せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2003年05月30日(金) 「サド侯爵夫人」@新国立劇場

 鐘下辰男演出の「サド侯爵夫人」。満席。上演時間第一幕(戯曲の一、二幕)が2時間。休憩15分。第二幕(戯曲の三幕)が1時間。7時に開演して、終演は10時15分。「たっぷり」とか「しっかり」とかそんな言葉がぴったりの豪華な上演だった。とっても気持ちがいい。
 ステージを横に使って、どこからも舞台の距離が近い構造にしているのが、まず成功している。台詞がとっても聞きやすくなってる。
 衣装は、基本的に一役一ポーズで、ロココ時代のドレスがベースになってて、いいかんじ。
 寄せ木細工の床の舞台にセクレテールと椅子が一脚。装置はこれだけ。
 舞台奥に、上手と下手へ通じる長い廊下がある。
 役者さんはみんなとってもよかった。
 三島の台詞に負けてる人は一人もいなかったし。
 モントルイユ夫人の倉野章子さん、サンフォン伯爵夫人の平淑恵さん、シミアーヌ男爵夫人の新井純さん、つまり「大人組」がとってもよかった。
 倉野さんは、南美江さんが持ち役にしているこの役を、全く違った造形で成功していると思う。南さんが、どこかおっとりした「貴族」だとしたら、倉野さんは「戦う女」だろう。
 台詞だけで展開するのこの戯曲は、上演すると、とってもヘビーで、どうしても「うとうと」してしまいがちなのだけれど、今回の上演は、人物どうしの関係がみっちり作り上げられているので、緊張の糸がゆるむことがない。ので、ずっと見ていられた。これってすごいことだと思う。
 ただ、その緊張=人間関係を強烈に作り上げているので、「軽やかな、華やかな会話=言葉遊びの影にある真意」のようなものには全然ならなくて、「全部本気」なところがちょっと重かったかもしれない。
 女の無邪気さの象徴である妹アンヌ(片岡京子)が、真剣に姉ルネ=サド侯爵夫人と対立してたり、召使いシャルロットを若い中川安奈さんがやっているのだけれど、この人の「とがり方」もどうかなと。この役はやっぱり戯曲の指定どおり、ほんとにおばさんで見たいなと思ったりもした。
 とてもいい上演で、おもしろくみてきたのだけれど、欲を言えば、ヒロイン、ルネの変化のしかたがもっとあってもいいのじゃないかと思った。
 初めから、ルネは、岩のようにしっかり「自分」というものを持っていて、終幕まで変わらない。
 演じる高橋礼恵さんは、口跡もとってもよいのだけれど、終幕の回想の台詞に出てくるような「華奢なやるせない姿」ではない。もとい、そういう人物像をつくっていないのが気になる。
 夫に尽くしていた、弱々しい夫人が、母と闘い、「アルフォンスは私だったのです」と言い切るまでの変貌が、この芝居のおもしろみの一つなはずなのに、元から、強さを持った女性像なので、戯曲の二幕(上演の一幕)のラストの母モントルイユ夫人とのやりとりのすごさが際だってこない。
 三島由紀夫は、元々、芝居芝居した芝居をねらって書いてるところがあるから、ここは存分に
「やってしまって」いいと思うのだけれど、ちょっと物足りなかったかな。
 あと、一番最後の「侯爵夫人はもうけっしておめにかかることはありますまい、と」というルネの台詞。この、最後の「、」のところで切れるのが、なんだかおかしかった。ルネの気持としては、そうなんだろうけど、おまけのようにくっつく「と」って、かなりおかしかった。その前のシャルロットの台詞の最後も「……フランソワ・サド侯爵だ、と」っていうんだけどこっちも、はっきり、最後の「と」を独立させてるんだよね。すっごい微妙なところなんだけど、二連発で聞くと「あーあ」ってかんじだったね。さらっと最後まで言った方がぜったいにいいと思うんだけどな。
 カーテン・コールは全員が登場しての挨拶、すっごいきれいだった。
 ともかく、とってもクオリティの高い上演です。興味のある方はぜひ。おすすめの舞台です。


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