Art-Hanaの日記

2002年11月10日(日) 青い鳥

十一月ももう十日までになった。
この間文化の日やらの連休で賑わっていた。
芸術の秋さ〜て何をする、とか…。
だいぶ前に買っておいた五木寛之の「青い鳥のゆくえ」
という本を開いてみた。「青い鳥」というのはメーテル
が戯曲に書いたもので物語の最後は隣りの女の子に
「この鳥はなにを食べるのかしら」とチリチル少年が聞かれ
「ちょっと貸してごらん」と言ってとろうとすると、女の子
は渡すまいとする。ふたりがとりっこしているうちに、鳥は
鳥かごから飛び出して空遠く飛んでいき、姿を消してしまう。
せっかく見つけた青い鳥を失ったチルチルとミチル。
絶望の叫びをあげて泣く女の子。
チルチルは舞台の前に立って、観客にむかって「だれかあの
青い鳥を見つけた人は、ぼくたちに返してください。ぼくたち
は、幸福に生きていくためにはあの青い鳥が必要なんですから〜」
というせりふとともに幕はおりる。
人間はひとりひとりが自分の手で青い鳥をつくらなければいけない。
既成の幸福とか希望とかというものでない自分の手でつむぎだし、
つくりあげ、自分の青い鳥として生きていけるものを…。と。
そうやなぁ〜、できあい、既成のものは飽ききて逃げてしまう…。
そしてまた見つけたと思ったら取り合いになって見苦しい中に
逃げてしまう、またがつがつと既成のものを探す…。
自分がつくり上げた自分だけのものは盗られもしんし逃げも
しないもの…。
まあ こつこつと気長に青い鳥つくり育てることを心してと
いうことやなぁ〜。
「慈悲」という言葉が出てきてる。
慈というのは ひとを励ますこと元気をつけること、をいう。
まあ父親の愛情みたいなもの…。
悲とはひとを慰める、ひととともに悲しみや苦しみを共有する
ことをいう。母親の愛情みたいなもの…。と。
それから よろこぶことは身体にとてもいいことで、自然冶癒力を
高める、いきいきと生きていかねばいけない、と言われる。
でも悲しむこともまたよろこぶことと同じように人間の細胞を活性化
させて自然冶癒力を高めるということが、アメリカの大学で確認
されていらしい。だからわたしたちはよろこぶと同時に悲しむことも
忘れてはならないらしい。
大いによろこび、悲しみ、怒り、喜怒哀楽の感情を素直にあらわし
ていくのも必要なんやなぁ〜と思う。
いまインドの思想、東洋の思想<慈>より<悲>のほうに、大きく人々
の目がむきかけている時代に入ってくるのかなぁ〜。と。


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