2005年11月18日(金) |
価値判断の基準についての考察2 |
そこで私は、損得、善悪、快不快、真偽、好嫌、美醜、大小、多少、正邪苦楽、悲喜、合理非合理といった言葉の中に隠されている判断基準というものを考察してみたいと思った。
ある一つの行為を考えてみたとき彼をしてその行為をとらしめた判断基準と言うものがあるはずである。その行為の選択は損か得か、善か悪か、快か不快か、真か偽か、好ましいか嫌いなことか、美か醜か、大か小か、多いか少ないか、正か邪か、苦か楽か、悲しいことか嬉しいことか合理的か非合理的かといったことを総合的に勘案して決められる筈である。どの基準にウエイトを置いて選択するかによって現れる行為の結果がその行為を選択した人のパーソナリティーを表していると見てよいであろう。
これらの基準は定量的に示すことの出来るものもあれば定性的にしか表現できないものもある。例えば損得の基準は定量的に把握することができる。金額で表示することも出来るしある単位による数量で表示することが可能である。ところが善悪の基準は数量的な把握が難しい。我々が生活していく上でこれらの基準は我々にどのような関わり方をするのであろうか。これらの基準がどのような場面でどのような形で使われているかを具体的に考察してみれば、これらの基準を体系的に整理することができ、我々の日常生活への関わり方を明らかにすることが出来るかもしれない。
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