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kai
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2025年08月30日(土) ■ |
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『震度3』 |
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赤堀雅秋プロデュース『震度3』@本多劇場
こういう言葉が聴きたかったんだといつでも思わせてくれて、こんな言葉が聴けるなんてといつでも肩を揺さぶってくれる劇作家。だからずっと好きだし観られる限り足を運ぶ。今回も同じ。
[image or embed] — kai (@flower-lens.bsky.social) Aug 30, 2025 at 22:33
そしてこの劇作家は、言葉が伝えられないものの大きさも知っている。だからこそその「言葉にならない、出来ない」部分を演出と演者に託す。観客は、言葉と言葉にならなかったものを受けとろうと耳を澄まし、目を凝らす。
それは基本何でもかんでも上の空のゴミ収集員の雑さ加減であったり、揉め事を「あ、ねこ!」のひとことで中断させてしまう男性の無関心だったり、「外国人不法労働者」を脅迫の道具にする娘の無自覚さだったりする。何故彼は恋人の気遣いを無下にしてしまうのだろう、何故彼はこんなときにねこを触りに行くのだろう、何故彼女はお金をちょろまかさずキチンと返すひとがいることを信じられないのだろう。言葉が理路整然であればある程それを発する人物の空虚さが露わになり、多くを語らない人物がポツリと零した言葉の断片や、それを聴く相手の表情と仕草こそが雄弁になっていく。彼氏が丸出だめ夫でも断ち切ることをしない彼女のひとこと、電話で息子の声を聴き相好を崩す父親、娘を恐れ乍らも関係を修復したいと思っている母親の声音。
「喰って、働いて、寝る。それだけ」の人生には、それでも「ねこ」や「歯医者」や「子どもの受験」が介在する。「だけ」ではないのだ。誰にでも失ったものがあり、抱えている不安がある。だから苛立つし、無気力になる。しかし彼らは、自分たちがやらねば終わらないとわかっている仕事を日々片付ける。そして彼女は、世の中には自分の考えも及ばないことをする者が存在する、ということを知る。ほとほと人間がイヤになるが、それでも人類にはわずかではあるが愛すべきところがある、ということに気付かされる。「正しいことばっかいうなよ!」のひとことに笑い、同時に胸をどつかれる気持ちになる。
彼ら、彼女らが何故ああなのか。辿ってみれば根拠がある。それを打ち明けたことで、それを知ったことで、何かが変えられる訳ではない。失われた命と時間は戻らない。それでもちいさな変化が訪れる。わずかな光が灯る。それを逃さないように、観客はまた耳を澄ます、目を凝らす。ラインホルド・ニーバーの言葉を思い出す。「神よ、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを見分ける知恵を授けたまえ」。
追いつめられているひとがいる。泣いているひとがいる。それを見ているひとが、必ずどこかにいる。繊細で芳醇なホンは、演者によりあらゆる箇所に光が当てられ、それらが落とした影をも舞台に出現させることが出来る。これからもずっと憶えているであろう作品と座組だった。空の車椅子に父親のシルエット──それは別府本人のシルエットなのだが──が浮かぶ照明(佐藤啓)、具象としての物音に登場人物の心情を重ね合わせるかのような音響(田上篤志)が見事。スタッフワークも素晴らしい。
それにしても「41歳」という言葉が出たとき、観客がざあっと引いた気配を感じた(笑)。演者ご本人の実年齢なのかな? でもこれ、役の人物に対しての「ないわ……」と言う空気でしたね。巧い! と膝を打ちそうになった。ガストからウーバーイーツへ、チーズインハンバーグは消えたけどナポリタンは残り、セレクトショップの次はカフェテリアがパワーワードか。長く観ていると、扱うモチーフの遷移も楽しめる。年齢を重ねていくさまを追っていきたい書き手です。
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