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2024年08月31日(土)
『ハント』(20230831)

『ハント』@T・ジョイPRINCE品川 シアター3

観てから丁度1年。ジョンジェさんの舞台挨拶付きジャパンプレミアの様子はこちらに書きましたが、本編の感想を書きそびれたまま随分時間が経ってしまいました。残していたメモをこのまま捨てるのも忍びなく、そっとおぼえがきなどを放流しておきます。『ソウルの春』の感想に書いたけれど、「父もあんな風にバスに乗れていたらよかったのに」と遺族の方が泣いたというエピソードがずっと頭から離れないのです。クーデターが失敗していれば、全斗煥が権力を手にしなければ、こんなことも起きなかった。負の歴史は繋がっている。原題『헌트(ハント)』、英題『HUNT』。2023年、イ・ジョンジェ監督作品。

もはや韓国映画の1ジャンルともいえるファクション(=ファクト+フィクション)。今作は実際の事件がモチーフになっていますが、フィクション比率の方が高いかな。それでも、WW2後の朝鮮半島の分断、その後の軍事独裁政権はあまりにも多くのひとの人生を変えてしまった、というメッセージが強い光を放ちます。1983年のお話。北朝鮮のスパイは誰だ? というサスペンスを縦軸に、国を守ろうと対立するふたりの男の戦いと連帯を横軸に。モチーフとなる事件は「ラングーン事件(アウンサン廟爆破事件)」。祖国の統一を夢見た男と、祖国を解放しようとした男。どちらも行き着く先は「大統領暗殺」だった……これを皮肉といわずして何という。

それにしてもホント、全斗煥って悪運が強すぎる。数々の罪は民主化後に追及され裁きも受けたけど、なんだかんだで逃げおおせた。光州については最後迄その責任を認めなかった。本当にやりきれない。

ジョンジェさん、初監督作品とは思えない手腕。しかも脚本にも手を入れている。アクションの演出にも唸る。終盤の流れが素晴らしかった。セレモニーの軽快なブラスバンド演奏と、その背後で展開する緊張感溢れるやりとりのギャップ。爆発が起こり大混乱に陥る現場、長い銃撃戦、傷口を押さえても押さえても溢れ出る血、絶命するジョンドと脱出するバス、遠ざかる大統領を乗せた車両。なすすべもなくそれを見送るピョンホの表情……信念を貫いたが故に「おいていかれる」「打ち捨てられる」痛切さ。鮮烈なシーンだった。

対立するふたりの人物をシンメトリーで撮る画面もスタイリッシュ。睨み合う横顔、バスの席位置。なにせチョン・ウソンとイ・ジョンジェのシンメですから、エモも極まるというもの。泥臭い諜報アクションであり乍ら、画面がグラマラスかつゴージャス。ウソンさんがとにかく格好よく、「私の考える格好いいウソンさん」「私が撮るウソンさんがいちばん格好いい」という監督の思いが結実していたようにも見えました。

でもジョンジェさん本人も抜群に格好いい訳ですよ。自分で自分をどう演出したのか気になるところ。演技の最たるものって死ぬ演技だと思うのです。生きている人間が唯一経験出来ないこと。体験なしにそれを“演じる”には想像力、アイディアとスキル、そしてカリスマが必要。残酷で、美しく醜い死をウソンさんもジョンジェさんも体現していました。

日本で撮影する計画だった中盤の銃撃戦シーンはコロナ禍で頓挫、釜山にオープンセットを組んで撮ったとのこと。てかこのシーン、友情出演てんこもりの超豪華布陣でさ…日本ロケが実現してたらこのひとら全員来日してた訳でしょ……? あーコロナが憎い。その豪華友情出演陣、殆ど死んでしまいました……なんて贅沢な。それにしてもこのシーンにしろクライマックスにしろ、銃撃戦の派手なこと。『ヒート』に喩えられてましたが、ホントすごかった。チョン・マンシク演じる作戦課長が重傷を負い、入院した病院でも襲撃を受けるという壮絶な役まわり。演じているとわかっていてもなんだか気の毒に……。マンシクさんは『ソウルの春』でも重傷〜入院という流れだったのでこのことを思い出し、クスッとなってしまったのでした。

振り返ってみればなかなか楽しんで観ていたな。とはいうものの、ウソンさんとジョンジェさんも、登場人物と思いを同じにする部分はあるのだろう。ふたりの宣言のような映画でもありました。

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・ハント┃輝国山人の韓国映画
いつもお世話になっております。友情出演がいっぱい!

・「ジェントルマン」パク・ソンウン“チュ・ジフンに説得されたため出演を決めた”┃ Kstyle
「『ハント』は1時間撮影して、その日に5時間ほどお酒を飲みました(笑)。その中で2時間はチュ・ジフンに説得されましたね」
友情出演者が集まるとこういうことになります(笑)ていうかあのシーンを1時間で撮ったってすごくないか

・「イカゲーム」のスター、イ・ジョンジェの最新インタビュー──初監督作『ハント』で、盟友チョン・ウソンとも24年ぶりに共演。その舞台裏とは?┃Vogue Japan
ジョンジェさんがダブル主演にウソンさんをキャスティングしたことは必然だったし、これはもう運命でしょう

・『ハント』で23年ぶりに共演。イ・ジョンジェ ✕ チョン・ウソン、韓国の2大スターが並走する道┃Vogue Japan
「すごく苦労するだろうな」という心配半分、「おお! いいね、君も一度経験してみろ。早く地獄の扉を開けて入ってこい」といううれしさが半分(笑)。
ウソンさんいけず〜(笑)2022年10月の記事。今作はジョンジェさんとウソンさんが立ち上げた事務所『アーティストカンパニー』と、サナイピクチャーズの共同製作。ちなみにサナイピクチャーズは『新しき世界』『アシュラ』の製作会社なのでした。いい会社だな!

・映画「ハント」の時代を追った…┃一松書院のブログ
こちらもいつもお世話になっております、秋月登氏のブログ。ラングーン事件については全く知らなかったので、これらのテキストに随分助けられた。そもそもは本国で公開されたとき、秋月氏が「難度が高い」とツイートしていたので心構えが出来たんですよね。で、簡単に予習して観たのだった。こういう勉強は楽しい

・しかしこんなとんでもないことした相手と国交回復する(24年かかったが)なんてミャンマー寛大だな…この国も厳しい時代が続いていますが……ちなみに映画ではタイの設定になっていました



2024年08月25日(日)
『ソウルの春』

『ソウルの春』@新宿バルト9 シアター5


ファクション=ファクト+フィクション。『タクシー運転手』で光州を取材した青井記者と斎藤記者ら日本人記者の存在が消されていることには引っかかったし、『HUNT』で「(ラングーン事件のとき)父もあんな風にバスに乗れていたらよかったのに」と泣いた遺族のエピソードには「こういう救済もあるのだ」と感じ入る。そういうこと。原題『서울의 봄(ソウルの春)』、英題『12.12: THE DAY』。2023年、キム・ソンス監督作品。

「失敗すれば反逆、成功すれば革命」。1979年12月12日に起きた軍事クーデターの9時間を描く。朴正煕が暗殺され、一度は民主化──“ソウルの春”──へ胸を膨らませた国民の期待は、この出来事により再び踏み潰される。扉が開いたのは1987年。しかしそこから退役軍人による政権が終わる迄6年かかっている。

メモとして、今作と繋がりのある作品の感想を時系列順に並べておく。『ソウルの春』は、『KCIA〜』と『タクシー運転手』の間に起こった出来事。

・『キングメーカー 大統領を作った男』
・『KT』(12
・『KCIA 南山の部長たち』
・『ペパーミント・キャンディー』
・『タクシー運転手』
・『星から来た男』
・『弁護人』
・『ハント』
・『1987、ある闘いの真実』

さまざまな形で描かれる「その日」。真実は時代に翻弄される。政権が変わると「解釈」が揺れる。当事者が残した証言が編集される。改変されるともいう。近年でも、朴正煕の娘である朴槿恵大統領時代には文化人ブラックリストが作られる等多くの抑圧があり、言語統制の空気が蔓延していた。世が世なら、今作も全斗煥が革命家として描かれエンタメ化されていたかも知れない。しかし、今はそうではない。そのことに胸をなでおろす。

構成が巧みで、かなりの数にのぼる登場人物の区別がつきやすい。軍の制服の違いもあるし、襟章により階級がひと目でわかる。首都警備側では、真っ当な進言が階級や年齢が下だという理由で通らない。一方クーデター側は、保身にまみれた年長者たちが階級も年齢も下の首謀者のいいなりになっていく。時間と場所、人物名と役職に細かく字幕が入っていたこともかなり助けになった。原語字幕がないところにも入っていたが、本国の観客は字幕なしでこれらを把握出来たのだろうか? それとも原語字幕を一度消して日本語字幕に差し替えたのか…レイヤーが別なのかな、じゃないとすごい大変……日本語字幕制作スタッフの労力に感謝するばかり。

クーデター計画は杜撰で、かなりの穴があった。首都を守る側にも、制圧のチャンスは幾度もあった。映画はその分かれ道を克明に描く。クーデターの首謀者・ドゥグアン(全斗煥がモデル)と首都警備司令官・テシン(張泰玩がモデル)がほぼ同じ台詞を吐く場面が何度かある。「行くなら俺を撃ってから行け」、「市民を利用しよう/放っておけ」。その言葉に続いた結果に唇を噛みしめる。勝てば官軍、負ければ賊軍とはよくいったものだ。史実はひとつ、憤懣やるかたないとはこのこと。クッソ間に合え、クッソ失敗しろと何度念じても、それらが覆る訳がない。大河ドラマなどで描かれる関ヶ原の戦いで、今年は石田三成が勝つんじゃねえのと思ってしまうようなものか……というのは軽率だろうか。テシンのその後を思うと目眩がする。名誉が回復しても、失われた時間と命は戻らないのだ。

韓国を代表する役者たちが揃っている。相当な覚悟をもって出演したのだろうと想像がつく。クーデターの首謀者はファン・ジョンミン、迫真の演技。全斗煥のイメージを身体に刻みつけたかのよう。特殊メイクの効果だけではない。首を前に出した猫背、両手を腰に当てるポーズ。身長すら縮んで見える。ソウルを守ろうと奮闘する首都警備司令官はチョン・ウソン。高潔で清廉な人物像を濁りなく見せる。だからこそ彼の辿る道を知っている観客は歯ぎしりし、その後の平穏を祈り続けるしかない。

盧泰愚にあたるノ・テゴン役、パク・ヘジュンも小心な人物像をうまく造形していた。ズッ友描写にはついイヤな笑いが出てしまった…盧泰愚と全斗煥、同じ年の1ヶ月違いで死んじゃったんだよね……(事実は小説よりも奇なりではあるが、実際こういうことって結構あるもんですね)。憲兵監役のキム・ソンギュンも誠実な人物像、観る側の心が寄る演技。対処の最適解を知っているのにそれを悉く無能の上司に潰される。その後が気になる人物だった。モデルとなる人物はキム・ジンギ(金晋基)とのこと。彼の名誉もその後回復されたが、生涯クーデターの悪夢に苦しめられたとある。

陸軍参謀総長役のイ・ソンミン(『KCIA 南山の部長たち』では朴正煕役だった)、第10代大統領役のチョン・ドンファン(事後報告だと日付をサインするとこよかったね……)も穏健な人物像で印象的。テシンの部下役のナム・ユノも印象に残るツラ構えと強い声を持っていた。特殊戦司令官役のチョン・マンシクとその部下役チョン・ヘインにもいい見せ場があった。マンシクさん『HUNT』でもエラい目に遭ってたけど、監督の嗜虐性を刺激する何かを持っているのだろうかとちょっと笑ってしまった(ヒドい)。

そう、シーンごとに見せ場がある。ダイナミックな銃撃戦、空撮で見せる戦車の進軍。隊列の前にひとり立ちはだかるテシン、バリケードをひとり超えていくテシンにかなりの時間を割く。格好よく見せたい気持ちはわかる、実際格好いい。画面いっぱいに砲撃のカウントダウンを映し出す演出にはちょっとあざとさを感じたが、こうして自国の負の歴史をエンタメとして見せることの影響力を作り手はきっと自覚している。観客は手ぶらでは帰れない。何故こうなった? と考えることになる。背景を調べる。繰り返されてはいけないと心に刻み、自分には何が出来る? と問う。これがエンタメの力なのだと信じたい。

そして日本の観客は、では、自分たちの国は? と思わずにはいられないのだ。

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・ソウルの春┃輝国山人の韓国映画
いつもお世話になっております。“配役中の【 】は,実際の事件における氏名”、こういうのがホント助かる! 有難うございます!

・ソウルの春(映画)┃ナムウィキ
トリビアいっぱい。鑑賞のお供に

・10.26朴正煕大統領射殺事件
こちらは朴正煕暗殺事件の詳細。個人サイトでこれはすごい……勉強になります

・映画「ソウルの春」(1)KBS「映像実録」1995年10月4日放送
・(2)新聞報道
・(3)背景
・(4)攻防の現場
・こぼれ話(1)
・その後
こちらもいつもお世話になっております。パンフレット(読み応えあり!)に寄稿されている秋月望氏が、自身の『一松書院のブログ』で更に詳しく背景を。“ソウルの春”の名付け親は日本のマスコミだったとのこと。張泰玩とその家族の「その後」は本当につらい。
それにしても民主化宣言を出したのは盧泰愚。どの口がいうか。その後彼が大統領になっている辺り、根が深いというか物事は単純ではないことを思い知らされる

・隠ぺいされた韓国現代史の闇に切り込む『ソウルの春』 監督が語る「夜空に轟く銃声を聞いたあの日」┃Yahoo!ニュース Japan
事件を起こした人たち、関連した方たちは、少し前まで韓国社会にとって非常に重要な位置、権力を行使する位置にいました。そのため、月日は経っていたにもかかわらず、表立って語るのは難しかったのだと思います。
桑畑優香氏による記事。本国では国民の4人に1人が観た計算になる大ヒット。多くの若者が駆けつけ、様々な議論が展開されたそうですが、当時を知る年長者の口は重かったそう。それにはこうした背景もある。
ヒドい目に遭うファン・ジョンミンを観よう! と『人質』がリバイバル上映されたというエピソードには笑ってしまうけど、そんなことが出来る世の中でよかったとも思う


(2023年末、朝日新聞ソウル特派員による記事)
あまりの憎らしさに、本国ではこんなこともあったそうです


本国公開当時話題になっていた動画。光州での舞台挨拶で「ソウルの春が光州に来るのを43年間待っていました」というボードを見て、ジョンミンさんが泣いてしまったそう。演じる方のプレッシャーは相当なものだったと思います


百想芸術大賞で最優秀演技賞を受賞したときのジョンミンさんのスピーチ。賞が全てではないけれど、報われてよかったというか……本当におつかれさまでした

・韓国軍の非常事態警報「珍島犬1号」 名称の由来は?┃日刊SPA!
おまけ、10年以上前の記事が今役に立った。緊迫感溢れるシーンの連続のなか、この「珍島犬1号発令!」って台詞でちょっとひと息つけたんですよね(いいのか悪いのか)。珍島犬が“国犬”だというのは知っていましたが、かわいらしいというか脱力しちゃう作戦名


もひとつおまけ。『星から来た男』は民主化が叶って約20年後につくられた作品です。なのに……ちなみに盧武鉉政権下。存命の関係者がまだまだ多かったこともあるのでしょう

・映画「ソウルの春」が描く韓国現代史の暗部 民主化を阻んだ軍事クーデター、一夜の攻防 ┃GLOBE+
『韓国映画から見る、激動の韓国近現代史 歴史のダイナミズム、その光と影』の著者、崔盛旭氏によるレヴュー。『クーデターに敗れた「鎮圧軍」のその後』が詳しい。不審死を遂げた人物がこんなにいるとは……真相究明の道は遠く険しい



2024年08月24日(土)
イキウメ『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』

イキウメ『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』@東京芸術劇場 シアターイースト


開演前は場内暑いな! と思っていたのに、カーテンコールの頃には冷たくなった手を叩くことで温める始末。さて、これは体感のみによることか? 「常識」「破られた約束」「茶碗の中」「お貞の話」「宿世の恋」といった小泉八雲の短編が、とある事件の謎解きとなり……さて、はじまりはじまり。

2009年初演の感想はこちら。終演後のロビーや客席の「なんかすごいものを観た!」って熱気、今でもよく憶えてる。あーそうだ、この年の7月って『異人たちとの夏』にも通っていて、幽霊ものの作品ばかり観ていたんだ(笑)。いい夏。
・『奇ッ怪〜小泉八雲から聞いた話〜』
・補足

このとき前川さんが「意識していなかった」という夢幻能の劇構造を指摘され、そうかそれなら、と2011年に『現代能楽集』シリーズの一本として上演した二作目がこちら。
・現代能楽集VI『奇ッ怪 其ノ弐』

三作目は柳田国男『遠野物語』がモチーフ。これはちょっと毛色が違うかな。
・『遠野物語・奇ッ怪 其ノ参』

今回は一作目と二作目のハイブリッド版という感じでしょうか。ストーリーは一作目のもので、能楽を意識した演出、美術等は二作目。演者は摺り足で入退場、能楽の所作が取り入れられている。ステージは通常より高めに組まれており、能舞台構造ではあるのだが本舞台より後座の方が広く取られているように見える。これは自分の席が最前列だったためそう見えただけかも知れない。本舞台が二分割されているようにも解釈出来る。上手に椿が咲いた枝、下手に祠が据えられている本舞台には、開場時からひとすじの流砂が降り続けている(美術:土岐研一)。サー…という音を耳に馴染ませ乍ら開演を待つ。真後ろの席にいる小学生らしき子どもふたりが「あれ偽物だよね? じゃないとびちゃびちゃになっちゃうよ」などと話している。どうやら砂を水(ミスト)と見間違えていたようだ。成程いわれてみればこのルックと音は水に喩えられる。枯山水ですね。開演直前、止まった流砂の音を引き継ぐように摺り足の音が聴こえてくる。登場人物が現れる。

さて始まってみればその本舞台、作家が長逗留している宿の中庭として機能する。巧い! 中庭の景色を眺め乍ら、作家と客人(実は彼らは事件を追って捜査にやってきた検視官と警察官なのだが)はその土地にまつわる不思議な話を持ち寄り語り合う。彼らは本舞台(中庭)に足を踏み入れることがない。そこへ降りるのはそれぞれ一度だけ。斯くして作家は一線を超え、客人は事件の全容を知る。

今回は能楽もさることながら、連想したのは落語のことだった。安井順平の滑らかな語り口から連想したこともあるが、「宿世の恋」は『牡丹灯籠』として落語でも有名という台詞から。円朝の『牡丹灯籠』は通しで上演すると30時間かかるという。この30時間という長さ、浪人のもとへと通ってくる旗本の娘とそのお付きが現れる時間と符合するのではないか……一日につき4時間ちょっと、それを七日間。偶然だろうが、その時間を耐え抜くか享受するかはこちらの心構えにかかってくる。享受は地獄へと繋がるが、「それが不幸とは限らない」。観劇という業を思い知った次第。

そしてもうひとつ。今回あっと思ったのは、劇中登場しない人物のこと。ここには検視官と警察官が来る前に、もうひとり誰かが訪れている。あの手紙を読み、彼らを葬った「旅の方」がいる筈なのだ。死体遺棄になりますね。しかし、その者は果たして此岸に存在するのか……? ますます報告書を書くのが難しくなりますね(にっこり)。後味もお見事。余韻の深い作品でした。

ドラムのみで進める緊迫感あるパートと、エモーショナルなメロディで進めるドラマティックなパートと、音楽(かみむら周平)もしっくり。しかし! 静かな感動が身に沁みていくのを感じていたラストシーンで、砂を落とす装置が起動するガコン、という音が聴こえてしまったのが惜しい! 現実に引き戻された(笑)。仕方ないんだけどねえ。

浜田信也の人外らしさが活かされた作家像でした。観客を虚構へと誘い、あの世とこの世をぐーるぐる。もともと浮世離れした人物を演じることが多い。前川知大がそう当て書きしているのかもしれないし、どう書いても浜田さんからアウトプットされたものがそうなってしまうのかもしれない。その「結果」が面白い。何かを見ていても何を見ているかわからない目をする。怖いですね。安井さんと盛隆二、ふたりの刑事のキャラクターも魅力的。祠を掘り起こしたときの臭いに安井さんは過剰に反応するけど盛さんはさほど動じず、観察に移る。検視官だからね。こういうさりげないところが見事。神は細部に宿りますね。

余談ですが、前述の子どもたちはどうやら浜田さんの関係者だったらしく(ご親戚か、ご友人のお子さんかな?)、カーテンコールではけるときこちらを流し目でゆったり見て微笑まれたんです。そのときの視線や表情の動きが、一度目と二度目(ダブルコールだったので)で寸分違わず同じだった(ように見えた)のにゾクッ。人間をきっちりコピーして化けた狐かなんかっぽかった。これは人外といわれても仕方がない…役者としてすごい技術を持っているといえばそうなのだが……その美しさと色気にも見惚れてしまった。それにしてもお前……小学生に向かってそんな色気の塊投げてくるかと恐ろしくもなりましたよ(笑)。無意識って罪ね。

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初演もデッドぐまだったっけ……? 思い出せない!

・前川知大×安井順平×森下創×大窪人衛「小泉八雲は”聴覚の人”だと思うんです」〜イキウメ『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』インタビュー┃SPICE
前川 語り手によって語られている物語が演劇として立ち上がっていく、というような手法を、この作品以降ずっと続けてきたので、語りと演劇のシームレスな演出とかが、異常に進化したと言っていいぐらいみんなうまくなったんですよ。
現実世界から虚構へ、そしてそれが現実への出口になる。このぬるり感がイキウメならでは。そしてそうなのよ、こちらも聴覚を研ぎ澄ませていたからあのガコン、で我に返っちゃったのよ〜(重箱の隅をつつくみたいですみませんね……)

・イキウメ『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』┃前川知大&浜田信也&盛隆二 インタビュー┃ローチケ演劇宣言!
盛 怪談って、馴染みやすいと思うんですよ。宇宙人に乗っ取られる、とかって想像力がかなり必要じゃないですか。でも、怪談は日本に根付いているものだから、自分で頑張って風呂敷を広げて物語の立ち上がりを作っていかなくても、わかってもらえる。そのカロリーをほかに使えるんですよ。
前川 100%で嘘をつく必要が無いもんね、怪談なら。もう妖怪はいるけど、いいよね、っていうところから始められるんです。
ああ〜この説明、膝を打つわ。そこで思い出したのがこれ↓

・最近SNSで、どうして耳に日焼け止めを塗り忘れてしまうのかという流れから『耳なし芳一の話』でも耳にお経書き忘れたじゃん、忘れるところなんだよ耳は! という話を目にしまして。日本人のくらしに教訓として残っていく伝承と文学作品というものに思いを馳せました



2024年08月03日(土)
世界バレエフェスティバル Aプロ

世界バレエフェスティバル Aプロ@東京文化会館 大ホール


歳を重ねたダンサーが、衰えていく自身の身体とどう向き合うか。それは踊りとともにある人生との対峙でもあり、踊りを奪われた(あるいはいつか奪われる)現在と未来をどう生きるかでもある。この物語は悲劇なのか、それとも。

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ジルの出演は早い段階から決まっていましたが、6月に入ってから十市さんの出演も発表され、大慌てでチケットをとりました。



この少し前から、十市さんがinstaにジルと踊っている画像を上げていたんですね。どこかで発表するのかな……と思っていましたが、まさか日本でのステージになるとは。という訳で世界バレエフェスに初めて行きました。1976年に始まった、3年に一度の超豪華な祭典。

・概要/世界バレエフェスティバル/2024┃NBS日本舞台芸術振興会
世界が東西で対立し、移動手段や情報伝達においても今日ほどの自由が与えられていない世の中で、当時の三大プリマが同じ舞台に立つ。その事実は世界に衝撃を与えたとともに、芸術こそが文化や政治の違い、そして国境を越え人と人とをつなぐ架け橋になれるのだということを証明しました。

ずっとそうあってほしいものです。それにしても17回続けた経験値でしょうか、劇場のオペレーションも素晴らしかった。入退場の案内もそうですが、4時間半という長丁場を滞りなく終えるための工夫が端々に感じられました。4部構成、15〜20分の休憩が3回。一斉にトイレに行列が出来ます。しかもここ5階席迄ある。インカムで連絡を取り合い、列の短いトイレへ誘導するスタッフ連携の見事なこと。歴史あるフェスのため高齢客も多いのですが、その案内も丁寧。私の席の近くにいた杖のお客には、休憩時間毎に様子を見に来て離席や着席の介助をするスタッフがいました。

生オケで踊る作品もあれば、録音された楽曲が使われる作品もある。演奏しないときオーケストラピットから退場する演奏者の移動もスムーズ。各国から集まる出演者の多さとスケジュールからしてみっちりリハは出来ないであろう生オケのガラで、指揮と演奏、踊りがピッタリだったことにも驚かされました。最小限の舞台美術(素舞台も多い)で転換もスピーディー。演目と出演者名が映像で出るのも親切。上演作品が多いため、よく知らないと「今何踊ってる?」となりますもんね。東京文化会館では主に東京バレエ団とモーリス・ベジャール・バレエ団(BBL)を観ていますが、いつもNBSの対応には感心させられます。

特別協賛はコーセー。デコルテのサンプル等の配布があったり、大谷翔平、羽生結弦、髙橋藍、Shigekixの4選手から出品されたチャリティーオークションアイテムの展示もありました。コーセーってアスリートのサポートに力を入れてますよね。

プログラムはこちら。上演順は以下。

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■第1部

序曲「戴冠式行進曲」(ジャコモ・マイヤベーア)

「白鳥の湖」より黒鳥のパ・ド・ドゥ(ジョン・クランコ)
マッケンジー・ブラウン(シュツットガルト・バレエ団)
ガブリエル・フィゲレド(同)

「クオリア」(ウェイン・マクレガー)
ヤスミン・ナグディ(英国ロイヤル・バレエ団)
リース・クラーク(同)

「アウル・フォールズ」(セバスチャン・クロボーグ)
マリア・コチェトコワ
ダニール・シムキン

「くるみ割り人形」(ジャン=クリストフ・マイヨー)
オリガ・スミルノワ(オランダ国立バレエ)
ヴィクター・カイシェタ(同)

「アン・ソル」(ジェローム・ロビンズ)
ドロテ・ジルベール(パリ・オペラ座バレエ団)
ユーゴ・マルシャン

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■第2部

「ハロー」(ジョン・ノイマイヤー)
菅井円加(ハンブルク・バレエ団)
アレクサンドル・トルーシュ(同)

「マノン」より第1幕の出会いのパ・ド・ドゥ(ケネス・マクミラン)
サラ・ラム(英国ロイヤル・バレエ団)
ウィリアム・ブレイスウェル(同)

「ル・パルク」(アンジュラン・プレルジョカージュ)
オニール八菜(パリ・オペラ座バレエ団)
ジェルマン・ルーヴェ(同)

「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」(ジョージ・バランシン)
永久メイ(マリインスキー・バレエ)
キム・キミン(同)

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■第3部

「3つのグノシエンヌ」(ハンス・ファン・マーネン)
オリガ・スミルノワ
ユーゴ・マルシャン

「スペードの女王」(ローラン・プティ)
マリーヤ・アレクサンドロワ(ボリショイ・バレエ)
ヴラディスラフ・ラントラートフ(同)

「マーキュリアル・マヌーヴァーズ」(クリストファー・ウィールドン)
シルヴィア・アッツォーニ(ハンブルク・バレエ団)
アレクサンドル・リアブコ(同)

世界初演「空に浮かぶクジラの影」(ヨースト・フルーエンレイツ)
ジル・ロマン
小林十市(モーリス・ベジャール・バレエ団)

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■第4部

「アフター・ザ・レイン」(クリストファー・ウィールドン)
アレッサンドラ・フェリ
ロベルト・ボッレ(ミラノ・スカラ座バレエ団)

「シナトラ組曲」(トワイラ・サープ)
ディアナ・ヴィシニョーワ(マリインスキー・バレエ)
マルセロ・ゴメス(ドレスデン・バレエ)

「椿姫」より第1幕のパ・ド・ドゥ(ジョン・ノイマイヤー)
エリサ・バデネス(シュツットガルト・バレエ団)
フリーデマン・フォーゲル(同)

「ドン・キホーテ」(マリウス・プティパ)
マリアネラ・ヌニュス(英国ロイヤル・バレエ団)
ワディム・ムンタギロフ(同)

フィナーレ「眠れる森の美女」よりアポテオーズ(ピョートル・チャイコフスキー)

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作品数と出演者の所属並べるだけでもヒィーとなりますね。何かあったらおおごと……主催者のプレッシャーもすごそうとつい考えてしまう。ここでは主に『空に浮かぶクジラの影』のことを。今日に至る迄の経緯もメモしておきます。

ジルがBBLの芸術監督を解任されたというニュースが飛び込んできたのは今年2月のこと。日本語の記事に詳細がなく、翻訳アプリに頼り本国の記事をいくつか読みましたが、正直不可解なことが多い。その“不可解”な部分については、十市さんの寄稿で知った次第です。

・【寄稿】ベジャール・バレエ・ローザンヌ芸術監督ジル・ロマンの解任について(小林十市)(2024.02.09)
・【寄稿】小林十市(ベジャール・バレエ・ローザンヌ バレエマスター)〜カンパニーの舵取りと行き先。そして世界バレエフェスティバル出演のこと(2024.07.26)

しかしここではもうひとつの問題、数年前から話題になっていたジルのパワハラ行為についてが曖昧なままです。それについては、ジルと長いつきあいである髙橋典夫NBS専務理事のこの記事が全てを物語っているように思います。

・新「起承転々」 漂流篇 vol.83 時代(2024.02.21)┃NBS News ウェブマガジン

その後、ジュリアン・ファヴローが正式に芸術監督に就任。そしてBBLの経営危機が報じられました。まあ次から次へと……。

・Julien Favreau nommé directeur artistique du Béjart Ballet Lausanne(2024.06.28)┃Béjart Ballet Lausanne
・ベジャール・バレエ団、財政難に直面(2024.07.02)┃SWI swissinfo.ch

BBL公演にも影響が表れました。ジルが近年取り組み、今秋の来日公演プログラムに入っていたベジャール旧作の復刻上演『わが夢の都ウィーン』が、『バレエ・フォー・ライフ』に変更されてしまいました。『バレエ・フォー・ライフ』は大好きな作品なんだけど、『わが夢の都ウィーン』を初めて観られると楽しみにしていたのでなんとも残念……。ちなみにBプロにはジルの振付作品『だから踊ろう…!』が入っています。作品に罪はないということなのか、当事者(被害者も加害者も?)が去り問題ないということになったのか……? ジュリアンの『ボレロ』出演は発表されているけれど、じゃあ『バレエ・フォー・ライフ』のあのフィナーレは誰がやるのか? 考え出すとキリがありません。今はとにかく、バレエ団の皆が落ち着いて作品に専念出来る環境が提供されるよう祈るばかり。

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そんないろいろなことに思いを巡らせ乍ら観ざるを得なかった「空に浮かぶクジラの影」。ふたりのためにフルーエンレイツが振り付けた新作の世界初演ということもあり、それはあまりにも痛切な感動を呼ぶものでした。

プログラム中唯一の男性ペアによる作品。揃いの黒いスーツで、背中合わせでピタリとくっつき、あるいは手を繋ぎ、光と影のように踊るジルと十市さん。上半身の振りが多い。何かを振り払うように、激しく腕を動かす。見たくないものがあるかのように、顔の前で掌を交差させる。それは何度も繰り返される。軽やかなステップはやがてもつれ、膝を折るジル、倒れるジル。寄り添うようにジルの肩を包む十市さん。効果的に使われていた風船は、白、赤、黒、白と色を替え、ふたりの間で破裂したり、頭を抱えるジルの上に十市さんがかざしたり、空気が抜けて上空に飛んでいったりする。最後ジルにより息を吹き込まれた風船は、再び弾むように元気よく揺れる。

死と再生というとありきたりだろうが、それが描かれた作品だと感じた。ステージの縁に腰を下ろし、オケピがいる奈落に足を投げ出しているジルから発せられる強い孤独。その姿を前に、寄り添うことに粉骨砕身する十市さん。クジラ=巨大な影に覆われるちいさな人間ふたりがあがき、沈み、やがて浮かんで大きな波に身を任せる……そこに見えてくるのは新しい道か、新しい出会いか。そうあってほしい。溺れるのはまだ早い。

長い人生の間には、幾度も喜びと悲しみが降りかかる。どんなに光の中で生きていても、死ぬ瞬間は闇の中。終わりを幸せだったと微笑むか、不幸だと嘆くか。死の瞬間が詰まった芸術でした。カーテンコールでやっと微笑んだふたり。Leonard Cohen「Avalanche」、Lou Reed 「Vanishing Act」、Antony and the Johnsons「Hope Theres Someone Chords」という選曲も印象的でした。

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『空に浮かぶ〜』以外はリラックスして楽しめました。どれも素晴らしかったなー、息を呑みっぱなし。メイさんとキミンさんのパ・ド・ドゥは前半のハイライト。テクニックがハッキリとわかるパートだったこともあり、客席の反応もよく、割れんばかりの拍手が送られました。エリサとフリーデマンの踊りにはドラマがあり、通しで観たい欲が高まりました。ガラだから1組10分ってところだものね。

演奏は東京フィルハーモニー交響楽団、指揮はワレリー・オブジャニコフとロベルタス・セルヴェニカス、ピアノは菊池洋子、チェロは⻑明康郎。そう、ピアノが菊池さんだったのです。贅沢! しかもこのツイートにあるように6演目(!)に出演。舞台袖の花道での演奏を終えると急いではけ、ダンサーとともに舞台に上がる。舞台上での演奏もあり、この日いちばん挨拶をしていましたね(笑)。「3つのグノシエンヌ」のサティ(『グノシエンヌ第3番」)には聴き入ってしまった。『アン・ソル』のラヴェル、『アフター・ザ・レイン』のアルヴォ・ベルト、フランク・シナトラのナンバーで構成された『シナトラ組曲』といった選曲も印象的でした。

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華やかなフィナーレ! 十市さんは遠慮がちに後方にいました、謙虚


『エリア50代』から3年が経ち、BBLの来日公演はもう来月。今度はバレエマスターとして来日ですね、待ってます!