見つめる日々

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2004年01月15日(木) 
 乾いた空。触ったらかさこそと音がしそうなほど。それでも澄みきったその水色は、私の心に染みとおる。
 郵便受けを開けると一通のエア・メール。日付を見ると一ヶ月以上前に書かれたもの。そんな時間を経て届いた葉書。掌に乗せて重さを計ってみる。それはもちろんとても軽くて、息をふきかければ紙の端がぷるぷると震えるほど。けれど、一ヶ月という時間をこの葉書は旅してきたのだ。目を閉じて想像する。それはもしかしたら雪の降りしきる街だったかもしれない、教会の鐘鳴り響く街だったかもしれない、或いは、鮮やかな野菜の並ぶ朝市が開かれる街だったかもしれない。幾つもの街を越え、幾つもの山河を越え海を越え。この、指先でも軽々とつまめる葉書のなかに、一体幾つの景色が詰まっているのだろう。電話やメールを使えば一瞬にして繋がってしまう今の「距離」。でも本当は。本当はいつだってそれは、こんなにも厚くずっしりとした「距離」なのだ。
 以前焼いた、少し古びてしまった写真の裏を使って返事を書く。この葉書は無事に届くだろうか、彼女は受け取ったときどんな顔をするんだろうか。他愛ないことを書き連ねているだけだけれども、昔隣に座った彼女のはにかんだような笑顔がありありと瞼の裏に浮かんでくる。
 勢いづいた私は、自転車を走らせて商店街へ向かう。もう一人、海の向こうにいる友人が先日、卒業試験に無事合格したと知らせてくれた。その友人へ、わずかでもいいから合格祝いを贈りたくなって、あれこれと探す。膨らむ気持ちの一方、寂しい自分のお財布に溜息をつき、何とか自分の気持ちを納得させて、小さな贈り物を大事に包んでもらう。
 葉書と小箱。自転車の籠の中でかたことと揺れるそれらを眺めながら、郵便局までの長い坂道をのぼる。何クソ、絶対のぼりきってやるんだから、なんて、ひぃひぃはぁはぁ自転車を漕ぐ。いい歳をして私ってば何をやっているのだろうと苦笑い。でも、楽しい。
 郵便局から出た私の前に広がるのは、すっかり橙色に染まった西の空。
 たとえばこんなふうに誰かに手紙を書く。たとえばこんなふうに誰かにささやかながら贈り物を選ぶ。そんな時っていつでも心がほかほかしてくる。うきうきして歌いたくなる。
 西日に染まった坂道を、私はもう一度のぼっていく。今度は娘を迎えにいかなくちゃ。今にも大声で歌い出したい気持ちを抑えて、こっそりと適当なメロディを口ずさみながら。そして、こんな気持ちにさせてくれる彼女たちの存在に、ありがとう、と心の中で呟きながら。


遠藤みちる HOMEMAIL

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