新聞記者っつーと、だいたい二つのイメージが抱かれると思うのです。世の中の不正を暴き社会の流れを追う、というようなかっちょいいイメージが一つ。そしてもう一つは、ハイエナのようにあることないことかぎ回る泥臭いイメージ。「社会の木鐸」とか「ブン屋」とか、まぁそういう要素もあることは否定しないけれど、その実態は。特に、新米経済部記者の実態は。
ぶっちゃけ、サラリーマンですよ。新人は、「事件が起きなさそうな」会社に回され、なんか新商品情報とかを「処理」しつつ、まぁ、もうちっと大きい事件をどっかから拾ってくる、そんな役回り、と理解している。日々まぁ何社かを回り、「なんかニュースないっすか」と尋ねてくる。帰社して、「今日も特にありませんでした」と報告すると、「馬鹿野郎!」と怒られはしないものの、「そろそろしっかりしてくれよ」という雰囲気を感じつつある、そんな三ヶ月目。
だからこれはもう、営業(外回り)と同じなんだなぁと思ってる。ノルマ(=記事執筆)を達成するため、まぁ色々と歩き回ってさ。契約(=ニュース)を取るため、ひたすらいろんなとこを訪ねるわけでさぁ。
今日は暑かった。午前中、新しく引き継いだ会社に挨拶に伺ったものの、特に目新しい情報は出てこない。ちょっとした内部情報をGETして、それから来月あたりシャチョーさんに面会させてもらうことをお願いして。あとは「まぁ今度飲みにでも行きましょうか、はっはっは」という、守られないだろう口約束を交わす。あー、次回はもっと情報引き出せれば良いのだけれど。
帰り道、午前11時30分。梅田の辺りをぶらぶらしながら、食事処を探す。先日友人が若くして糖尿病を患った。朝は食わず昼はサンドイッチ、夜はラーメンやら居酒屋、そんな生活を続けての顛末。当時の彼とまったく同じ生活をしている。これではいけないと、何かマズイものを食べようと、ぶらぶら探す、町並みを。そうすっと駅の商店街で古びた定食屋を発見。
日替わり定食を注文した。お新香とハンペンと、ハンバーグ。臭い白米に、アサリの味噌汁。隣に40−50代のサラリーマンと肩並べ、味噌汁をずずずと吸って、あぁ、涙が出そうになった。俺、何やってんだろう、と。600円。ごっそうさん。おばちゃん、また来るよ。次はもっといい米にしてくれよ。
小学校の頃、タイムカプセルに、「21世紀の自分へ」とかいう作文を入れた。そこに書いたのは「サラリーマンにだけはならないでください」、と。お前、サラリーマン、なめんじゃねえよ。こっちはな、頑張ってんだよ。なぁ、隣のおっさんよ。訳の分からない悪態を胸の中でつき、そのまま午後も取材(=外回り)。それからいろいろ送られてきたくだらねえ新商品情報を「処理」して、明日の取材のため資料を読み込んで、気がつくと午前1時30分。今日の日はさようなら。また会う日まで。いいよもう。寝るよ。
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