見つめる日々

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2004年04月05日(月) 
 娘を送り届けて駅へと急ぐ。すっきりと晴れた朝、風が髪を煽って過ぎる。気がつけば、道筋には桜の樹が並んでいる。私の視界はすっかり、桃色に染まる。
 思わず自転車を止めて私は樹々を見上げる。ここは桜並木だったのか。今日の今日まで気がつかなかった、いや、気付いていた、知っていたはずだ、だってこの景色は去年もここにあったはず、去年も一昨年も。私は記憶を辿る。辿ろうとして愕然とする。記憶がない。
 記憶が、ない。
 私は頭を振って、そんなことはない、と、一生懸命記憶を辿ろうとする。けれど、何処を探しても見当たらない。というよりも。私の頭の中は空っぽだった。
 私は思わず桜から目を逸らし、再び自転車に乗って駅へと急ぐ。外の景色をこれ以上見ていたくはなかった。混乱する頭を抱えて、私は地下へと滑り降りてゆく。地下へ、地下へと。
 記憶がない。私はどうにか心を落ち着けようとする。大丈夫、そんなことはない、大丈夫。そして一つ一つ、数えていく。
 この間友人が子供二人を引き連れて遊びに来てくれた。あれはいつだったか。手帳を辿る。日にちを数えれば、あれは一週間前のことだ。でも。私の中ではもう、一年、二年、いや、五年以上前のことに思える。もう手の届かない遠くの出来事に。じゃぁその後私には何があったか。娘とのいつもの日常、の、はず。それが全く辿れない。そもそも友人たちと過ごしたあの時間は一体何処にいったのか。じゃぁ単純に昨日のことを辿ってみよう、昨日は、昨日はどうしていたか。どうやって一日過ごしたのか。娘がテーブルに座って何かをしていたような気がする。でも、とてもじゃないが一日の記憶の量は私の中に残ってはいない。私の記憶は、私の記憶は一体何処にいったのか。
 電車の中、私は一生懸命手帳を探る。日記帳を探る。この日にこんな出来事があった、この日には私はこんなことをしていた、こんなことを考えていた、ここにそう記してある。記してあるけれど、今の私の中にはない。何処に行った。分からない。じゃぁすっかり根こそぎ消えてしまった?
 あぁ。
 久しぶりに私は参ってしまった。こんなところに歪みが現れてくるなんて。ここのところこんなふうに記憶が飛ぶことはなかった。気付いたらいきなり一週間後の今日に自分がいたなんて、もう過去の出来事のように考えていた。パニックもフラッシュバックも、ありはしたが、越えられないほどのものじゃぁなかった。だから、私はすっかり油断していたのだ。
 うなだれながら、何とか辿りついた診察室で、私は主治医に話す。支離滅裂になりながら、これで説明しきれているのかと不安につきまとわれながら、それでもここで説明する他に私には術がないと、思いつくまま必死に喋った。
 解離してるようね、主治医が言う。答えはだいたい予想はついていた。でも、あまり聞きたくはない言葉だった。私はうなだれたまま、はぁ、と答える。赤信号を渡ったりしていないかと尋ねられる。ふいに思い出す、そういえば娘に、ママ赤だよ!と叫ばれた、その声が、頭の何処かにあるようなないような。主治医が言う、事故に遭わないようにそれだけ気をつけて。大丈夫、ともかく一週間生き延びましょうね。
 仕事があったものの、私は早々に家に引きこもる。何かに接しているのも何かに晒されているのも今は避けたかった。そういう状況から逃げていたかった。自分一人になりたかった。自分一人なら。とりあえず何があっても、自分に被害が及ぶだけで済む。
 部屋の中。見回せば、すっかり散らかり放題だ。掃除をしなければ。そう思うのに、身体が動かない。それどころか、まさに他人事のように思える。確かにここは自分の部屋なのに、世界は厚い厚いガラスの向こう側。ここにいるということも実感が持てない。ふわふわと地上から浮いていて、そもそも世界から厚く厚く切り離され浮遊している物体のような。
 そうしている間にも時間は流れてゆく。せめてそれだけでも自分の手元に引き寄せられないかと、テレビをつけてみる。テレビの音が流れてゆけば、それは時間が流れてゆく音でもあるはずだ。しかし。音が鼓膜まで届かない。テレビの映像は確かに私の視界を過ってゆくのだけれども、それがまるで細切れの、大昔の映像のようで、何がなんだか認識できない。仕方がないから音楽をかけてみる。できるだけ自分が聞きなれているはずの音を。スピーカーから飛び出した音にほっとする。鼓膜が揺れた。よかった。そうほっとしたのも束の間、音がぱたんと向こう側に落ち込んでゆく。もう見えない、もう聞えない。
 私の世界は私のもので、私以外の誰のものでもない。それは別に、私に限ったことじゃない。誰にだって言えることだ。でも。
 世界は共有できるはずなのだ。誰かと。身近にいる誰かと。
 けれど、こんなになった私の世界を、一体誰と共有できるというのか。
 昔はここで、私は泣き叫んだ。一体どうなってしまったのかと。世界を恨んだ。自分を恨んだ。自分に起こったかつての出来事を恨んだ。自分をこんなところに追い込んだあの事件を恨んだ。そして、どうにかしてくれと泣き喚いた。一人きり、部屋の中で。
 でも今は。泣き叫ぶこともない。あぁまたかと思う。諦めるしかない。ここで足掻いたってどうにもならない。これが私に与えられたものだと諦めて、これが過ぎてゆくのを黙って待つしか私には術がないことを、私はもう、いやというほど知っている。
 窓を開けてみる。風が私の身体を撫でてくれれば、それだけでも自分の輪郭を多少なり確かめる術があるかもしれないと思って。思いつくままあちこちの窓を開けてみる。すると、風がゆっくりと部屋の中に滑り込んでくる。あたたかい陽射を全身にまとっているのだろう風は少しあたたかく、同時に少し涼しげだった。そうやって温度だけでも感じられることに私はほっとする。それがたとえ、感じた瞬間に、向こう側に転げ落ちて消えてなくなってゆくものだとしても。

 加害者とか被害者だとか、事故だとか事件だとか、そんなことはもうどうだっていいんだ。そんなレベルではなくて、この世界、世界そのものの話がしたいんだ、私は。
 私の世界を返して、と。そう言いたいんだ、結局。
 毎日毎日、自分が世界とつながっていることをこんなにも意識しなくてもよかったかつての自分の世界というものを、返して、と。
 でもそんなこと決して叶わないことだと知っているから、私はここから歩いていくほかにないことを知っているから、言わないだけなんだ。言わないで、世界と私はつながっているということを、一生懸命意識して掴まえて、そうして毎日を一歩一歩歩いてる。
 あぁ、でも。こんな壊れた世界であっても、私の世界であることに違いはない。これも私の世界の一部なのだと、私が受けとめてゆくしかない。だから。
 ねぇ、世界よ、時間よ、もっと私に近づいて。あぁ私はあなたたちとつながっているのだと、実感させて。私もこの世界の住人のひとりなのだということを。
 私に伝えて。


遠藤みちる HOMEMAIL

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