暁降
あかときくだち:
夜が更けいって、明け方近くになること。

2004年05月02日(日) 『オーシャン・オブ・ファイヤー』

■始まりが終わり、明日へ続く■



●『オーシャン・オブ・ファイヤー』
先月になりますが、観てきました。新宿ミラノ座まで行って(笑)
此処は試写会場であり、『オーシャン・オブ・ファイヤー』の衣装が飾られているところでもあり、サインパネルも飾られているところです(笑)

●映画
私的に、とっても楽しませて頂きました!
一部(と云うか、羽鳥ちゃんと某S枝さんだけ)が、私がViggoMortensenに大嵌りな事を知ってるんですが。
そのViggoファンである私ではなく、昔のウエスタン要素を盛り込んだ古き良きハリウッド映画を幼い頃さんざん観てきた私的に、か〜な〜り、楽しい素養がありましたッ。

そう、解る人にはとても楽しい、アニー・オークレイ(ワイルド・ウエスト・ショーの姉御的な彼女!)が出てきていて、フランク(Viggo役名)が、「Annie,get your gun!」と、言うんだからたまんないッ。
あぁ、ホント、この台詞の時は思わず小さくガッツポーズしちゃった(照笑)
アニーって呼ばれてたときから、もしや、と思って観てたのよ!“バッファロー・ビル・コディ”って云うのも、事前には知っていたけれど、映像で観るとなるとまた格段と違っていて、楽しい〜ッ!
洒落が効いてて、とっても良いの!


●と、なんでViggoに行く前にそこで騒ぐかと云えば。
私の幼少時の映画体験に帰っちゃうのよね。
父親が兎も角も色んな映画を観せてくれていて、こう古巣に帰った、って感じが強くしたのよね。なかなか最近の映画じゃ、そんな内容のモノはなかったから。
兎も角もオーシャン・オブ・ファイヤーはこの時点で私的には大ヒットだったのさ(苦笑)



●ViggoMortensen
この人は自分を感じさせないで演技をする人だなぁ、と。
映像の中の彼は、“ViggoMortensen”ではなく、“Frank Hopkins”でしかなかった。Viggoという人格はなくそのもの全てがFrankだった。

●最近、とみにViggoの過去の作品をレンタルして観ているのだけれど。
その映像の中の彼も、ViggoMortensenという人格はなく、良い意味で脇に埋もれきってしまっているのだ。
【その人物がそこに当然いるように】
匂いも色も雰囲気も空気も全てをも、彼は自在に変えることが出来ている。


●『オーシャン・オブ・ファイヤー』に戻って。
評価とか、批評とか、感想とかはいろんな処で沢山の人たちが書いてるのであんま意味無いし、書かない。
ってか、好きだよこの映画。
ViggoMortensenが例え出演してなかったとしても。
ってか、またしても私は内容よりも映像の撮り方とか、背景とか小道具とか、衣装とか、編集とか、効果音とか、BGMに気を取られてたらしくって、あんまり覚えてない、内容を……。

ただ。

余りにも青い空。
白い乾いた大地。
どこまでも続く砂漠。
冬枯れの空気までが凍りそうな西部の大地。
早い春の緑豊かな馬駆ける地。

それら全てが、それらだけでも綺麗で、そして完結していた。

アメリカを映してる部分は人と馬が混在して風景にいてもそう、邪魔ではなく、むしろ当たり前にいて美しかったけれど。
アラビアの生きる全ての存在を排除する厳しく美しい大地では、人も馬も邪魔だった。
ただ空と、大地さえあれば充分だった。

私が観ているのは、どうしてかいつもそんな部分(笑)


●兎も角も。
気になったなら、観てください、としか云いようがない。
あの風景だけでも見る価値はある。
特に心奪われたのは、最後の方に来る、ViggoとTJがへばってへばって、もうダメだ、となっている頃の、空と大地のコントラスト!
あぁ、本当に主人公二人組が要らないとさえ思った私は、Viggoファンか?

●あぁ!
ViggoMortensenについて。
鞍無しの馬(轡はつけてる)に乗って、あそこまで全力疾走させれる彼には脱帽。

●BGMが。
自分もオーケストラの一員として参加して吹いてたら楽しそうな曲だよなぁ、と思った。
壮大でさ。
演奏後、きっと爽快感が来ると思うんだよね。
(だから内容はさ……自分……)


●観客。
平日水曜日(またもやか!)の、初回に行ったのに、割に人が多かった。
しかも、きっと大半はViggoファンの女性だろうと当たりを付けていたのに反し、
観客の多くはおば様(これはきっと話題作という意味で観に来られている)とおじ様方(これは絶対に馬好き!の)だった。しかも男性が多かった!!
吃驚。
さらに、二回目上映の際には、並びが出来ていたのだ!
たしかに話題作だがどうにもインパクトが弱い、と思っていた(失礼な)ので、これにも仰天。



●写真集
この日、念願のViggoMortensenの写真集が買えました。
『45301』と、云うタイトルの。

そうして、やっぱりこの人が観て表すものが好きなんだと再確認。

多分、Viggoが撮る写真はViggoファンと、その傾向が好きな人でないと好き嫌いがハッキリと別れそうな作品である。
解りがたいのだ、表現する先のものが。
(ちなみに私は彼の絵は苦手だ。写真にペインティングしているものも)


●私はViggoの写真が好きかどうか、と問われれば、好きだ、と答えられます。
ただ、彼の絵や、詩はどうか解らない。
詩は第一読んだことがないし、絵に関しては実は苦手。余り好きな部類の絵じゃない。
ただ、本当にViggoの写真は悔しいくらいにムカついて、そして、好きです。
彼が捉える視線の先にあるもの。と、云うのか。
彼が捉え、表すことが出来るもの。が、私が追い求めて止まない部分だからです。

私がどんなに自分で捉えて、観ているものを的確に掴まえて出そうとしても、あぁも巧くいかないんです。
どこかにどうしても、旨く表現してやろう、褒めて貰おう、感嘆して貰おう、と云う部分が混ざってしまって。

ViggoMortensenはそんなことお構いなしに表現している(ように私には思われる)

初めて、ネット上で彼の作品の一部を観たとき、衝撃だった。
悔しかった。
哀しかった。
私が欲しいものをこの人は手に入れてる。

そう、思わされてしまった。

それから彼をもう一度よく見る為に『指輪物語』を観、過去の出演作品を観、そうして結局俳優としての彼に嵌った。
写真家である彼は、やっぱり悔しいけれど、目標となる人物になった。
詩人で画家でミュージシャンの部分の彼はまだ知らない。 


●彼が表現することを止めてしまう日が来ないことを祈らずにはいられない。


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