前潟都窪の日記

2005年11月16日(水) 仮説 小野小町は男であった7

 ところで小町の生みの親である大町が、嬰児小町の男根を切除するにあたっては、小野家の秘伝となっている隋の煬帝からの返書の内容が頭の中にあったのである。即ち隋・唐の朝廷には男根を切除した宮廷奉仕者「宦官」という人種のいることを知っていたのである。

 小野一族の先祖に当たる小野妹子は六0七年に聖徳太子の国書を携えて遣隋使として大陸に渡り、皇帝煬帝に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」という有名な国書を渡した外交官である。小野妹子は帰国にあたり隋皇帝煬帝より国書を託されたが、妹子は帰国後この国書は帰国途中に百済の国を過ぎるとき、百済人に掠めとられたので提出することが出来ませんと報告した。

 この国書盗難事件については、1)本当に国書を奪われたとする説と 2)国書の内容が日本を東夷として見下したものであったので、妹子が道中破棄して盗難にあったと偽ったとする説がある。
 大町が口伝された小野家に伝わる秘伝の隋の国書には「東夷の国は宦官を貢物の中に加えて朝貢せよ」との一条が入っていたのである。

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