2002年11月30日(土) |
兄と葉っぱのフレディ〜 |
久ぶりに「絵本」レオ・パスカーリアの「葉っぱのフレディ」を 開いてみた。「葉っぱのフレディ」のなかの語り…「楽しい夏は 過ぎ秋になり寒さがおそってきました。霜がきて、きもうすぐ 冬になる知らせがきた。緑色の葉っぱたちは一気に紅葉しました。 いっしょに生まれた同じ木の、同じ枝のどれも同じ葉っぱなのに、 どうしてちがう色になるのか、フレディはふしぎでした。 「それはね…」とダニエルが言いました。「生まれたときは同じ 色でも、いる場所がちがえば、太陽に向く角度がちがう。風の通り 具合もちがう。月の光、星明り、一日の気温、なにひとつ同じ経験 はないんだ。だから紅葉するときは、みんなちがう色に変わって しまうのさ。」風が変わり、別人のように葉っぱにおそいかかり 葉っぱは吹きとばされ。つぎづぎと落ちていきました。 ダニエルの声が聞こえてきました。 「みんな引越しをする時がきたんだよ」アルフレットもベンも クレアも、そのときが来てひっこしていきました。 見ていると風にさからって枝にしがみつく葉もあるし、あっさり はなれる葉っぱもあります。「引越しをするとか、ここからいなく なると言うのは…死ぬ、ということでしょう?」「そのとおりだね」 とダニエルは言う、「まだ経験したことがないことは、こわいと 思うものだ。でも考えてごらん。世界は変化しつづけているんだよ。 春が来て夏になり秋になる。葉っぱは緑から紅葉して散る。 変化するって自然なことなんだ。ぼくたちも変化しつづけるんだ。 死ぬというのも、変わることの一つなのだよ。」 「この木も死ぬの?」「いつか死ぬさ。でも”いのち”は永遠に 生きているのだよ。」とダニエルは答える。 「ぼくは生まれてきてよかったのだろうか。」とフレディはたずねる。 ダニエルはうなずき「ぼくらは春から冬までの間ほんとうによく 働いたし、よく遊んだね、まわりには月や太陽や星がいた。雨や風もいた。 人間に木陰をつくったり、秋には鮮やかに紅葉してみんなの目を 楽しませたりもした、それはどんなに楽しかったことだろう。 幸せだったことだろう。」 その日の夕暮れ金色の光の中を、ゆっくり ダニエルは枝をはなれていきました。「さよなら フレディ。」 ダニエルは満足そうにっほほえみを浮かべ。ゆっくり静かに。 次の朝は初雪でした、明け方フレディは空中にしばらくまって、それから そっと地面におりました。はじめて木の全体の姿を見ました。 なんてがっちりした、たくましい木なのでしょう。ダニエルから聞いた ”いのち”ということばを思い出しました。”いのち”というのは 永遠に生きているのだ。ということでした。フレディがおりた雪の上は やわらかく意外とあたたかでした。引越し先はふわふわして居心地の よいところでした。フレディは目を閉じ、ねむりにはいりました。 ”冬が終わると春が来て雪どけ水になり、枯れ葉のフレディは その水にまじり土に溶け込んで木を育てる力になるのです。 大自然の設計図は寸分の狂いもなく”いのち”を変化させつづけてます。 この十一月十五日に兄が逝去した。兄は頑固で自分の優しさという表現が ほんとに不器用で下手な人やったと思う本当は寂びしがり屋で甘えたがり屋 やったのではないか…、赤ん坊と猫が好きであった。でも兄らしい死に方 やったと思う、身体を患いもしなく大好きなお風呂で心臓麻痺で”おらは 死んじまっただぁ〜”やから、まあ歳も兄らしいまあまあのところの ような気するし、極楽往生やとみんなが思った。歳のいったものは、 「あやかりたい」と云っていた。でもあの難しい兄を支えてくれてはった お義姉さんにはほんとに頭さがる。これから自分の人生してほしい。 何故か不思議なことにわたしが、うとうと寝ていたところ誰かが’ぽん’と 寝ているわたしの肩をたたいた気がした、なんか落ちてきたんか、と 見たが何にもなかった。丁度その頃の時間に兄が亡くなった、みたいや。 兄ちゃんが「ほな、お先に行ってまっさ」と言いに来はったんやと思う。 兄はどんな葉っぱやったんかなぁ〜。 わたしはどんな葉っぱなんやろぅ…。
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