2004年02月13日(金) |
真夜中、自分の絶叫で目を覚ます。「あんたらなんてみんな踏み潰してやる、嬲り殺してやる」。確かにそれは自分が言ったのだろうが、私は信じられずしばし呆然とする。一体どうしてこんな声が出たんだろう。小さな枕元の灯りは天井までは照らさず、そこにはうっすらとした闇が横たわっている。でもそれさえ現実のものとは思えぬほど驚いている自分がいた。そしてはっと気づいて横を見る。娘の顔は半分毛布に埋もれたまま。でも、何かいやな予感がして、毛布をそっと引いてみる。 そこには、やはり、彼女の見開いた眼があった。怯え以外の何者でもない色に真ん丸く見開かれた眼は、私に見つかることを恐れるようにそこに在った。あぁなんてことをしてしまったんだろう。私は、恐怖で凍りついた彼女を咄嗟に抱きしめる。ごめんね、ごめんね、ママ夢見てたの、あぁこのことじゃないのよ、あぁこのこと言ったんじゃないのよ、ごめんね、ごめんね。しばらくして彼女は声を上げて泣き出す。どれほど恐かっただろう、自己嫌悪なんて言葉じゃ表現しきれない思いがどくどくと私の内奥に渦巻く。朝までずっと、彼女の小さな体を抱いて眠る。
うまく眠りこめずに迎えた朝はそれでも、いつものように明るく、透き通っている。通りを行き交う車の音が聞こえる。私が弛めた腕からぽろりと頭を落とした娘が大きく伸びをする。おはよう。できるだけ大きく笑ってみる。大丈夫、ちゃんと笑える。目を瞬いている娘から、おはようと声が聞こえる。 自転車で走る道。坂道をのぼりながら歌うのはいつだってきついのだが、それでも私は娘と一緒に歌う。はぁはぁ言う私に、ママしっかりしなきゃだめよ、と後ろから声がかかる。だから、ようやく下り坂になった道では、めいいっぱい声を上げて歌う。そうして園に着くと、私たちはキスをして抱きしめ合って握手をして手を打ち鳴らして、そうしてバイバイ。 ひとりになって、私はそっと昨夜のことを考える。夢の中でまだ私は怒っているのか。どうして夢の中ではこんなに怒ることができるのだろう。不思議になる。でも、これが現実になることを果たして私は望んでいるのだろうか。 過日、友人がふと言った言葉。「被害者をケアする場や機会が少なすぎる」。「病院に行ってもちっとも治らない」。 そういった言葉に対し、今の私が思ったのは、いくらそんなことを思ってもどうにもならないってことだった。あんまりに当たり前過ぎて冷たすぎて、決して口になどしたくないことだったけれど、私は心の中でそう思った。じゃぁ、翻って、ケアする場所や機会がもっとたくさんあれば被害者は救われるのか。病院がもっと優れていれば傷ついたものはみな救われるのか。 きっと、救われない。そんなことじゃ救われない。確かに多少は楽になるだろう。でも、被害者が、傷ついた者が、望んでいるように救われるなんてことは、きっと、ない。 私はかつて主治医に尋ねたことがある。一体どうすれば治るんですか。私が抱えたPTSDというものは、一体どうすれば治るんですか、と。その問いに対し、主治医は、100%治ることはない、できるのは、それらとどうやってうまくつきあっていくかってことだと思う、と答えた。その答えを聞いたときは愕然とした。そんなことってあるか、ふざけるな、と思った。どうしてこうまでも傷ついた者は虐げられるのか、とも。でも。 それから数年を経て、思う。あぁそうなんだな、と。だから今は、私は治るために病院に通っているんじゃない。私は、もっと自分の抱えた傷や症状とうまくつきあっていくために、その術を見つけるために自ら病院に通っている。 そして。 私は多分、望んでいない。まだ夢の中で燻っているこの怒りを、現実に吐露することを、私は多分、望んでいない。それをして、一体何が得られるんだろう。得られるどころか、失うばかりだ、そして、私は、自分がかつてされたように、誰かを自分が傷つける、その場面を目の当たりにする、私は、そんなことをいくらしたって、自分は救われないってことを痛いほど感じている。 自分を傷つけた者たちを、自分を虐げた現実世界を、今度自分が傷つけ虐げる、その場面を思い巡らすと、私は反吐を吐きたくなる。そうやってどこまでも繰り返して繰り返して、一体何になるんだろう、と。 だったら、ひとつでいい、その連鎖を、鎖を、私はここで終わらせたい。私の怒りの矛先を、相手にむけるのではなく、自分の怒りを抱いたまま、思い切り自分の力で笑っていたい。 誰のせいでもなく。 今生きている自分のために。
目の前に広がる港は、ただ黙々と、そこに在る。向こう岸に立つ幾つもの煙突からは、もくもくと煙がたなびき、海は延々と波を刻む。その上を横切ってゆく鴎の翼が今、陽射を受けて、私の目の中できらりと翻る。なんとなくしゃがみこんだ私は、足元の土をそっとてのひらで触ってみる。このぬくみ。なんて心地がいいんだろう。 そうだ、日曜日、天気がよかったら娘と一緒にここに来よう。そして、この土のぬくみを、彼女にも教えてあげよう。そう思うとなんだか嬉しくなって、私は再び自転車に跨る。目の前に見えてくるのは長い長い坂道。それは家へと続く道。 ペダルを漕ぐ足に力をこめる。さぁまた、長い坂道をのぼらなくちゃ。 |
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