せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2009年02月27日(金) |
富士見丘小学校卒業公演「お芝居をつくろう」 |
朝から雨。僕の熱はようやく平熱にもどった。 さあ、子供たちもみんな来れたかな?と授業の前、校長室に行ったら、昨日、代役をお願いしたマサキ役の彼がダウンしてしまい、お休みだということが判明。他に、女の子がもう一人欠席。トシキ役もお休み。キャストが3人いない本番。どうしよう。大人はほんとうに途方に暮れた。 校長室で相談。先生方は、大人が代役で入ってほしいという意見を言ってくれる。健翔さんからもいろいろなアイデアが出た。そして、いろいろ話し合った結果、子供たちに決めてもらうことにした。 体育館に集まった全員を前に話をした。 本当は、今日のこの時間は「6年生を送る会」の時間だ。下級生がいろいろな出し物をしていたはずなのだけれど、下級生にお休みが多いので、一昨日急遽、延期ということになり、6年生が本番の直前に練習ができることになった。 その時間に、練習ならぬ話し合い。 正直に話をした。「僕たち大人は、みなさんの芝居の中に入って代役を演じることもできます。カンペを持って客席から手伝うこともできます。でも、これはみなさんの芝居です。どうすることが一番いいか、みなさんで決めてほしいと思います。じゃあ、輪になってください。」 全員で輪になって腰を下ろし、意見を言ってもらった。はからずも劇中の場面と同じだ。外クラスの子からは、アイデアを提案しているのは外クラスなんだから、外クラスがセリフを言ってもいいと思うという意見が出た。みんな誰かに任せるという意見ではなく、自分たちにできることをやりたいという意見だと聞きながら気がついた。みんながそれぞれの意見を言う中、やっぱり中クラスのみんなに決めてもらおうということになり、いつもの3チームに分かれた。 この時間では、今日、一週間ぶりに学校に来ることができた魔法使いアリスのための練習もしないといけない。 僕は、魔法使いと火星人の練習の担当。魔法使いのヘッドドレスがとてもかわいい。昨夜夜遅くまでかかってつくってくれたものだ。全員そろった魔法使いチーム、元気にもりあがった。火星人チームも、いいチーム感で安定してきた。転校生と先生と役人たちにも、もっとこうしてみたらといろいろアドバイス。 その間、篠原さんが見てくれた中チームでは、マサキとトシキのセリフをどうするか話し合い、結果、いるメンバーで割ろうということになった。 一つ一つのセリフを誰が言うことができるかを、子どもたち一人一人が提案した。場面によっては動きもある。僕ならここで一緒にサッカーに行かなくてもだいじょうぶ。ここで急に強気になるのはおかしいから、自分じゃない方がいい、などなど。 外クラスチームは、この芝居全体のテーマになる設定を提案する役である和馬役の彼を中心に、ミーティング。輪になって。こちらには渡邉さんがついていてくれたのだけれど、彼がまとめる必要もないくらい、活発に「もっとこうしたら」という意見が出たそうだ。 そして、中クラスが、セリフを分担して一度ずつ軽く練習してみたところで時間切れ。4年生がイスをもってくる時間になったので、特活室に移動する。 雨は雪に変わった。「去年だったらよかったのに」と火星人のリーダーが言った。去年の「雪の降る日に」の設定そのままの天気だ。 特活室で最後のミーティング。僕からは、がんばって伝えてくださいと。健翔さんの「行くぞ」「おー!」という気合いに、ラストの歌詞「大変だったけど、楽しかったよ、みんなといたから」を足して、みんなで大声で繰り返した。 そして、本番。 1年生から5年生までが見ている前で。 今回の芝居はディスカッションドラマだ。しかも、体育館全体の広いエリアを使う。劇中劇の構造も複雑だ。外クラスのみんなが提案する「こんなお芝居はどう?」というのが、そのまま中クラスで演じられるスタイルの芝居になっている。 低学年にちゃんと伝わるだろうか、ちゃんと大人しく見ていてもらえるだろうかというのが、とても心配だった。 でも、それは余計な心配だった。下級生の子供たちはずっとみていてくれた。客席の後ろで見ていると、場面が体育館のフロアの真ん中から、本舞台、体育倉庫側のひなだん(外クラスのみんなはここから全部を見ている)へと動くたびに、子供たちの頭がいっせいに動くのがわかる。 照明の伊藤さんから聞いた話。下級生は大きなパイプイスに座っているのだけれど、二列目以降になるとかなり見えにくかったらしい。頭を左右に動かして見ていたのが、思いついて、イスを降りて立って見ることにした子がいたそうだ。でも、立った時点で、座っているときより背が低くなってしまい、あきらめて、またイスに座ったんだそう。 直前に練習したセリフの割り振りは、まるで初めからそうだったかのようにスムーズに進んだ。誰もほんの30分前に急遽練習したセリフだとは思わないだろう。 大人が考える「ショーマストゴーオン」とは全然違う、もっとやらなきゃいけないことをやるのが当たり前という姿勢で子供たちは芝居をつくりあげた。割り振られた子がピンチヒッターでスターになるというのでもなく、ほんとうにみんなのために、当たり前のことをしているだけというように。こんなこと、絶対に大人にはできない。昨日、伊藤さんに聞いた記憶力のピークは12歳というのが本当なんだとしても、すごすぎる。昨日のマサキ役の彼のがんばり方が、子供たちみんなに「やればできるんだ」と火をつけたのかもしれない。 火星人が登場する場面。伊藤さんがバックライト仕込んでくれた。逆光に浮かび上がる妖しい姿、と登場するのは赤いタコの形の火星人。下級生は大喜びだった。 魔法使いのかわいい衣装も女子に大受けだった。 そして、終演。今朝の授業開始前には、無事に開演できるんだろうかと、ほんとうに心配だった舞台が見事に幕を下ろした。子供たちのがんばりのおかげで。 4時間目は特活室で振り返り。 講師陣から一言ずつという時間になって、胸がいっぱいになる。この文章を書いている今もそうだ。 子供たちに輪になって座ってもらい、感想を言い合ってもらう。劇中と同じに次の人を指しながら。 助け合ってできてよかったという意見がなによりもうれしい。 僕は、急遽割り振ったセリフなのにきちんと演じてくれてすばらしかったです。今日はお休みの3人の声や演技が、みんなの声や演技から浮かび上がってくるようでしたと話した。 あと一回、今度は一般の公開。 給食の後、特活室に集合して、午前中と同じように気合いを入れる。 そして、本番。 今年は、上演中の撮影を一切禁止した。写真もビデオも。おかげで観客の大人たちがとてもきちんと集中して見てくれるようになったのがうれしい。 昼間は受けなかったセリフのおもしろいニュアンスやつっこみで客席が沸き、演じる子供たちもどんどんリラックスしていった。 一回目はドキドキだった急遽割り振ったセリフは、もう何のあとかたもなく演じている彼ら一人一人のものになってしまっている。すごいなあと思いながら、芝居って残酷だなあとも思う。 ラスト近く、今日でこの小学校は廃校になると話す先生にざわめく教室、やってきた国の役人が「落ち着いてください」と言ってもおちつかず、「座りなさい」と言っても席に着かない子どもたち。僕は、ここで子供たちに「座りたくなかったら座らなくていいから」と話し、役人役の彼には「座るまで『座りなさい』って言っていいからね」と伝えた。今日は、その「座りなさい!」が初めて4回繰り返された。そして4回目の「座りなさい!」はびっくりするくらい迫力があった。その後、悠然と子供たちを見ながら歩く役人の彼。小柄な彼がとっても大きく見えた場面だった。彼は、永井さんの授業で、犬が乗り込んできたエレベーターで一人困っていた男子を切なく演じていたんだった。 ラストの歌。稽古の始まりでは、エンディングの位置のまま客席を向いて歌っていたのを、稽古の後半、輪になって内側を向いて歌う演出に変更した。その方が声が出やすいし、「みんなで」歌っている気がして、声も出やすくなるじゃないかと思って。 間奏で本舞台前のひなだんに移動、整列して2番を歌う。「信じることで初めて開く、心の中の宝箱、ひとりひとりのたから箱、今はみんなのたから箱」。 そして、芝居は終わった。拍手。お疲れ様でした。 特活室の振り返り。みんな実にいい顔をしている。ほんとうによかった。今、こうしてみんながいい顔をしてここにいてくれることが、とってもうれしいです、と話した。 うまくやろうというようなことだけじゃなく、ほんとうにみんなに力を合わせて助け合って、芝居をつくったんだと思う。 芝居の出来も大事だけど、そこに至るまでの過程が大事なんだ、それが、授業で演劇をやることの意味なんだと改めて思った。 伊藤さん、篠原さん、渡邉さんと照明の片付け。 三年前に卒業したヤエガシくんたちが来てくれる。「放課後の卒業式」の年の彼らだ。みんな中学三年生。女子がぐーんと大人っぽくなっている。 ヤエガシくんにギャラリーの照明の片付けを手伝ってもらいながら、おしゃべり。高校の合格が決まったと報告。おめでとう。二人そろって、永井さんの後輩だね。同じ高校に受かったアンドウくんとは、中学の野球部でがんばってたんだそう。ヤエガシくんもアンドウくんも、卒業公演は即興劇のエレベーターのパートに出演していた。ヤエガシくんの妹は、今年の6年生で、出演していた。「見てるとやりたくなっちゃう」という言葉がとてもうれしかった。 その後、先生方と振り返り。今年もまたいい芝居をみんなで造ることが出来てほんとうにうれしい。 今日の朝の一時間の話し合いの時間が、どれだけ中身の濃いものだったかということを、みんなが話した。子供たちがどうしたらいいかを話し合ったあの1時間は、富士見丘小学校でなければ、絶対にありえない時間だったと思う。 何年か前だったら「こどもたちに決めてもらう」という選択肢は、僕らの中から出なかったと思う。 今、その選択肢を当たり前のように思いつけること、子供たちを信頼することができること、そして、子供たちが実際、話し合いの結果、どうするかを決めることができたというのは、富士見丘小の演劇授業の忘れてはいけない大きな成果だと思う。上演した舞台の出来のすばらしさだけが、すべてじゃない。 「どんなことがあっても芝居の幕は開けなきゃいけない」「ショー・マスト・ゴー・オン」という話を、子供たちにしたことはないのに、子どもたちは、当然のようにそれを実践した。 演劇人として、こんなにうれしいことはない。ありがとう、みんな。拍手。
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