*未完成のお城*

2002年12月16日(月)  嬉しかったこと:記憶の欠片

あたしは妹のWeb日記をこっそりチェックする嫌な姉だったりします。(爆)
その日記を読んでいて、彼女の『今』を少しだけ垣間見ることが出来ます。
昨日付けの日記になっていたけれど、亡くなった祖母のことについて書かれていました。

不覚。

泣かされてしまいましたわよ、妹の日記に。(笑)
誤字脱字の多い、決して上手いとはいえない文章だったのに。←酷い(笑)
妹が、どれほど祖母を愛していたのかが素直に伝わってきました。

彼女なりに、今は色々辛い時期です。
そんな『今』、祖母が彼女の夢に現れて、彼女を助けてくれました。
亡くなって2年と2ヶ月と7日。(…なはず)
祖母は今も優しくあたしたち家族を見守っていてくれます。
間違ったことをした時は強く窘めて、正しいことをした時は全身で誉めてくれる人でした。

祖母のような人になりたい。

強くて、優しくて、暖かい人でした。
周囲からも愛されて、人望の篤い人でした。
あんなに素敵な大人には、今尚出逢ったことがありません。

祖母があたしを愛してくれていた分、あたしも祖母を愛していました。

言葉が話せなくなっても、目を見れば分かり合えていたと自負しています。
あたしたち家族は『特別』だったのだと。
息子である父の名前を忘れてしまっても、あたしや母の名前は忘れなかった祖母。
そんな祖母の深い深い愛に包まれて、幸せな幼少期が過ごせました。
妹の日記は、そんな幸せなあたしの過去を思い出させてくれました。

消えたいと、逝きたいと望んだことを恥ずかしいとも思いました。

きっと祖母は赦さない。
負けて尻尾を巻いて現実から逃げたあたしを、きっと赦さない。

そう思ったら、また泣けてきました。

今はもういない人に、あたしは生きる力をもらっています。

あの時、もっと逢いに行けば良かった。
そんな後悔ばかりが胸を占めます。
逢いに行けるのに、行かなかった。
祖母の最期を看取れなかったことを、あたしは今も後悔しています。

祖母は国定の難病で、最初に入院した時は既に余命8ヶ月だと言われました。
そう医者に言われてから祖母は5年、生きました。
話しかけても、いつも薬のせいで眠らされていて反応は鈍かった。
だけど、あたしたち家族は一生懸命話しかけて、無理矢理起こして、一緒の時を過ごした。
医者には「やるだけ無駄」「話しかけても内容は理解していない」等と言われました。
でも、祖母は嬉しければ涙を流したし、嫌な時ははっきり拒絶した。
ちゃんと、意思の疎通は取れていました。

祖母の死は、突然でした。
いつかはその日が来ると、分かってはいても、その日は突然過ぎました。

けれど祖母は、息子4人とその妻たちに看取られ、優しい最期を迎えたと聞きます。

通夜や火葬の時は、泣くには泣いたけど、思い切りは泣けなかった。
妹たちを抱き締めるのに精一杯だったし、あたしはまだ祖母の死を受け止めきれていなかった。
声を上げて泣くことは、祖母の死を認めることだと思ったし、それはしたくなかった。

小雨のぱらつく中、細く細く灰色の空にたなびいた細い煙をずっと見つめていました。

骨になった祖母はもう祖母ではなかったけれど、でも骨壷は暖かかった。
桐の箱を抱いて空港から懐かしい匂いのする島に降り立った時、旧知の小父さんが一言

「おばさん、おかえりなさい」

と桐の箱を撫でてくれたことを忘れません。
その優しい声を聴いて初めて、祖母はもう生身では帰ってこないのだと理解しました。
箱ごと小父さんに抱きついて、声をあげて泣きました。
あたしを抱き締めてくれた小父さんの腕は、とても暖かかったです。
あんな風に泣いたのは、10年以上ぶりくらいだったと思います。
祖母が逝ってから、2日ほど眠れていなかったので、その日、漸く眠ることが出来ました。

祖母の匂いのする、祖母の居ない家で、みんなが祖母の居ない違和感に慣れようとしていました。

時折会話が止まり、誰かの声を(祖母を)待っていました。
時折動作が止まり、誰かの姿を(祖母を)待っていました。
誰も言葉にはしなかったけれど、みんな同じ思いだったと思います。

島での葬儀の日の夜、一瞬だけ不可思議な停電が起きました。
祖母が「行って来るね」とお茶目に挨拶をしていったたのだと思います。
その不思議な停電は、49日の日と1周忌の日にも起きました。
ホントに祖母はお茶目な人です。(笑)

それから、色々嫌なことがありました。(お金に拘る大人は汚い)
あたしたち家族は一方的に詰られ、辛く嫌な思いをたくさんしました。
けれど、祖母に一番愛されたあたしたち家族だったから、負けなかった。
お金は要らない。祖母の思い出さえあれば、それで。と。

汚い大人は、そういう『綺麗事』(彼ら曰く)を信じたくないようですが。

今もこの辺はしこりとなって残っています。(あたしは彼らが大嫌いです)

そういえば、妹が日記に書いた夢のように、あたしの夢にも祖母は何度か出てきています。
いつもいつも、あたしを叱っているような気がします。(苦笑)
目覚めるたびに、そうして夢の中で叱られていたことを嬉しく、愛しく思います。
貴女が逝っても尚、心配をさせてしまう不出来な孫たちだけれど…。

長々と書いてしまいましたが、最後に一言。

おばあちゃんへ。いつまでも、愛しているよ。
幸せな記憶を、有り難う。


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