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kai
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| 2025年10月03日(金) ■ |
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| イ・ラン ジャパン・ツアー2025『SHAME』 |
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イ・ラン ジャパン・ツアー2025『SHAME』@グローリアチャペル キリスト品川教会
イ・ラン『SHAME』ツアー最終日はグローリアチャペル キリスト品川教会で、イ・ヘジ(チェロ)とのデュオ。教会にいると気分がいいけど同時にイライラする、という言葉は「親に宗教を決められた」こどもに共通するものかもな。そして教会という場だからこそ生まれる空気というものもある。ここも方舟
[image or embed] — kai (@flower-lens.bsky.social) Oct 4, 2025 at 1:15
一年ぶりの再会、イ・ラン『SHAME』ツアー最終日はキリスト品川教会でイ・ヘジ(チェロ)とのデュオ。昨年のバンドセットが素晴らしかったので、同編成の東京キネマ倶楽部公演と迷ったけれど、まだ観た(聴いた)ことのなかったデュオ編成を選択。というか昨年が過去最大規模の来日公演だったんですよね。それ迄はこのヘジさんとのデュオセットと、弾き語りによるひとりセットがメインだったように記憶しています。
天井の高いチャペルのステージには、小さなライトがいくつもぶら下げてある。歌詞を映し出すスクリーンも大きく、後ろの席からでもよく見える。ランさんのMCとのタイミングからして、おそらく手動でオペレートしている。つい劇団☆新感線の音響を思い出してニヤニヤしてしまう(長らく行ってないけど、今も手動ですよね?)。ランさんの歌において歌詞はとても重要で、ご本人もスタッフも、歌詞を伝えることをとてもだいじにしていることがわかる。フォークソングだ。
ランさんは深紅、ヘジさんは漆黒のドレスで登場。素敵! ところがランさんが出てくるなりステージを降りていく。袖(といってもこちらから丸見え)でスタッフと話し込んでいる。トラブル? と緊張するも、ヘジさんは構わずチューニングとセッティングを進めている。どちらもマイペースというか、これがデュオでのいつもの光景なのか……? 結局何だったのかわからないまま開演。数曲演奏したあと、戻ってきたスタッフから受け取ったブレスレットをランさんが身につける。「友達がつくってくれたお守りのようなもの。楽屋に忘れてきてしまって」。ホッとしました。
囁き、呟き、叫び。よく通る声で唄う。ポエトリーリーディングもある。どの歌にも今を生きることの困難さが描かれている。と同時に、近くにいるひと、関わりのあるひとの幸福を願うものでもある。どうしてこんなに、ただ生きていくことがたいへんなのだろう。世界と社会への疑問は消えることなく、次々と湧いてくる。お姉さんを自死で亡くしたこと、彼女がどういう人物だったか、どんな癖で、どんな顔をして笑ったか、それを憶えている自分がいる限り、彼女の存在は生きていること。そんな存在が誰にでもあること。冒頭のツイートにも書いたが、彼女は教会にいると「イライラする」といった。「生まれたときから」「親が決めた宗教」のもとで生きていることの面倒を語った。彼女の歌にはクリスチャンの善性があると感じる。それは確かに幼い頃からの刷り込みであるかもしれないが、信仰は自分に都合のいいところだけを吸収すればいい。教えから外れたことをしても、罪だと苦しむ必要はないのだ。そう決めている自分も宗教2世なのだった。
ステージから客席が少し遠く、「皆一緒にハミングしてくださいね」といわれた「イムジン河」では、終わったあと「本当に唄ってました?」と指導が入る(笑)。聴こえなかったらしい。確かに客席から聴いていても消え入りそうな声だったわね……奥ゆかしいひとが多いんだよきっと! でも「パンを食べた」のコーラスはがんばったよね! ズシンとくる歌が多いけれど、ほぼ全て日本語で話されるMCにはそこかしこにユーモアがいっぱい込められていて、和む場面も多い。
「イムジン河」は1番を日本語、2番を韓国語、3番はハミングで唄われた。日本語詞はフォーク・クルセイダーズ版(作詞:松山猛)。リリース当時、さまざまな配慮(或いは政治的な思惑)から放送禁止になったりレコードが発売中止になったりしている歌だ(経緯はWikiとか見て)。南北分断は日本による植民地支配から始まった歴史でもある。その日本人が書いた歌詞をどういう思いで唄っているのだろう? そんなことを考え乍ら聴いていた。唄い終えたランさんは、「最近になってお父さんに『お前がこの歌を唄っていることをお母さん(ランさんのお祖母さん)は喜ぶだろうな』といわれた」「何故かと訊いてみると、お祖母さんは北に住んでいて、韓国戦争が起こったとき、南へ移動してきただからだと」「初めて知ったことだった」と話した。
個人的な問題は、必ずしも歴史と無関係ではない。自分ひとりで生きている訳ではないし、ひとりきりで生きていける筈もない。社会、政治と個人は切り離せない。世代を越えて対話があったからこそ知ることも多い。全ては繋がっている。そうそう、彼女は朝鮮戦争ではなく韓国戦争といっていた。
ところでこの曲、普通に小学校の授業で唄っていたので馴染み深い。80年代の話。半島と距離的にも近い九州(宮崎)だからだろうか。他の地域ではどうだったんだろう?
ヘジさんは体調を崩されているそうで、ランさんも決して万全のコンディションではない。創作意欲はあるが、ツアーは体力的にも精神的にも辛いものらしい。お金の問題も必ずついてまわる。エア代、宿泊代、そして楽器の運搬代。ゴルフクラブは無料なのに楽器には何故追加料金がかかるのか。ゴルフは趣味でしょ、楽器は仕事道具! と空港でやりあったエピソードを披露して、だからお金がかかるんです、物販買ってください、と話を落ち着かせるところにもユーモア。来日公演があるのはうれしいし有難いけれど、負担になっているのだとしたらいつでもやめて休んでね、とも思う。物販は勿論買います(笑)!
「いつ迄こうしてライヴがやれるかわからない。だから必ず来てくださいね」という言葉に頷き拍手を送る。オリオン座、こぐま座。天井を見上げる。ちいさなライトがやさしく輝く。ひとつひとつバラバラに、ゆっくりと瞬くそれは星座のようだった。星の光を目にしたとき、その星は消えているかもしれない。演じ手と聴き手の距離感をも表わしているようだった。
昨年の来日公演で彼女は「裁判をしている」といっていた。訴訟相手である尹錫悦政権はその数ヶ月後に倒れた。裁判はどうなったのだろう? 激動といっていい時代、決していい意味ではなく歴史に残る出来事が世界で次々と起こっている今、ここだけは安全でいられると思えるような公演だった。教会の壁には、こどもの描いた大きな方舟の絵が飾られていた。あの時間、教会は方舟だった。
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Sweet Dreams Pressとグローリアチャペル、といえばジョアンナ・ニューサム! と今でも鮮明に思い出せるくらいなのですが、今回も星座のような照明、歌詞がしかと伝わるスクリーン、あたたかな物販コーナーと素晴らしい場づくり。楽しい記憶が上書き、ではなくまたひとつ上積みされました
[image or embed] — kai (@flower-lens.bsky.social) Oct 4, 2025 at 1:20
Sweet Dreams Pressとグローリアチャペル、といえばジョアンナ・ニューサムの記憶が今でも強烈で、この招聘、この場所でイ・ランを観られるなら……! という思いもあったのでした。物販の方のふるまいがすごく素敵だったのが印象に残っているのですが、今回のスタッフさんも、長蛇の列のお客さんひとりひとりに丁寧な対応をしておられました。 そうなのよ、終演後意気込んで物販コーナーへ向かったんだけど、絶対買う〜と決めていたカッサが私の5人前くらいで売り切れてしまったのよ……。オンラインでも販売しますから! とやさしいスタッフさんに教えていただき待つことに。しかしいいよね〜アーティストグッズでカッサ! ランさん本人が愛用しているものから作ったそうです
・余談。ランさんが折坂悠太のこと「折坂」って呼び捨てで話すのが好き(ニッコリ)
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