おぎそんの日記
おぎそん



 見えないものが見えること

タイトルだけ見て「あらネタに困って心霊とかの方面に走ったのかしら」と思われた方、残念でした。幸いにも当面のところ、そのようなネタを取り上げるつもりはありません。
まぁ、都市伝説などを最近改めて、人類民俗学の視点から考えようとはしているもののそんな度胸はありません。
ええ、USO?!ジャパンがやらせであっても!!
恐怖小説ホラー小説から脱却を図り、最近では山はは(←へんが女で、つくりが比)で第116回直木賞を受賞した坂東眞砂子のエッセイでも、警告がありましたし、あまり畏怖の感情を疎かにすると大変なことになりそうですし。

先日、図書館から借りていた本を早速延滞してしまいました。
こういうところに、全く進歩のみられないおぎそんです。

さて、借りていた本は
北村薫「朝霧」
大沢在昌「心では重すぎる」
井上尚登「C.H.E.(チェ)」
加納朋子「掌の中の小鳥」
の4冊でやはり厚みからいって「心では重すぎる」が一番重厚でした。てゆーかドロリ濃厚です。なにしろ755ページありますしね。

さて、今更ながら「円紫さんと私」シリーズの5冊目である「朝霧」を読了致しました。なかなか(中古)本屋に出回らずいままで立ち読みでしか見ていなかったのですが、その世界観に圧倒されました。
前作の「四の宮の姫君」ではなぜ人様の卒論に付き合わねばならないのかとの批判もありましたが、今作では社会経験を重ねてゆく「私」の目を通してさまざまな出来事を描いていく・・・ということなのですが、相変わらずうまいです。
親が子を思う気持ち・人の中に当然のように潜むどす黒い気持ち・人を想い、その収拾のさせ方に戸惑う気持ち・・・いろんなものが詰まっています。
そのなかでも、印象に残ったのは“(わたしには分からないある俳人の歌を)「この人でないと出来ない、大変な句だといいます。その人の感覚というのを、僕は信じてますのでね、間違ってはいない。僕が分からないだけだと思います。<いい>といえるものが、それだけある。それが見えるということは、世界が豊かだということでしょう。羨ましいと思いますよ」
という部分であります。

この、自分には分からない感覚というものを、バッサリと切り捨てるのではなく、きちんと受けとめそれを評価する。この姿勢というのは、ある種「単なる八方美人じゃないのぉ?」ということが出来るかもしれません。
しかしながら中学生当初に読んだヘルマン・ヘッセの「車輪の下」が時間を経て再読した時に改めて“こんなことを言っていたのか”と感じ取ることができるのです。この極めて個人的な体験からもこの台詞の奥深さを感じ取ることが出来ます。
わたしたちは誰もが同じことを体験しているわけではありませんし、同じ出来事を体験しているからといって感じ取ることはまるっきり違います。朝日新聞の影響もある
べつに、多用な価値観を認めよう!などと道徳のようなことを言う気などさらさらありません。
自分の考えでさえ不確かさに基づいていることは自覚して欲しいと思いますけど。

さて。「心では重すぎる」でありますが、おそらくこの本をもう少し早い時期―例えば高校生とかの時に―読んだら明らかに評価が違ったと思います。
まるで、夏目漱石の「こころ」のようですけれども。
正直な話、おぎそんはいままでに一冊しか大沢の本を読んでおりません。しかも、それが新宿鮫なら可愛いものの、中学の時に「アルバイト探偵(アイ)」をどう間違ったのか古本屋で購入し、その世界観の分からなさに投げ出しました。
というよりも、幼かったのでなにをいいたいのかよくわからなかったのです。それっきりハードボイルドには縁がないと諦めていたのですが、ひょんなことから興味がわき(このミステリーが凄い!2002参照)つい手が伸びました。
今までの彼に対する評価がおぎそんの中ではかなり変わりました。大極宮での評判はともかくとして、ここまで現在における不安に対する問いかけを放った意義は大きいです。
その解決法などどこにもなく、それは個人で模索していくことは当たり前なのですがその前提としてこの本を押さえておく必要はあるように思います。
よく、信仰宗教団体のルポ(元信者によるもの)などが出ておりますが、それは内部から見たもので、外部からは分かりにくいものです。
そのことに関して、この本は的確に押さえており、本書と村上春樹の「アンダーグランド」「約束の場所で」を押さえれば、まずはいいと思います。
(余談ではありますが、約束の場所で、はなんだかときめも3のサブタイトルみたいですね。それにしてもなんでときめも3なんて駄作を出す必要性があったのか疑問を感じますけど)
とくに、505ページからは圧巻です。まぁ、結末が甘いといえば甘いですけど、それに到る過程は評価できます。

井上尚登は、第19回横溝正史賞を受賞した「T・R・Y(受賞時は 化して荒波)」でデビューした新進気鋭の作家です。
前作が歴史史実と虚実を巧みに織り交ぜ、プロでもなかなかこのように書けないであろうと思わせるほどの作品でした。
こんな作品が100円で買えてしまうBOOK OFFも素敵です
さて、それから8ヶ月後に出版された作品です。
というよりも、T・R・Yは入手しやすかったのですが、このC.H.E.は初めて見ました。
まぁ、歌手でいう「一発屋」という可能性もなきにしもあらずですから、心配はしておりました。草葉の陰から・・・ってダメですね。
というわけで、今回の作品はなんと南米における物語で、前作より現実に比重を置いたようにも取れますが、全く持ち味は変わっておりません。というよりも、これが尚登氏のスタイルということが出来ます。

さて、先ほど上げた個人的な一発屋というと第4回ホラー大賞長編部門賞受賞作品「レフトハンド」中井拓志 をあげたいと思います。
これはちょうどおりしも「パラサイトイブ」(瀬名秀一)に一年後であり、ホラー対象受賞作品は「黒い家」。映画化もされましたけど、大竹しのぶがあの○○○○の役をやるのはどうかと思いますけど、確かにS・キングの「ミザリー」に匹敵するくらい怖かったです。

で、「掌の中の小鳥」です。第3回鮎川哲也賞受賞当時から、北村薫に似てる似てるといわれつづけたものの、今や独自のスタンスを確立した彼女の3冊目であります。
もう疲れてきたのであんまり書けません。
北村薫とは少し違う作品を読みたい方は是非とも。
北村薫が年長者の視点から描いているとしたら、加納朋子はどちらかというと同世代的な見方をしています。彼女が描く女性は大変まっすぐです。好感が持てます。それは、誰の中にもある部分を有しながらもデフォルメをするのではなく、持っていながら照れや見栄などでつい出さずにいる部分を描いていると思うのです。

というわけで、日曜日には返却してこようと思います。
今度は何を借りてこようかな〜♪



2002年02月02日(土)
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