ボクは空に恋をした..もえ

* * * 鳴かぬ蛍の身を焦がす * * *
2006年04月17日(月)
今日もほとんどミクシと同じ内容かも。
けど こっちのほうには細かいことも書いとく。

昨日は母の病院から帰ってすぐねーちゃんと揉めたので
萌も一気に疲れがでたのもあり
久し振りに少しだけお薬多目に飲んだ。
夕方また母のとこに必要なもの持って行くって約束したのに
夜中近くまで寝てた。
起きて少しなんかしてたんだけど
おトイレ行くのも足がもたつく状態。
日記も一日日がずれて書いてたのでもういいやと思い
暫く起きててまた悲しい気持ちになって不貞寝した。

今日午後6時過ぎに
麻酔科の先生からの説明があると言われてたので
6時前には母の病院に行ったのだけど
麻酔科の先生のご都合で7時半過ぎるかも知れないと
看護師さんから言われ 延々待つだけ。
母は心細かったのか 顔を見せると泣きながら
「もう来ないんか思った」という。
ほっとかへんからねってゆーと
子供みたいに泣きじゃくる。

途中何度か看護師さんが顔を出し
お待たせしてすみませんと言っていかれる。
母はなんでも腸が炎症起こしてるとかで
術後に腸の検査もすることになって
今日は朝食から禁食らしい。
検査のせいでそうなのかと思ってた。

途中で女医さんと看護師さんが来られて点滴を打った。
テレビを見つつ時間潰ししてると
ふと点滴のチューブが動いてるのが目に入るので
引っ張ったらいかんよ?って母にいうと
「テレビ見よんか思たら 見てくれよん?」
ゆーので ちゃんと時々見とるよって答えると
嬉しそうに気にかけてることを有り難いと言う。
まるでほんとに子供みたいやなって思う。
「おなか空いたやろ?はよ帰らんといかんのになぁ
はよ来てゆーてきいてーみ?」って気遣ってくれる母。
少しでも先生来るん遅かったら
その分長くおれるやろ?嬉しない?
と答えると 
「そうやなぁ ちょっとでもおってもろたら嬉しいな」
と母。


結局麻酔科の先生が来てくださったのは
8時も大分過ぎてからだった。
よくテレビとかで見るグリーン系の医療着を着てらして
足元も手術室用とか書かれたスリッパのままだったらしい。
萌は足元まで見る余裕なかったのだけど。
多分緊急の手術というより
予定していたオペが長引いたのじゃーないかと思う。

一応予定されてる麻酔は脊髄麻酔で
下半身だけになるらしいけど
急遽状態によっては全身麻酔になるやも知れないという。
脊髄麻酔と全身麻酔のリスクの差はほとんどなく
どちらが安全でどちらが危険ということもないらしい。
ただ術中に起きる予測不可な合併症と
本人の体力の影響で不測の事態も起こりえること。

去年だけでも2度の生死の境を乗り越えた母だから
きっと頑張ってくれると 今は信じるしかない。
後はオペに携わってくださる先生方を信じるしかない。


肝心の手術開始時間は今だ不定。
緊急扱いなので午前一の時間が取れないことと
主治医の先生方の手が空く時間
そして万全の看護師さんが揃う時間が
まだはっきりしない。。。ということで
まずは午前中ということはないらしいので
11時くらいには病院で待機しなければと思う。

帰り際に顔を動かすことでも足に響いて痛そうにする母の顔もとで
バイバイと手を振ると咄嗟に萌の手を両手で掴んで
「明日も来てな 頼むな」と繰り返し泣き出す母に
思わずもらい泣きしてしまった。


病院を出る前に父には電話で報告して
一応実家に寄って詳しい話しをしなきゃなのでと
実家についたら午後10時過ぎてた。

風邪気味な父の体調もあり
手術後2〜3日して落ち着いたら行ってあげてといっといた。
父も口には出さないけれど心配してるんだと思う。
誰より母のこと気遣っているのは 父なのかも知れない。

何も食べないままビールを少し飲んでたらしいので
冷蔵庫を見たけれど何も簡単に出来るものもなくて
ゆで卵だけ作って父に出した。
帰り際 お腹の調子が悪くて。。。と聞いたけど
それならもっとお腹に優しいものにすればよかったと;

「ごくろうさん」と言ってくれた。
そしてまた明日 帰りに寄るからというと
「顔は出してくれんといかんぞ」って。



昨夜 夜中少し起きていたけど
またちょっと悲しい気持ちになることがあったので
今日もまた夕方近くまで寝たり起きたりで
病院に行ってても足取りがふらついて
バック持ってなかったらあんたが病人みたいやと言われた。


明日の手術が終わったら。。。
きっと落ち着く
安心できると言い聞かせるしかない。
オペに関わってのリスクなんて考えてたらキリがない。


きっと大丈夫。



ある人が今日こんな言葉をくれた。

    何千何万回と「命は大切です」「命は大事に」と言われるより
    「あなたが大切です」と言ってくれる人が
    一人でもいてくれたら
    人はそれだけで生きていける。

    という広告があったが、まさにその通りだと思う。



もえもそう思った。
どれだけ命の尊さを説かれるよりも 大切と言ってもらえることこそ
どんな言葉よりも存在意義を持たせてもらえるんだと思う。

どうでもいい命なんてあるわけない。
だけどそこにいるという意味を見出せなくなったら
生きる価値すら見失ってしまうんじゃないかな。
大切な存在だから生きて欲しいと ペットに対して思う。
大切な存在だから失いたくないと 大事な人を想う。

大切だよと必要としてくれる人がいるから
今日を生きて 明日もまた生きたいと思う。


きっとそんな感じ


この言葉をくれた人へ

お返事できないまま落ちちゃってたね。ごめんね。ありがとね。


そしてもえの都合のいい時間に合わせて電話くれたJたんがメッセで
愛しとるよ
そっちのラブじゃーないけどなって。
笑っちゃったけど
わかっとるよ?
loveにもたくさんの意味あるやもんね。

それぞれにloveを込めて見つめる相手がいて
見守ってくれるloveもある。
家族愛
友人愛
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ここ数日いろんなことが立て続けに起きたけど
たくさんの愛情もらえたから持ち堪えられたんだって思う。

もえは吐き出す場所があるから辛さも半分なんだね。
口に出さないひとの方が数倍も辛い思いしてるんだね。

父がそうだと思う。
元々口数多い人じゃなかったし
父親の威厳もあるだろうと思う。


子供の頃 これも親に聞いた言葉。
そのまんまタイトルに入れ替えた。

「泣くより泣かぬ苦しさは 鳴く蝉よりも中々に
 鳴かぬ蛍の身を焦がす
 小歌も 我身に知られたり」

(外部に表すものよりも、表さない方がかえって心中の思いが切実である)


うだうだと愚痴こぼしたり泣き言言ってるもえは
本当の辛さをわかっていないまま過ごせてる気がする。
泣きたいときは泣いたっていいよね?





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Edit by オレンジミルク 。