2003年08月04日(月) |
たとえばここに、私と父と母と三人がいたとして。 その三つの点は逆三角形を描くようにそこに在ったとして。 その二つの点は、いつだって私の前を塞いでいた。それが苦しくて辛くて重たくて、私はかつて声なき悲鳴を上げたこともあった。光は常にその二つの点の向こうから射しており。だから私は私に覆い被さるようにして伸びてくる影に怯えた。逃げ惑ったりもした。この構図は、永遠に続いてしまうかのように思え、私は絶望した。 けれど、その点の在り処、光の在り処も決して、不変ではなかったのだなと、今は分かる。 気づいたら、光は私の前に在った。影は向こうから伸びて襲ってくるものではなく、私の足元からも伸びていた。むしろ、光も影も、外にあったのではなく、私がすでに、そして両方とも、私自身が内包していたのだと知った。 そして振り返れば、そこには二つの点が、変わらずに在り。けれどそれはもう、かつて私を怯えさせたようにそこに在るのではなく、私の礎のようにして、そこにじっと在るのだった。 何かが変わった、のではなく。世界そのものが、いつだって少しずつ変化しているのだった。 その中に、私はいる。私たちは在る。自らその変化の只中にあって。世界を描く一本の糸なのだ、私たちは。 どんなにそれがちっぽけであっても。か細くとも。 |
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