前潟都窪の日記

2005年10月04日(火) 無縁仏の来歴21

「これはこれは、山本さん。お久し振りです。すっかり御無沙汰してしまいまして。如何ですか、ご商売の方は順調にいっていますか・・・はい、お蔭様で私の方も貧乏暇なしであいかわらず、ばたばたしております」
 如才ない受け答えを沢村はした。
「ところで沢村さん。例の松山一朗の遺骨の引き取り手は判りましたかね」              「あいにく、まだ判らないのですよ。労働基準監督署からは労災保険の遺族給付金の受け取り手がないため、お金が宙に浮いて困っているという苦情の電話を貰ったばかりですよ。私の方も早く遺族に引き取って貰わないと成仏できないのではないかと気をもんでいるんですよ。警察の方へも時々問い合わせているのですが、さっぱり手掛かりがないようです」

「そうですか、遺骨の身元を特定する遺品のようなものは何も残されていないのですか」
「何しろ名前が偽名でしょう。本名が全然判らないのです。それに生前の写真が一枚も残っていないので、手掛かりが何一つ無いんですよ」
「遺品の中にも本名は残されていないのですか」
「手掛かりらしいものと言えば、警察で領置している神戸銀行製の手帳だけです。その手帳にはカレンダーに○印が四箇所ばかりつけてあって、ページの何枚かには達筆で流行歌の歌詞が書きつけてあるそうです。山本さん、また何で急に思い出したように、そんなことを聞かれるのですか。何か手掛かりでもありましたか」
「いや、私の知り合いの人で、失踪している人がいるのでね。ひょっとするとと思っただけのことなんですよ。それでそのカレンダーの○印は何処へついているんですか」
「ちょっと待って下さい。日記を調べてみますから。一度電話を切ります」              
 山本にはある予測があった。身元を隠して死んだ人がもしカレンダーに○印をつけるとすればそれは家族の生年月日とか、電話番号ではないかと思ったのである 
 やがて沢村から電話が入った。
「山本さんどうもお待たせしました。やっと見つけ出しましたよ。1月7日、5月26日、7月3日、7月22日の所に○印がついているようですね。何の意味があるのでしょうか」
 山本はメモに書き取ったカレンダーの日付を得意先台帳の門川家のところで並べてみた。それは見事に一致するではないか。
 門川作造 大正6年1月17日生                   門川久枝 大正9年7月22日生                   門川 久 昭和20年1月17日生                  門川佳子 昭和22年7月3日生
「沢村さん、もしかすると遺骨の身元は私の知っている人かもしれない」
「何ですって。それは誰なんです。一体」
 びっくりしたような声が受話器の奥から問いかけてくる。                     
「名前は門川 久。私が今の商売で得意先を獲得するため最近出入りを始めた角寿司という寿司屋があるんですがね、そこの長男が謎の失踪をしてから2〜3年経っているんです。今聞いた手帳のカレンダーの日付が角寿司の家族の誕生日と一致するんですよ。門川作造、この人は門川 久の父で大正6年1月17日生まれ、母の門川久枝が大正9年7月22日生まれ、門川 久この人が長男で現在行方不明なんですがね、生年月日は昭和20年1月17日、妹の門川佳子は昭和22年7月3日に生まれています」
 山本は自分の口から出る言葉が興奮のため、うわずっているのに気がついた。
「なるほど。それは大発見だ。でも山本さん、偶然の一致ということもありますよ」
「そうです。私も今それを考えていたところなんです。だが、それを確かめてみる方法があります」
「どんな方法ですか」
「沢村さん、確か今、手帳に流行歌の歌詞が書き残されていると言われましたね。その手帳は警察に領置されているんでしょう」
「そうか、判りました。門川 久の筆跡と手帳の筆跡とを比較してみればよいのですね」
「そうです。門川 久の筆跡の残された手紙かメモでも遺族から預かって明日にでもそちらへ行くことにします」
「判りました。警察へは私のほうから連絡しておきましょう」
 沢村も興奮した声を残して電話を切った。

 山本はこの発見を桑山に教えるかどうか迷った。みたところ桑山は佳子に相当熱をあげている。桑山は山本にとっては佳子を巡ってライバルの立場にいる。遺骨が門川 久のものであった場合の得失を山本は考えてみた。

 桑山は長男で新聞記者である。もし門川 久が死亡していたことになると門川佳子は角寿司を相続することになるであろう。その時には配偶者としては寿司屋を継いでくれる夫を望む筈である。佳子に寿司屋を継ぐ気持ちがなくても少なくとも両親は寿司屋を継がせたいと考えるのが常識である。となると新聞記者という職業を持つ桑山には佳子と結婚できる可能性は小さくなる。一方山本の場合にはサラリーマンに嫌気がさしてお絞り屋を始めたという履歴がある。しかも次男だから両親の老後をみなければならないという制約もない。更に佳子が酸素欠乏で死線を彷徨ったのを助けたという実績があり、父の作造も最近しきりに謎をかけてきている。山本自身としては脱サラして仕事が軌道にのりかけているところだし、チャンスさえあれば仕事の範囲を拡大していきたいという気持ちは充分ある。佳子を妻にし角寿司という暖簾を手に入れることが出来ればこんな都合のよいことはない。
 山本は桑山に会ってみることにした。                              
 山本が日本新聞社に電話すると桑山は丁度出先から帰ってきたところであった。この前話題になった関東石油の例の身元不明の遺骨のことについて手掛かりが得られたので調査方法について相談したいと言うと、桑山は新聞記者特有の好奇心を剥き出しにして是非話を聞きたい。今急ぎの原稿を書いているから二時間後に日本新聞社近くの喫茶店へ来てくれと言った。

 山本は桑山と会うまでの時間を角寿司で過ごすことにした。門川 久の筆跡の残された書き物を手に入れておきたかった。
「山本さん。佳子が大変お世話になったので山本さんに何かお礼をしたいと考えていたのですが、どうでしょう、うちのビジネスホテルで使うお絞りを山本さんのところから納めるようにして貰えませんか」
 作造は山本の顔をみるなり言った。
「それはどうもありがとうございます。ところで門川さん、こちらの御長男の久さんの手紙がありましたらちょっと見せて戴けませんか」
 山本の唐突な申し出に作造は面食らった。              「何でまた」
「久さんの手掛かりがつかめるかもしれないのです」
「ほんとですか、久は今どこにいるんです」
「はっきりしたことはまだ言えないのですが、久さんの持ち物ではないかと思われる手帳がみつかったんですよ」
「どこでてすか」
「横浜の警察です」
「警察で。まさか久が悪いことをして捕まったんではないでしょうね。うちにはまだ何の連絡もきていませんが」
「いや久さんの行方が判ったわけではないんです。門川 久と名前の書いてある手帳を拾った人がいましてね」
「どこで拾ったんですか」

「横浜です。お恥ずかしい話ですがね、この前私が横浜へ行ったとき、スピード違反をして鶴見警察で取り調べを受けたんです。その時財布の入った鞄を拾ったと言って届けてきた人がいるんです。その鞄の中に手帳が入っていましてね。手帳に門川 久という名前が記入してあるんです。住所が書いてないんで誰が落としたか判らないんですよ。警察でも困っていました。たまたま私の隣でそんなやりとりがありましたので、もしかしたらこちらの久さんの物ではないかと思ったわけです。住所が入っていなかったので私も何とも言えなかったのですが、こちらへ帰ってきてから筆跡鑑定して貰えばと思いついたんですよ。もし筆跡が一致すれば、久さんは横浜にいんることになる。そして落とし物に気がついて届けでるかもしれない。そんな風に考えましてね、そのことをお知らせにきたんですよ」

 山本は苦しい嘘をついた。まだあの遺骨が門川 久のものであるという確証は掴んでいない。確証をつかむための資料を入手するための嘘である。
 久が失踪してから日数も経っているので作造にしてみれば、既に諦めているではあろうが、確証をつかまないうちはまだ希望を残しておいてやったほうがよい。山本の思いやりであった。
「そうですか。横浜へ行かれたのですか」
「ええ、ちょっと親戚に不幸がありましてね」
 また嘘をついた。

「門川 久なんて名前は平凡ですから同姓同名は沢山あるでしょう。でも親というものは馬鹿な者でしてね、どこかに元気で生きているだろうと思っているんですよ。山本さんがわざわざ心配して知らせて下さったその気持ちが嬉しいんですよ」
 作造は久枝を呼んで門川 久の手紙を探させた。山本は横浜の警察へ付いて行きたいという久枝を宥めすかして門川 久から久枝宛に出された3年前の消印のある葉書を受け取ると桑山に指定された喫茶店へ急いだ。

 民芸品の調度で設えられた喫茶店はウエイトレスも絣の和服を着ており、落ちついた雰囲気を漂わせていた。山本がコーヒーを注文し終えたところへ桑山が入ってきた。
 山本は手短に手帳のカレンダーの日付と門川一家の家族の誕生日が一致する事実と久枝から預かってきた久からの葉書を桑山に見せた。
 山本の話を聞いていた桑山は葉書を食い入るように見つめてから言った。              
「なるほど、山本さん。私もきっとその遺骨は門川 久のものだと思いますね。この葉書を鶴見警察へ持ち込んで、筆跡鑑定をして見なければ、断定は出来ないが、まず間違いないでしょうね。それにしても門川 久が何故人足にまで身を落としてそんな所で事故死したのかが判りませんね」
「これから鶴見警察署へ行ってこようと思っています。何かそのあたりの事情がわかるかもしれないと思うのですが」
「私が今の話を聞いて変だなと思ったのは、事故死だという前提で全てが運んでいますが、犯罪の匂いは全然なかったのかということです。山本さん、その点はどうなんですか」

「犯罪?」
 山本は虚を突かれる思いであった。今まで考えてみさえもしなかった発想である。
「そうです。第三者として話を聞いていると犠牲者の身元が未だ判明しないということは巧みに仕組まれた犯罪であったのではないかという素朴な疑問が湧いてくるのですが」
「私は今まで、犯罪という疑問は持ったことがありませんでした」
「私は遺体の引き取り手のない葬式の取材をしたとき、極東石油の総務課長が顔の筋肉をひくひくさせながら取材を中止させようとしていた姿を覚えていますよ。あのときは広報担当者として会社の不名誉になることだから、極力取材を拒否しようとする行為だとあまり気にもしないで受け止めていましたが、今考えてみると不自然な気がするんですよ」
 桑山は山本の顔を覗き込むようにしてじっと目を見据えた。
「そう言われると会社の幹部の対応も事故の責任を下へ下へと押しつけようとする態度に終始していたのが思い出されますね。私はサラリーマン特有の保身の術だと理解していましたが、掘り下げてみれば何かが出てくるかもしれませんね」

「犯罪には必ず動機がなければならないのですが,若し門川 久の死亡事故が殺人事件であったとして、彼の死亡によって得をする者は誰かということです。会社の取引で得をするも者がいるのかどうかということが一つの着眼点でしょうね。あの事故は定修工事中の事故ですから、工事発注に関係した損得を考えてみると判りやすいかもしれませんね。どうです、山本さん何か思い当たることはありませんか」
「あの事故の後私は直接の担当者として鶴見警察で取り調べを受けましたが警察では単なる労災事故という観点から業務上の過失責任を明らかにするという捜査をしていたようです。殺人事件という疑いは全然持っていなかったのではないかと思いますよ」

「まあ、それはともかくとして、松山一朗という身元不明であった仏が門川 久なのかどうかということだけでもはっきりさせる為には鶴見へ行かなければならないでしょう。私も一緒にいきますよ。ところでこの事実は角寿司の両親や佳子さんには知らせてあるのですか」
「ただ手掛かりがつかめるかもしれないとしか言ってありません」
「その方がよいでしょう。それにしても門川 久が変死していたと知ったら両親は嘆くでしょうね。ひょっとしたら行方が判るかもしれないという儚い希望をもっていただけにその落差は大きいですね」
 桑山は職人気質の門川作造がどのような嘆き方をするのだろうかまた佳子はどんな顔をするだろうかと、その時の場面を想像しながら言った。
「それを思うと切なくって。今から気が重いですよ」
 山本は佳子の悲嘆にくれる姿を思い浮かべながら言った。                                          報国工業の沢村からの早く状況して欲しいとの要請を受けて、山本と桑山は日程の調整をし鶴見警察で待ち合わせることにした。山本は新幹線で行くことにしたが、桑山は四国での別の取材を済ませてから高松空港から飛行機で駆けつけることにした。
 鶴見警察で落ち合った山本、桑山、沢村は長谷部刑事に門川 久が母の久枝宛に出した葉書を手渡した。警察に領置されている松山一朗の手帳の筆跡と照合し松山一朗と門川 久が同一人物であるか否かを筆跡鑑定して欲しいと依頼したのである。

 筆跡鑑定の結果は予想通り同一人物の筆跡であることが判明した。
 この結果を前にして三人三様の受け取り方をした。

 山本はこれで門川佳子と結婚できると考えた。山本は神の操る運命の糸を感じざるを得なかった。自分が会社を辞めざるを得なくなった直接の原因である労災事故の被害者が身元不明のまま3年過ぎていたのに、たまたま知り合った門川佳子の行方不明の兄と同一人物であったとは。

 桑山は筆跡鑑定の結果は間違いであって欲しいと願った。門川佳子の行方不明の兄がほんとに死んだのなら、彼女と結婚できる可能性は殆どゼロになる。客観的な資料は、そのことを雄弁に物語っている。これは犯罪に違いない。門川 久は殺されたのだ。殺した犯人を探しださなければならない。ひょっとすると山本が犯人であるかもしれない。恋仇に対する敵意は異常な形をとってエスカレートするものである。

 沢村は長い間、無縁仏であった門川 久がやっと身内のもとへ引き取られることになってよかったと素直に喜んだ。そして山本が新しく開拓した分野で成功していることを聞いて嬉しく思った。

「沢村さん、事件後定修工事の発注関係に何か変化はなかったでしょうか」と桑山が聞いた。
「あのことがあってから、特命受注ではなくなり東都プラントと競争見積りをやらされていつも苦戦していますよ」
と沢村が答えた。
「東都プラントの河村さんは元気ですか」と山本が懐かしそうに沢村に聞いた。
「非常に羽振りが良くなって肩で風を切って歩いていますよ」
「東都プラントは何時から関東石油の常駐業者になったのですか」
「確かあの労災事故が起きてからです」
と沢村が答えた。
「沢村さん、その事に報国工業として東都プラントの謀略を感じませんでしたか」
「私どもとしては他人の不幸を食い物にしやがってと口惜しい思いをしましたが、死亡事故を起こしたあとでもあるし、お客さまの指示ですから止むを得ない処置であるとして甘受しました」
と沢村が答えた。
「山本さんが会社をお辞めになったのは何故ですか」                        と桑山が何か思いついたように言った。
「会社のエゴイズムと上司達の責任転嫁が許せなかったからですよ。私も若かったのですね」
「どんな責任を転嫁されたのですか」
と桑山が促した。
「定期修理工事の工程を安全重視の観点から余裕のあるものに組み直すという私の提案を生産計画優先の理由のもとに検討もせずに却下したことです」              
「そのことは警察や労働基準監督署の取り調べの時にはっきりおっしゃいましたか」
「言っていません」
「何故ですか」
「私だって関東石油の管理者のはしくれです。会社が営業停止処分を受けることになるかもしれないから、そのことだけは喋らないでくれと工場幹部から頼まれれば喋るわけにはいかないでしょう」

「それからほかにはどんな責任を転嫁されたのですか」
「作業着手前にガス検知を充分行って基準に照らし安全圏内だったから作業着手オーケーの作業指示を出したのに死亡事故が発生しました。つまり私がガス検知が充分でなかったのに、錯覚してガス検知はオーケーであると判断した所に過失があったとして責任をとらされたことです」
「あなたは作業着手前のガス検知は充分であったと思っていたのでしょう」「そうです」

「それなら何故ガス検知が不十分なのに充分であると錯覚して作業指示を出したなどと自分に不利になるような証言をしたのですか」
「私が罪を被れば四方丸く納まると考えたからです」
「ガス検知結果の数値はあなたご自身の目で確認されましたか」
「勿論確認しました」
「確かに安全圏内の数値でしたか」
「そうです」
「取り調べの時にもガス検知の数値は確認されましたか」
「係官が確認しました」
「問題にはなりませんでしたか」
「安全圏をかなり上回っている数値だと言われました」
「反論しなかったのですか」
「取り調べの始まる直前の打ち合わせで測定結果の数値を安全圏すれすれのところへ改ざんすることになっていましたから反論することはできませんでした。私が責任を被るにはそれが一番よい方法だったのです」
「結論はどうでした」
「私と私の直属上司が書類送検されただけでこの事件は収まりました」


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