せきねしんいちの観劇&稽古日記
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仕事はじめをさっくり終えて、斎藤憐さんのお宅での新年会に伺う。 富士見丘小学校の演劇授業のうち合わせをかねてという集まり。 篠原さんに田中さんに青井さん、今日が始めての長谷基弘さん、夏井孝裕さん、それに三田和代さんと一緒に憐さんの手料理をいただきながら、おしゃべりする。ごちそうさまでした。
帰ってきたら、TBSで中島みゆきのライブをやっている。 歌ってる中島みゆきを見るのは一昨年?の紅白以来だ。 今日の朝方、眠れなくて、NHKをずっとつけていたら、放送終了後に下町の風景がいろいろうつってバックに大貫妙子の曲が流れていた。 僕はこんな時間が大好きだ。その後、大貫妙子は矢野顕子に変わった。 僕はこの人たちを聞き始めたのはもう二十年以上前だ。大貫妙子はソロデビューしたアルバムからかなり真面目に聞いていた。 そんな二人が今も代わらない声で歌ってるということにショックを受ける。こんなことをかんじたのは初めてかもしれない。 二十年経っても変わらないもの、肉体がどんなに年とっていっても変わらないもの、それは声なんだろうかと考える。いや、声は変わるだろう。だとしたら、それは魂なのかもしれないなと考えていたところで、唐突に番組は終わって日の丸が映って4時30分のニュースが始まった。 今流れている中島みゆきのライブは、かなり微妙だ。 この人も、それこそ、僕が中学生の頃から聞いているけれど(初めてつきあった相手の部屋にアルバムがあった)、映像としての露出がほんとに少ないので、歌声(それにおしゃべりのときのハイテンションな声)だけが一人歩きして、イメージができあがってしまっている。 このライブは、「今のうちに撮っておこう」なノリが濃厚な気がするなあ。それはそれで大事かもしれないけど。こうして豪華なドレスや、ラメ入りのジーンズを着た、中島みゆきという肉体は、どこかであの歌声を裏切っているような気がしてならない。僕のなかではあの歌声には肉体はなくてもいいんだ、もうそれだけで魂ってことなんだ。 それでも、しばらく見てるうちに、やっぱり圧倒されてしまう。すごいわ、そして素敵。「歌姫」って言葉がぴったりだなあとあらためて思う。
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