オトナの恋愛考
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パーティーが始まる5分前に私とひろは席に着いた。
その日、MCを担当するH氏が席にやってきた。
「こんばんは、うさぎさん。今日は特別ゲストでご紹介しますのでよろしく。」 と言って急いで行ってしまった。
「うふふ、いきなりゲストだって(笑)」 「そうみたいだね。」
スピーチは慣れているけどひろが初めて見るビジネスシーンでの私。 だから少し緊張したけれど、冷たいハーブティーを飲みながら 彼のそばで出番を待っていた。
始まってから20分後のあるパートの最後に紹介された。 ひろを振り返ると「頑張って。」と目で合図をしてもらって ステージに向かった。
ディナータイムになり、メンターのSさんご夫妻と談笑して 記念に写真を撮ったり、久しぶりに会う人々と言葉を交わしたり そんな私をひろはどんな風に見ていたのだろうか。 有名イタリアンのシェフが作った料理はとても美味しくて ひろは気に入ってくれたようだ。 〆のコーヒーとデザートで楽しい会食が終了した時間は夜の8時過ぎ。
挨拶をしてレストランを後にした。
「どうしよっか。」 「最終は何時だっけ?」
この日、何度目か彼に確認された時刻は 22:54の最終の新幹線。
「じゃあ品川まで移動しよう。」
品川に着いたのが21時ちょっと過ぎで 1時間でも2人きりになれる場所を探したけれど 都会の片隅では駅前のカラオケルームだけ。
ビルの4Fの部屋を案内された。 最新式のカラオケルームは明るくてきれいだけれど ガラス越しのドアからやはり丸見えだ。 ベンチシートに座るとひろが後ろから私を抱くような感じで座った。 私の腰に手を回して背中から抱かれるようなスタイルで 耳元に彼の吐息を感じて、いつものようにうまく歌えない。
歌わないひろの代わりに私が数曲チョイスした。 ずべてせつないラブソングで 私が曲名を選ぶたびにひろは「いいね。歌って。」と言って ギュッと背中から抱きしめて黙って聴いている。
歌い終わって振り向こうとするたびに頬や髪やこめかみにキスをするから 私はドアの向こうが気になって仕方がない。
広い都内の死角になっている場所で二人になる度に この日何度唇をあわせただろうか。
メトロやビルのエレベーターでは ドアが開いた途端に人が乗り込んでくる訳で 私たちはドキドキ感を楽しみながらキスを繰り返す。
しばらく人が乗り合わせないことが確認できた時は あまりにも気持ちが入ってしまい、彼が舌を絡ませて離れない時もあって 気が付く前に人が乗り込んできたときもあった。
ひろが入場券を買ったことを知らなかった私は 発車時刻まではまだ20分ほどあるにも関わらず 彼が改札へ入っていくことでホームで見送ってくれる事に気が付いた。
私の一人ぼっちのシンデレラ・エクスプレスの記事を読んだ彼が 今度は最終新幹線に乗って帰る私の為に 自分が自宅に帰るための最終に間に合わない事を覚悟で 見送ってくれる気持ちがとても嬉しかった。
この日、失った2時間の為に 予定は細切れでゆっくり抱き合う時間もなかったけれど その細切れのほとんどの時間、ひろと私は触れ合っていた。
移動時間はずっと手を繋いでいた。 人がいなくなるとキスを交わし狭い空間では密着していたから 唇や舌や指や手や衣服越しの温もりをずっと感じていた10時間。
セックスするよりもエロチックなシンデレラの一日。
ホームの椅子に腰掛けて手を握りながら話をしていたら 急に彼が立ち上がり、私の手を引っ張ってホームの柱の陰に連れて行った。
柱とホームの間は1メートルちょっとで 人はあまり通らない場所で彼にギュッと抱きしめられた。
「いい年して恥ずかしいでしょ。人が来たらどうするの。」 と少し離れようと抵抗してみたけれど 余計に腕に力を入れて抱きしめるから 抵抗は諦めてされるがままにしておいた。
顎をちょっと上に向けられるとそのまま彼にキスをされる。 ちょっとだけ唇を合わせるだけのつもりが、 舌を絡めた濃厚なキスになってしまい、 背中に回した腕が力強くで 離れようとした私の身体はびくとも動く事が出来なかった。
「だめだめ。人が来る。」そばを人が歩く気配を感じる度に訴えたけど 「大丈夫。見えない見えない。」彼が私の顔を隠すように更に抱きしめる。
ホームに最終の下りが入ってきて、私たちはようやく体を離した。
「じゃあね。」と私はドアの向こうへ。 「うん、またね」と彼が言った途端に駅員に警笛を鳴らされる。 「あはは。この事だったんだ・・・」と言いかけた彼の声は ドアが締まってしまい最後の方は聞こえなかった。
動き出しても彼の姿を目で追った。ホームに佇む彼が見えなくなるまで。
私のシンデレラエクスプレスの時間。初めての体験。 今度はいつ逢えるのだろうか。
今日からまたひろの忙しい1週間が始まった。
あの事件の顛末で、 今までの彼のビジネスが暗礁に乗り上げてしまう事だけは 言葉少ないあの日の会話で感じ取っていた。
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