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京浜銀行の横浜支店から300万円の現金を下ろしてきた早坂龍一は愛車のマーキュリーを運転して、産業道路の一つ手前の交差点に差しかかった。 早坂が交差点に入りかけたとき信号が変わった。いつもの早坂なら躊躇うことなくアクセルを踏み込んで通り抜けるのだが、今日は大事な現金を持っているという意識が彼の行動を慎重にさせた。アクセルを踏むべきかブレーキを踏むべきか一瞬躊躇した。ほんの僅かな時間迷った後、早坂はプレーキを踏み込んで急停車した。愛車のマーキュリーがタイヤの軋む音をたてながら静止しかけた時、後続の車に追突された。鈍い衝撃音がした。前につんのめるような衝撃をうけたが、幸い体は何処にもぶっつからなかった。衝撃の程度からして、車の後部はかなり損傷したにちがいない。
車の接触事故が起きた時には、早く車から降りて相手の機先を制し、先に第一声を発した方が事後の交渉を有利に展開することが出来る。 早坂は運転席から降りると大声で怒鳴った。 「気をつけろ」 追突した車からも早坂の声に誘い出されたかのように、サングラスをかけた体格のいい若い男が降りてきた。顎には髭を蓄えている。 「どうも済みません。申し訳のないことをしました。お怪我はなかったでしょうか」体に似合わずサングラスの若い男は、頭をペコペコ下げながら謝った。 早坂は相手から下手に出られると怒ってみるのも大人気ないと思ったので衝突部の被害の状況を調べることにした。被害者なのだから、相手に車を修理させなければなるまいと考えながら、衝突部を調べていると、突然早坂のマーキュリーが排気ガスを勢いよく吐き出して動きだした。 追突してきた車の若いサングラスの男が何時の間にか早坂の車に乗り移っている。異変に気がついた時には、早坂のマーキュリーは現金300万円の入った紙袋を助手席に置いたままスピードを上げて走り去った。
慌てた早坂は置き去りにされた加害者の車に乗って追跡しようとしたが、エンジンキーが抜いてある。追いかけようにも足がない。傍らを通る車は見知らぬ顔で通りすぎていく。都会の無関心であろうか、わざわざ車を止めて声をかけてくれる人もいない。 警察に届けでれば交通事故を偽装した300万円強奪事件として緊急手配してくれるであろうし、盗まれた車はマーキュリーなので、人目につきやすい。自分の車だからナンバーも判っている。犯人は直ぐ捕まるであろう。だが盗まれた金の出所を警察に追求されると困る事情があった。 早坂は暫く思案した。 「300万円といえば大金だ。警察というところは疑い深いところだから、確かに300万円車に置いてあったかどうか、第三者の証言か物的証拠を求めるであろう。そうすると,横山支店長に確かに300万円引き出したという証言をして貰わなければならなくなる。匿名預金の存在を警察に教えるようなものだ。新聞にも報道されるだろう。三百万円だけにとどまればいいがそれ以外のものまで調べられたら事が面倒になる。却って藪をつついて蛇を出す結果にならないとも限らない。300万円は諦めた方がよさそうだ。だが、車のほうはどうだろう。盗まれた車にはナンバーがついているから犯人はきっと車をどこかで乗り捨てるだろう。犯人の心理としていつまでも盗んだ車に乗っている筈がない。まして、300万円という大金を盗んだばかりだ。被害者から直ちに盗難届けが出されることは当然予想しているだろう。乗り捨てられた車は放っておいてもナンバーが登録してあるのだから自分のところへ戻ってくる筈だ。その時、車の盗難届けを出しておかなければ不審に思われるかもしれない。理由を調べられたら厄介だ。300万円とられたことは犯人と自分しか知らないことだ。自分さえ黙っていれば、犯人が捕まって自供しない限り、誰にも判らないことだ。恐らく追突して乗り捨てられた車も何処かから盗んできたものだろう」 ここまで考えて早坂は結局追突事故に遭って、車を乗り逃げされたことだけを警察へ届け出た。300万円盗まれたことは自分の胸にだけ納めておくことにした。犯人の特徴は小柄で黒眼鏡をかけた中年の男と届けておいた。犯人が捕まらないで車だけ戻ってくればいいと思ったからである。犯人が捕まって早坂が300万円盗まれたことが明るみに出ては困るのである。 早坂は小さな工事会社の社長である。鉄骨工事を得意とし、日本の高度成長期には面白いほど儲けた。早坂は要領のよい男である。人生とは演技であると信じている。悲しい振りをした方が得なときには内心で大笑いしながら悲しい振りをすることができる。楽しい振りをした方が得な時には、例え肉親が死んだ時であっても楽しくてたまらないといった表情、態度を装うことができる。それぐらいの演技ができなければ、このせち辛い世の中で成功する資格がないと信じている。うまく立ち回ることに人生の生き甲斐を感じているような男である。儲けた金を早坂は裏金として数億円も蓄えた。脱税の金である。材料の架空仕入れ、架空人件費の支払い、売り上げの過少計上等およそ企業の脱税に使われる手口は色々研究して巧妙に隠し財産を蓄えていった。 今日盗難にあった300万円も表に出すことが出来ない金である。早坂が一番恐れているのは税務署である。ロッキード事件が発覚してから,そのとばっちりで隠し預金が見つかり、国税局の査察に入られ会社倒産の憂き目をみたという同業者の話も聞いている。早坂が今日出してきた金も京浜銀行の横浜支店に預けておいた無記名定期預金を満期解約したものである。この300万円を解約するについても、支店長と解約するか、更新するかでやりとりがあった。銀行はお客からコストの安い預金を集めて、資金需要のあるお客へ高い金利で融資し、金利差を稼ぐたとによって成り立っている事業である。一定期間払い戻ししなくて済む定期預金は安定した貸し出し資金として豊富に集めたがる。あの手この手で預金熱めに狂奔する。 「人事移動で支店長が交替したから名刺代わりに預金をお願いします」 「支店開設10周年記念キャンペーンには預金を宜しく」 「当行の合併5周年記念として預金にご協力下さい」というように事あるごとに預金を勧誘する。汚れた金であろうと清潔な金であろうと選ぶところはない。ただ預金を増やせば支店の成績が上がるのである。 早坂も事業をやっていく上で銀行から融資を受けられないと採算の上がる利幅の大きい仕事の引き合いがあっても受注することが出来ない。 早坂の経営する早坂建設工業株式会社は従業員70人程の小企業である。大手の建設会社の下請けをしているのだが、工事代の回収はサイトの長い手形であり、職人達に支払う人件費は現金払いである。このため、請け負い工事が完成するまでの間は立て替え払いが必要となり、工事代を回収してからも今度は受け取り手形を割引して貰わなければならない。常に銀行から融資を受けなければ会社を経営してゆけない。 銀行から融資を受けるためには、必ず見返りに預金を要求される。一千万円の資金を調達しようとすれば、不動産担保をとられた上、最低300万円位の定期預金をしなければ資金の必要なときに直ぐ借りることができない。 早坂は表向きの資金の効率化をはかるために、裏金を取引銀行に匿名預金として預けている。小企業が銀行と対等に渡り合って金融引き締めの時期にも融資を受けることができるのは裏金預金のせいである。莫大な立て替え資金が必要となる請け負い工事を業としている小さな工事会社にとって裏金造りは必要悪である。 早坂が車の盗難届けを出した翌日、警察から連絡があって、早坂のマーキュリーは川崎駅前に乗り捨ててあることが判明した。また早坂のマーキュリーに追突した車は、二日程前に東京都内で盗まれ、盗難届けの出ていた車であることも判明したが犯人は捕まらなかった。
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