2005年11月11日(金) |
仮説 小野小町は男であった4 |
大町は生まれた子供を女児として育てるにあたっては男根を切除するという大胆なことをおこなった。そして、出羽国へ国司として赴任することになっていた一族の小野良実に嬰児を女児として密かに託したのである。小野良実には実子の女の子がいたが、小町と別け隔てなく育てた。
小野良実によって出羽国で幼年期を女児として育てられた小町は長ずるに及んで和歌の才能を開花させた。出羽国から帰京した時は十五才の年頃になっており、母大町の勧めによって仁明帝の更衣として宮廷に出仕したが、容姿端麗で顔も美形なので絶世の美女との評判であった。詠む恋の歌は情熱的で仁明天皇朝のサロンに集まる文化人達の憧れの的であった。特に次の歌は小野小町の恋の情熱を伝えるものとして有名である。 「思いつつぬればや人の見えつらむ 夢としりせばさめざらましお」 「わびぬれば身をうき草のねをたえてさそふ水あらばいなむとぞ思ふ」 小町が才媛であることを伝える話は幾つもあるが、次の物語は謡曲「草子洗い小町」として古くから愛好者によって謡われているものである。
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