| 学ぶと言うこと |
一日中雨だったので、部屋で本を読んでいました。 高橋昌一郎氏の、『ゲーデルの哲学』(講談現代新書)です。 いつもなら、【読書】として紹介するのですが、この本に関しては無理です。
まず、内容がほとんど理解できませんでした。 「不完全性定理」という理論について書かれている本なのですが、この定理が結局何が言いたいのかがいまいち分からないのでした。 つまり、例外のない法則はないのようなことを言いたいのだと思うのですけど、それに付随する例や、記号なんかが、もう全くと言っていいほど理解不能だったのですね。
例えば、嘘つきのパラドクス(私は嘘つきです、という発言によって、その人は嘘つきではなくなる、というパラドクス)とかが例に挙がっているのですが、結局、言葉の限界が思考の限界である、というウィトゲンシュタインの主張と何が違うのかが全然分かりません。
量子力学で言う不確定性原理の方は、まだ実証に基づいている分、分かりやすいのですけど(といっても、理解しているわけではありませんが)、論理に次ぐ論理で構築されているこの定理は、直感的に分かろうとしても無理があるのですね。 と言っても、解りやすいことが必ずしも美点では無いということもあります。「例えば・・・」という表現は僕もよく使ってしまいますが、これはあまり良くないことなんですよね。伝えようとするときには、根源的な、飾りっ気のない、まっさらな言葉で伝えるのが一番。変に色気を出して比喩を使うと、間違った方向へ理解される場合がほとんどです。 言葉の意味は、それを使う人によってまちまちなのです。 だからこそ、研究者は一般の人には全く理解できない専門用語を使うのですね。専門用語は、厳密な定義によって、意味が決められているので、受けとった人によって解釈が異なる、という危険を出来るだけ避けようとしているのですから。
学問という物は、一朝一夕には身に付かないと言います。 それは、その理論が創られた背景をまず理解してからではないと、その理論を理解することは難しいからに他ならないからですね。そりゃ、天才と呼ばれる人種は、その理論に至る道筋を、自らの思考で追いかけられるかもしれませんが、一般的には、基礎理論から始めなくてはまず無理でしょう。 そう考えると、まだまだ人は成熟期に入ってはいないんだなぁって思います。自らの進化の為ではなく、生き抜くために日々を過ごしているわけですからね。
取りあえず、「プリンピキア」から読み始めてみたいな。
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2003年07月13日(日)
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