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2025年04月05日(土)
『1980 僕たちの光州事件』

『1980 僕たちの光州事件』@シネマート新宿 スクリーン1

「1980年5月」に「光州」で「中華料理店」を開いた家族の物語。軍部と学生、それに報道側からというのは結構あるけど、もともと光州に住んでいた普通の人々がどう巻き込まれたかを描いた映画ってあまりない(というか初めて観たかも)。つらい。字幕監修が秋月望さんでした 『1980 僕たちの光州事件』

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Apr 5, 2025 at 18:02

原題『1980』。2024年、カン・スンヨン監督作品。冒頭「史実を元にしたフィクションである」という断りがつく。ファクションの一種ともいえるが、登場人物にはきっと複数の──あの日光州にいたあらゆる生活者たちの──姿が投影されている。

お店の開店日は5月17日。溌剌と鍋を振るお父さん、ひとあたりの良い接客で場を明るくする長男のお嫁さん、結婚を控え浮かれる長髪の次男。お客でいっぱいの店内、子どもははしゃぎ、記念写真を撮り……笑顔が溢れる光景。やがて幸せそうに見える家族にもさまざまな事情があり、それでも懸命に生きていることが見えてくる。

お店を継がずに学生運動に出掛けている長男、お店を継ぎたいけど次男だからと燻る次男。軍人たちが口にする「アカ」という蔑称、「中国メシ屋なんか」継ぎたくないと屈託なく口にする孫。おそらく店主は華僑(或いは北朝鮮出身)なのだろう。勤勉に働き、料理の腕を磨き、念願の店を開く迄の道のりを想像する。妻を亡くした事情や、そのことで次男との間にわだかまりがあることも見えてくる。これから何が起こるかを知っている観客は胸が詰まる。そして何が起こるかは知ってはいるが、この家族や近所の人々に降りかかる出来事を観客は知らない。

何故こんなに軍人がうろついているのだろう? 何故外出禁止の時間が早まったのだろう? 町の人々は「何が起こっているんだ?」と囁き合う。デモの学生を取り締まっているだけじゃないのか? ストーリーが進むにつれ、観客は光州の住人とともに驚き、嘆き、歯噛みすることになる。

死者の数は今でもはっきりせず、政府の発表と実情には大きな差異がある。行方不明者も多いという。ウクライナやガザでも同様のことは起きているが、この出来事は国内で、自国の軍によって起こされたものだ。命令に従うしかなかった「仕方なかったいい軍人」の描写がほんの少し仕込んであるのがやるせない。SNSなんて影も形もない時代。接するメディアは情報統制され、地方都市への差別は根深い。こうなる迄何もしなかったのか、何も知らなかったのかと、住人を責めることなど出来やしない。

「光州民主化運動」であって「光州事件」と呼んでほしくないというひとがいることは知っている。だから邦題が少し気になるが、日々のちいさな幸せを呆気なく踏み躙られたあの家族にとって、1980年5月の出来事は事件としかいいようのない出来事だったかも知れない。運動の結果ではあっても事故ではない。取り残された(としかいいようがない)女性たちのその後を思うと胸が詰まる。

先日罷免となった尹錫悦大統領(当時)が昨年12月に宣布した非常戒厳は、国会により6時間で解除された。深夜の発令だったにも関わらず議員たちは議事堂に駆けつけ、軍の侵入を阻むためバリケードをつくった。多くの市民たちも議事堂のあるへ汝矣島へと集まった。あまりにも速やかな、鮮やかといっていい程の行動に、驚くと同時に納得もした。さまざまな映画やドラマで軍事政権時代の作品が作られ続けていることが、こうしたときに力になるのだ、と思い知った。あの時代を知ること、忘れないこと。

脚本も手掛けたカン監督は今回が初の監督作品。美術監督としての長いキャリアを活かし、1980年の地方都市の風景を細やかに描く。字幕には表示されないお店の看板や品書き、子どもが学校から持ち帰るプリントと、細やかな拘りが感じられた。つらい作品だが、二度と繰り返してはならないこととして心に留めておきたい。

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・1980 僕たちの光州事件┃輝国山人の韓国映画
いつもお世話になっております。本国では有名な方ばかりなのかも知れませんが、不勉強乍ら私の知っている役者さんがいなかった。そのことがより「市井の人々」を感じさせたのでした