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kai
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2025年08月22日(金) ■ |
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『大統領暗殺裁判 16日間の真実』 |
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『大統領暗殺裁判 16日間の真実』@ヒューマントラスト有楽町 シアター1
結果は判っているので、弁護団が打開策を見出し喜ぶ度に胸が潰れる思い。あのひとに面と向かってこういえるひとがいたらよかったのに、という場面が描かれ、ここにも胸が潰れる思い。どれも当時は成し得なかったこと、そして今忘れ去られないように映画に残せたこと 『大統領暗殺裁判 真実の16日間』
[image or embed] — kai (@flower-lens.bsky.social) Aug 23, 2025 at 0:54
早速副題を間違えている。『大統領暗殺裁判 16日間の真実』だよ! すみません!
16日とは、公判開始から死刑判決が決まる迄の日数。近年のこの手の映画って『○○の○○日間』みたいな副題つくこと多いな、思いつくだけでも『モガディシュ 脱出までの14日間』とか『極限境界線 救出までの18日間』がある。『モガディシュ 救出までの18日間』『極限境界線 脱出までの14日間』になってても気付かなそう……と『極限境界線』を観たときに書いた。個人的には皮肉と願いが込められた原題を尊重したいが、韓国現代史において非常に重要なこの裁判がわずか16日間で片付けられた、という異常さを示すものとしてこの副題に入れたのはよかったと思う。
原題『행복의 나라(幸せの国)』、英題『Land of Happiness』。2024年、チュ・チャンミン監督作品。イ・ソンギュンの遺作。今月にはソン・ヨンギュが亡くなり、キャストのふたりがいないことになった。本国で公開されて一年しか経っていない。
今作は、朴正煕大統領暗殺事件に関わり逮捕された中央情報部(KCIA)部長随行秘書官の裁判を描いたファクションだ。『KCIA 南山の部長たち』と『ソウルの春』を繋ぐ作品でもある。1979年10月26日に起こった暗殺事件、その裁判期間中である12月12日に起こった軍事クーデター。裁判にかけられた7人のうち5人の死刑が執行された1980年5月24日、光州では『タクシー運転手』で描かれた惨劇が起こっていた。この間たったの半年。上記3作を観ていなくてもわかる内容にはなっているが、観ていると「KCIA庁舎のある南山ではなく陸軍本部である三角地に行った」こと等、弁護士が争点にしようとしていることに引っ掛かりを覚えず観られる。
秘書官は内乱幇助という罪状にそぐわない死刑判決が下され、首謀者の裁判中にも関わらず真っ先に銃殺刑にされた。現役軍人だったため1審のみの裁判で、控訴出来なかったためだ。彼以外の被告は上告棄却後、5人が絞首刑にされた。弁護団は脅迫され、証人は拘束される。公正であらねばならない筈の裁判は徹底的に妨害され、思想弾圧の手段として死刑が正当化された。
裁判は勝ち負けが全てという弁護士は、どんな手を使ってでも勝ち目のない裁判を覆そうとする。首謀者の命令に従っただけと主張し、秘書官だけを助けるつもりかと弁護団長に叱責される。全斗煥(まあ違う名前になってるがもういいじゃん全斗煥で)に面と向かって主張を述べる。あの時代、実際にああいうことをしたら社会的に(或いは物理的に)抹殺されてしまったであろう言動で弁護士は突き進む。こんな理不尽なことがあってたまるか、と。結末を知っている観客は、胸が潰れるような思いでこの架空の人物である弁護士の奮闘を見守る。それでも、と。
法廷内外での策略行為だけでなく、弁護団や被告の家族にいやがらせや脅迫をする市民の様子も描かれる。独裁者には支持者がいるのだ、ということを思い知らされる。どの国のどの時代でも変わらないこと。しかし、それでも信念を貫く人物というのもどの国どの時代にもいるのだ。大統領を殺しても何も変わらない、善悪など裁判には必要ないと皮肉ばかりいっていた弁護士は、堅物な軍人である秘書官と対話する過程で、善悪について考えることになる。
今作にはこうだったらよかったのに、こういうことがあったら残された者が少しでも救われるのに、というフィクションがある。物語だ。傷だらけになり乍ら(そう、本当に何度もボコボコにされるのだ)最後迄闘う弁護士をチョ・ジョンソク、命令にただ従ったのではなく、“幸せの国”を願う自身の理念に基づき行為に及んだと気づいている秘書官にイ・ソンギュン。弁護士が秘書官を父に重ねて見る表情、弁護士の変化を感じとった秘書官の表情。法廷で主張を述べる弁護士の明晰な声、常に抑制の効いた秘書官の声が揺らぐ瞬間。みかんを優しく手渡し、受けとったそれをそっと掌に包む仕草。ふたりの演技が物語をより立体的にする。ふたりがハイタッチを交わすひとときの幸せな時間に、観客は強く心を動かされる。フィクションの、映画の力だ。
事件現場を訪れた弁護士が、そこで起こったことを“目撃”する場面がある。想像のなかで“その瞬間”に立ち会うこと。これも映画にしか出来ないことだ。こういう演出に弱い。ときどき入るちょっと笑えるシーンは、どんな状況でもへこたれない人間の逞しさを感じるいいアクセントになっていた。ジョンソクさんの得意とするコミカルな演技が光る。
全斗煥(もう劇中の名前をいう気にもならない)を演じたのはユ・ジェミョン。気のいいおじちゃんとか優しいおじちゃんの役でしか観たことなかったもんだからショック……と思ってしまう程の人物造形、腸が煮えくり返る。役者としてはやり甲斐あるだろうなあ、その分引き受ける迄随分悩んだそうだけど。陸軍参謀総長副官を演じたパク・フンも印象的だった。出演時間は多くないけど、あっこれは……という台詞を口にする。あーいいこといった! あーこのひと絶対このあと死ぬ! というような。『ハルビン』での日本軍人役も強烈だったし(というかこれでパク・フンを覚えた)、これからも注目したい役者さん。あと金載圭にあたる役のユ・ソンジュがすごくルックを寄せてて、アップになるとそうでもないんだけどちょっと後ろにいてピントが合ってないときとかギョッとする程似てた。資料写真で見たそのままの姿がそこにあった。
弁護士は「首謀者でもないあなたの名は歴史に残らない」と秘書官に告げる。しかし彼の名は歴史に残り、歴史に名の残らなかった人々の声は物語となり後世に伝えられる。五・一五事件を引き合いに出したり、裁判が日本でどう報じられているか日本の新聞を読んで知るといったシーンにハッとさせられる。韓国の近現代史を語るには、日本は不可欠の存在なのだと思い知らされた気分だった。
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・『大統領暗殺裁判 16日間の真実』┃輝国山人の韓国映画 いつもお世話になっております。配役全部書いてあるのほんと有難い
左の画像の左側、太極旗を持っているのが、弁護団長を演じたウ・ヒョンさん。不思議な巡り合わせというか、生き延びるとこういうことがある。だからこそ、ひとは決してひとの人生を奪ってはならないのだ
・映画「大統領暗殺裁判」(1) 大統領殺害と朴興柱┃一松書院のブログ ・映画「大統領暗殺裁判」(2) 裁判と処刑・その後┃一松書院のブログ こちらもいつもお世話になっております、今作の字幕監修も手掛けた秋月望氏のブログ。韓国のファクション作品の背景を丁寧に解説されていて勉強になる。ジョンソクさん演じる弁護士は架空の人物だが、複数のモデルがいるとのこと。ウ・ヒョンさんについてのエピソードもこちらに詳しく載っている。45年後の今(まさに今!)金載圭の再審公判が行われていることもここで知った。 (2020年になってメディアに提供された裁判記録や捜査記録は)本来裁判終了後に廃棄されるはずだったが、陸軍本部の関係者が密かに保管していたものである。 という記述に目が留まる。軍部内にも裁判に疑問を持つ者がいたということだろう。 遺書に「我々の社会が真っ当であれば、我々の一家を放っておいたりはしないでしょう」と書いた朴興柱(秘書官)の願いがようやく叶う可能性が見えてきたが、昨年末の非常戒厳発令後も混乱は続いている。再検証が進み、遺族への補償も現実化することを願うばかり
・チョ・ジョンソクが振り返る『大統領暗殺裁判 16日間の真実』でのイ・ソンギュンとの共演「僕たちの関係が演技に重なっていた瞬間があった」┃MOVIE WALKER PRESS KOREA チョ・ジョンソクが何故“믿보배=信じて観る俳優”と呼ばれているのかがよくわかるインタヴュー。『좀비딸(ゾンビになってしまった私の娘)』は日本公開が決まっているそうだけど、『파일럿(パイロット)』も是非お願いします!
・「大統領暗殺裁判 16日間の真実」チョ・ジョンソク、イ・ソンギュンさんへの思いを明かす“もっと作品を見たかった”┃Kstyle 「僕に庶民的でコミカルで、愉快な姿を期待してくださっているのはよく知っています。そんな僕に、このようなキャラクターがやってくることは多くないんです。」 本国公開時のインタヴュー。どんな目に遭ってもへこたれない、不屈の精神とユーモアを持つ弁護士像はジョンソクさんが演じることで完成したのだと思っている
・故イ・ソンギュンが映画人から愛された理由とは?「In Memory of Lee Sun-kyun」で涙を見せた俳優たち┃MOVIE WALKER PRESS KOREA チョ・ジョンソク「最終弁論シーンでは、映画の結末を知っている私としては、最後までこの人の命だけは守ろうとするのでとても辛くて、没頭するあまり感情があふれ出て大変でした」「今はなかなか会えずにいるだけで、どこかで生きているような…そんな気がします」 ユ・ジェミョン「あるラジオのオープニングで、映画は懐かしければもう一度見れるが、人は懐かしくても二度と見ることができないと言っていました。私はプレゼントをもらったと思います。イ・ソンギュンが見たければ、私たちの映画を見ればいいからです」 昨年10月に釜山国際映画祭で開催された『In Memory of Lee Sun-kyun』のレポート
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