見つめる日々

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2004年02月19日(木) 
 カーテンを開ければ広がる、今日も明るい空。ところどころに綿菓子のような雲が浮かぶ。ここ数日続いていた強風は、今日はお休みのようだ。頬にかかる髪の毛を揺らす風が、やわらかで気持ちがいい。玄関を開けると、向こうから子供たちの声。校庭を見下ろせば、突つき合い笑い合いながら、ランドセルを背負った子らが昇降口へと入ってゆくところ。

 薔薇の樹々のあちこちから、赤い新芽が頭を出している。まだまだ固く締まった者が殆どだが、気の早い者はその頭を早速綻ばせ始めている。こうなってくると油断がならない。一体何処からやってくるのか知らないが、いつのまにか新芽がアブラムシの巣窟になってしまうからだ。
 だから私はこの時期になると、毎朝毎夕、薔薇の樹々を見て回る。それは、眺めるとはかけ離れた視線、凝視する、といったもの。新芽をひとつひとつ、これでもかというほど見つめる。尖がった固い芽にちょこんと乗っかっているくらいならかわいいが、アブラムシというのはたいてい、まだ丸まった、綻び出したばかりの芽の中に、こっそり潜んでいる。
 見つけると私は、霧吹きで容赦なく液を噴きつける。煙草の吸殻を一晩、二晩水につけて作った毒薬。たんまりと噴きつける。じきに大きな滴になって、ぼたぼたと液は流れ落ちてくる。そうして、あっぷあっぷしながらもしつこく葉にしがみついているアブラムシを、私は指先で拭い、同時にその指でアブラムシたちをぷしゅっと潰す。
 毎朝毎夕。面倒臭いといえば面倒臭い。いたちごっことしか思えぬ私とアブラムシの追いかけっこ。そもそも、アブラムシだって生きるために必死なのだ。それを潰して殺すこの自分の指先が、罪悪感を感じないかといったら嘘になる。このくらいの欠片ほどかもしれないが、一応指先は、罪悪感に濡れる。それでも私はやっぱり、アブラムシを殺す。

 「ママ、こっちにもいたよ」、娘の声に私は霧吹きを持って近寄る。「こんにゃろ、えいっ、えいっ」と言いながら私が液を噴きかける。「これ毒薬だから、そっちにどいてなさい」。娘にそう言って、私はなおもしつこく液を噴きかける。
 「ねぇママ、アブラムシは悪い虫なの?」。その問いに、私の手が止まる。何と説明すればいいのだろう。アブラムシを悪い虫と断定していいものなんだろうか、そうできるほど、私はアブラムシのことを知らない。答えに詰まっている私を、娘の目がじっと見つめる。
 「…あのね、ママにとってはアブラムシは悪い虫なの。何故かって言うと、アブラムシがこうやってたかってくると、薔薇の樹が死んじゃうかもしれないの。ママにとってこの薔薇の樹はとっても大事なの。じきにね、綺麗なお花が咲くよ。そのためにもね、今、アブラムシをこうやって退治しないとだめなの」。これで分かってくれるだろうか。ふぅぅんと言う娘。そうして「綺麗なお花、咲かせてね」と、薔薇の枝を撫でてくれる。

 この頃時折頭を掠める。何を選択するのか、そして、その選択した道を、いかにして歩いてゆくのか。

 自分の為にいれた珈琲に口をつけながら、私は、ついこの間立ち読みした小さな記事を思い出す。それは、サリン事件の被害者の一人である河野氏のインタビュー記事。「麻原さん、生きてください」との氏の発言の真意を尋ねるといった内容のもので。どうして加害者の麻原に「さん」をつけ、さらには何故「生きてください」と言えるのか。そのことを疑問に思った記者によって綴られたものだった。
 私は。
 河野氏のその思いが、分かるような気がした。いや、正確にはきっと分かってなんていない。でも。
 私も多分、同じことを思っている。

 眩しい陽射に手を翳すと、その輪郭が光を帯びて橙色に透けて見える。真実が一つきりだなんて思っていたのはとうの昔。真実は、人の数だけある。だから私は、私の真実を見失わないよう、それがたとえ誰とも分かち得ないものだったとしても、自分が自分で在ることを失わないよう、一歩一歩、歩いてゆこうと思う。


遠藤みちる HOMEMAIL

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