前潟都窪の日記

2005年09月30日(金) 無縁仏の来歴18

 サラリーマンを辞めて自分の責任において商売をすることになり、一番気を配ったことは健康管理である。欲にかられて日曜祭日に関係なく働けば仕事はいくらてもあったが、何でも自分で処理しなければならない事業者の立場にたったとき体が資本だということが実感として判った。山本は近くのテニスクラブの会員となり、一週間に一回はどんなに忙しい時でもテニスコートに通って汗を流すことにした。

 いつものように、コートでボールを打ち込んで汗をかきシャワーで流した後、楽しみの一つになっている冷えたミルクを飲んでいると後ろから声をかけられた。
「山本さん。お久し振りですこと。お仕事の方も順調のようですね」
「やあ。これはこれは、増田さん。ここへはよく来られるんですか」
「毎日来ていますわよ」
「それは知らなかった。じゃあ、相当うまくなったでしょう」
「山本さんは毎週水曜日に来られているでしょう。今日で確か五回目の筈ですわ」
「よく知っていますね。何故そんなことを」
 増田喜美江は妖艶な笑みを湛えている。いつも増田喜美江の行動には面食らわせられることが多い。
「びっくりなさったでしょう。貴方の行動が監視されているようで」
「全くだ。尾行されているのかもしれない」
「種明かしをすれば簡単なことですわ。このテニスクラブのオーナーは私なのですよ」
「ほう。それは大したものだ。何時からオーナーになったんですか。社長さん」
「私の父が経営しているんですよ。私はそのお手伝い」
「それでは関東石油を辞めてからここでずっと仕事をしていたということですか。それで貴方が突然会社を辞めた理由が判った」
「ここの他にもテニスクラブを五箇所とゴルフの練習場を二箇所、スイミングクラブを二箇所持っていますのよ」
「大した財閥だね。儲かってしょうがないでしょう」
「ところが、なかなか難しい問題が沢山あるのよ。良いインストラクターやコーチを確保するのが難しいのね。山本さんのような方にテニスクラブの方を見て戴けると助かるんですけれどね。如何ですか」
「突然のことなのでいきなりそう言われても返事のしようがありませんね」「私は冗談で言っているのではありませんよ。お仕事のほうもあるでしょうから良くお考えになって下さい。私は山本さんが会社を辞められた時、一緒に会社を辞めましたが、そのときから山本さんを狙っていたのですよ」
「それはどういう意味」
「私の会社でスカウトしたいということですわ」
「考えておきましょう。食えなくなったらお世話になるかもしれない」
 山本には不可解であった増田喜美江の退職の動機がやっと納得できた。


 < 過去  INDEX  未来 >


前潟都窪 [MAIL]

My追加