前潟都窪の日記

2005年11月04日(金) 泰西名画展1

       泰西名画展             
                                   
 昨日までぐずついていた空も、今日は朝からカラット晴れ上がり、先祖の墓参りをするには絶好の行楽日和である。
 秋分の日の一日、吉川は父の墓前に額づき、父が急逝した日のことを思い出していた。それは7年前、丁度今日のような行楽日和の日曜日の一日を、家族揃って、上野の博物館へエルミタージュ美術館所蔵のルーベンスの名作「ダナエ」展を鑑賞に行った日の出来事であった。名作を堪能し、満ち足りた気分で家路につき、玄関を入ったところで電話のベルが鳴っていた。電話は大阪のある薬品会社の工場長として勤務していた父が心筋梗塞で倒れ、救急車で病院へ運ばれる途中絶命したと涙声で告げる母からの悲報であった。
                                 
 墓参りを済ませてから、東京へ岡 鹿之助展とミレー展を見に行こうと子供達を誘ったが高校2年と中学1年の娘達は、中間考査中であるということを理由に吉川の提案をいともあっさり断った。妻は妻で、日曜祭日には会場が混雑してゆっくり見られないから、平日に主婦仲間と一緒に行くつもりであるという。

 家族と別れた吉川は、中年の寂しさとわびしさを胸に秘めて、ブリジストン美術館に身を置き、岡 鹿之助の詩情溢れる色彩美の世界に没入していった。芸術の秋とあって会場には人があふれ丹念にノートにメモをとる人、足早に通り抜ける人、連れに解説しながらゆっくり歩いていく人等いつもながらの展覧会の光景である。 
 ところが、さっきから吉川の隣にいる中年の女性はどうも気になる存在である。黒いスーツを着た小柄なその女性は、眼鏡をかけておりお世辞にも美人とは言えない容貌でどこか陰鬱な雰囲気をたたえている。
 彼女はどういうわけか、吉川が移動すると同じように移動し、吉川と並んで常に同じ絵を見ているのである。
 最初は別に気にもしていなかったが、吉川に寄り添うようについてこられると意識せざるを得ない。

 彼女から離れようと思いわざと足早に次の絵へ移ると、彼女も陰のように移動するし、ゆっくり時間をかけて、やりすごそうとしても吉川が動くまで動こうとしない。彼女の視線は絵に向けられており、吉川のことなんか全然意識していないというような顔をしている。変な人だなと思いながら、絵を見終わって会場から表通りへ出ると彼女も続いて往来へ出てきた。往来の雑踏の中でやっと彼女の姿が見えなくなったので、死に神から解放されたような気分で今度はミレー展の会場へ向かって足を運んだ。


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