前潟都窪の日記

2005年10月13日(木) 縁日の金魚鉢 8−1

 8.
                         
「社長、山本太郎さんという方を御存じでしょうか」
 早坂がいつものように、事務所へ出勤してくると、総務課の木山みどりがお茶を盆にのせて社長室へ入ってきて聞いた。
「山本太郎ねえ。聞いたことのない名前だな」
「先程、お電話がございましたので」
「用件は」
「それが、社長に直接お話したいことがあるとおっしゃっただけで、用件をおっしゃらないのです」
「商品取引かゴルフの会員券の勧誘だろう。山本太郎という名前に心当たりはないよ」
「そうですか。それでは失礼します」
 木山みどりは丁寧に一礼すると社長室を出て行った。芳しい香水の香りが残された。木山みどりの均整のとれた後ろ姿を見送りながら、早坂はこの娘も最近とみに色気が出てきたな、恋人でもできたのではないかなとふと思った。            
 木山みどりは4年前、女子事務員募集の新聞広告を見て応募してきた。田舎の高校を卒業して、銀行へ半年程勤務したが、残業の多いのを嫌って転職してきたのである。なかなか気のきいたところがあり、どこか男好きのする顔だちが早坂の好みにあったので、総務課に配置し社長秘書も兼務させている。

 早坂は自分宛に掛かってくる電話は、社長室には直接回さないよう社員達に申しつけてある。電話回線は7本入っているが、電話交換手は置いていない。受話器についている押しボタンの操作によって通話する方式をとっている。早坂宛の電話は総務課の木山みどりに回される。木山みどりの電話応対は機転がきくし声に愛嬌があるので、客先の評判もよい。
 木山みどりは、山本太郎と名乗る男から社長宛に電話がかかってきたときその声質が彼女のボーイフレンドとあまりよく似ているので、最初ボーイフレンドが自分にかけてきたのかと思った。勤務先へはお互いに電話をかけない約束をしているので、相手の名前を確認すると山本太郎と名乗った。早坂に直接話したいことがあるという。用件を聞いても早坂に直接話さなければ判らないことだと言った。
 木山みどりが早坂の秘書として知っている早坂の交遊関係の中には山本太郎という名前はなかったので、早坂に確認してから取り次いだほうがよいと判断して社長不在ということにしておいた。

 最近不動産業者、商品取引業者、ゴルフ場の会員券取引業者が、門前払いを喰わされるのを警戒して、社名と用件を言わず自分の姓名だけを名乗ってあたかも社長と旧知の間柄のように装って電話してくるものが多い。木山みどりは,総務課へ配属されて間もない頃、早坂宛に個人名を名乗って馴れ馴れしい言葉でかかってきた電話を早坂の旧知の人と思い込み、社長へ取りついだところ、生命保険の勧誘員だったことが判り、小言を貰った苦い経験を今でも忘れていない。それ以来、得体の知れない相手からの電話は全て社長不在ということにして、相手の連絡先と用件を聞いて置くことにしている。 早坂の部屋には電話帳に登載されていない直通電話と木山みどりを介して廻されてくる電話と二つの受話器が置いてある。

 昼の打ち合わせ会議を終わって、溜まった書類に目を通しているとき、木山みどりがおそるおそる困惑した顔で社長室へ入ってきた。
「社長どうしましょうか。また山本太郎さんから電話がかかっていますが。何でもある事件のことで内密に直接社長と話したいと言っておられるのですが」早坂は面倒臭いと思ったが、ある事件のことでという言葉にひっかかった。
「そうか。出てみよう。廻してくれ」
 木山みどりは山本太郎のしつこい電話から解放されて、軽い足取りで社長室から出て行った。早坂は腰廻りの肉付きが良くなったな、きっと男ができたに違いないと又思った。
「もしもし、早坂社長さんですか」
「早坂ですが」
「やっと電話に出て戴けましたね」ハンカチでも口にあてて喋っているらしく、押し殺した声が耳に飛び込んできた。
「どのような御用件でしょうか」
「いかがですか。車の修理は終わりましたか。折入って御相談したいことがあるのですが」
「一体何のことでしょう」
「社長さん,おとぼけになっては困りますよ。何か大切な物を車の中に置き忘れたでしょう・・・・」
 早坂は一瞬絶句した。やはりあのことだと気がつくと、受話器を握る手に知らず知らず力が入って
「一体君は何者だ」声がうわずっているのに自分でも気がついた。
「どうです、社長さん。直通電話の番号を教えて下さい。また後でかけ直しますから。壁に耳ありですよ」山本太郎は勝ち誇ったような声を出した。相手の要求が判らないだけに不気味であった。直通電話の番号を教えろとか壁に耳ありとか言っているのは秘密は守ってやるということだろう。早坂は電話の相手はあの時の犯人かもしれないと考えた。
「ちょっと待ってくれ」

 早坂は受話器をそのままにして社長室の扉の窓から事務室を覗いてみた。木山みどりが一心に算盤を入れている姿が目に入った。他に受話器をとっている事務員が二人ほどいたが、現場と冗談のやりとりでもしているらしく笑い声をだしながら何か喋っている。早坂は盗聴されていないことを確かめてから、直通電話の番号を教えた。受話器の向こうに黒いサングラスをかけた若い男の姿を想像しながら受話器を置いた。気がつくと受話器が汗で濡れて黒く光っていた。


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