたが、親身になって相談に乗ってくれる者はいなかった。現に大阪へ新天地を求めて出掛けていく山本を見送りにきてくれたのは沢村一人だけである。 「沢村さん、最後までお世話になりましたね」 山本は万感の思いを込めて沢村の手を握った。
山本が関東石油を退職するらしいという噂が流れたとき、自分の会社へこないかと誘ってくれたのも沢村であった。関東石油の待遇よりも遙に良い条件を提示され、心が動かないでもなかったが、宮仕えを二度としたくないという気持ちが強かったので山本は沢村の申し出を断った。 「山本さんが強い決意をお持ちなら無理には勧めないことにしましょう。山本さんは失礼だが、私の見るところ組織の中では納まって行けないお人だ。御自分で何かおやりになった方が成功するという風に私は見ていました。苦労はあるかもしれませんが、お兄さんと二人で事業をなさることはいいことだと思います。山本さんならきっと成功しますよ」 沢村は強く引き止めるでもなく山本の前途を激励してくれた。山本が大阪へ引き上げることが決まると山本の荷物を送り出してくれたのも沢村であった。
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