2004年05月12日(水) |
真夜中、いつものように目が覚めたので起き上がる。もしかしたら起き上がらずにもう少し布団の中で我慢すれば、眠れたのかもしれない。でも、私は起きあがる。夜が好きで、どうしようもなく好きで。 夜は、余計な輪郭線を隠してくれる。闇という布でもって、昼間なら容赦なく日差しに浮き彫りにされるいろんなモノの差異を、曖昧にしてくれる。それは時に、とてもやさしい。もちろんそれが、切ない時もあればもどかしいときもあるけれど。それでもやはり、夜闇というものは、やさしい。 私が最近着付けの勉強を始めたのは、誰の為でもない、私の為だ。私は、もう二十年近く前に亡くなった祖母が大好きだった。いわゆるおばあちゃん子で、私にとっては母よりもずっと近しい存在だった。その祖母は、ハイカラな洋服を着ることもあったけれど、生活のほとんどは着物で過ごしていた。祖母の着る着物から漂ってくるあの何ともいえない匂いに包まれていることが、私はとても好きだった。祖母と一緒に眠る時も、私はだから、祖母の胸元に顔を押し付けて、祖母の浴衣のような寝着の匂いを何処までもかいでいた。そうしていると、世界で何が起こっても私はここで守られている、という、そんなことを思い何処までも安心することができた。 私の母はというと、一時期デザイナーを為していたこともあり、着物とは縁遠い人だった。その彼女が、祖母が亡くなってから、ある日突然着付けの勉強を始めた。何をしてるんだろうと最初は不思議だった。つい最近になって、あれはどうしてだったの、と尋ねると、母はこう答えた。だって、おばあちゃんの着物がいっぱいあるんだもの、捨てられないじゃない。そして、続けてこう言った。おばあちゃんが生きてる時に着付けを教えてもらえばよかったんだろうけど、そんな暇はなかったからね。私もそんなつもりなかったし。でも、おばあちゃんが死んで残された着物の山を見て、あぁって後悔したのよ。生きてるうちに、どうやっても、着付けを教えてもらっておくんだった、って。 そのとき初めて私は、母が一歩近づいてくれたような気持ちがした。母はどうやっても母で、遠い存在で、私とはまったく異質な存在で、交じり合えるところなど何処にもないと途方にくれていた私にとって、それは、大きな発見だった。驚きだった。 あれから二十年近くの間に、いろんなことが変化した。私も、もちろん母も、それぞれにそれぞれの体験を重ねた。そうしてようやく私は、自分で着付けの勉強をすることを決めた。 何度か、母に教わろうかとも思った。その方がいいに決まってる、とも思った。でも。 やっぱりダメなのだ。私たちは、そうやって向き合ってしまうと、お互いの異質さばかりに目がいって、どうしても反発し合ってしまう。 だから、私は、自分で勉強することを選んだ。その代わり、合間合間に、彼女にアドバイスを求めるという形を選択した。 この数ヶ月、母に時々、これはどうやるの、これでいいのかしら、と私は尋ねる。母は、知っていることを教えてくれる。そして、着付けというものをはさんで、着物というものをはさんで、私たちはあれやこれやと会話する。私の勉強している着付け方法は、母が覚えたものとは少々異なるらしく、そのことが、たいてい私たちの会話の中心になる。そんな着付けの方法もあったの? え、違うの? いや、知らない。私もわかんない。そう言って電話のこっち側と向こう側で苦笑したりする。 そして私は時々思うのだ。祖母がきっとあの世から悪戯してるんだろうな、と。私と母とのこの何十年来の確執をあの世から眺めて続けてきて、もういい加減にしなさいよ、と、悪戯してるんだろうな、と。 そのくらい、私にとって母は遠い人だった。翻って、祖母はとてつもなく近しい人だった。 今私は、祖母の着物を使って、着付けの練習をしている。実はついさっきまで、私は帯の巻き方などの練習をしていた。その帯もまた、祖母が残していったものだ。 祖母の着物が、帯が、私と母とを近づける。私と母との繋がりの一つになってゆく。着物という一枚の布が、何の敷居もなく伸びる帯が、私と母との隔たりを越えて、繋がってゆく。これを、不思議といわずして何と言おう。 かつて巷で流行った言葉、アダルトチルドレンという、その言葉を何人かの精神科医から突きつけられたのはもうどのくらい昔のことだろう。その頃はしんどかった。機能不全家族という言葉が、まさに自分たち家族を指しているようで反吐が出た。でも。 関係は変わってゆけるのだ。生きている限り。そう、変わってゆけるのだ、お互いが生きてここに在る限り。 何重にも重なり合った左腕の切り傷をふと眺めながら思う。死ななくてよかったんだな、と。生き残って、よかったな、と。 こんな場所に辿り着くまでに、私は一体何人の人の手を借りただろう。何人の友人たちが支えてくれただろう。今はもう亡き友も、そして今もこの世界の何処かにいる友も。 おばあちゃん、もう、あんまり心配しなくてもいいよ。私は、大丈夫。お母さんともちゃんとやっていける。でね、おかしいのよ、おばあちゃん、親戚のみんなが言うの、おまえはおばあちゃんにそっくりだって。顔はお母さんにそっくりだけど、性格はおばあちゃんそっくりだ、って。笑っちゃうでしょ? ねぇ、AもIもKもTも、みんな聴こえる? 君たちの部屋に、私は何度転がり込んだだろう。家を飛び出して、行くあてもなくて、お金もなくて。そんな時、泣きべそで電話すると君たちは必ず、すぐに来いって怒鳴ってくれた。そして、余計なことなんて何も聞かずに、寝る場所を与えてくれた。終電も何もなくて、そしたら、タクシーで来い!って。で、うなだれてる私の頭を、ぽかんと殴ってくれて。 みんなが忘れても、私、覚えてる。いまさらだけど、いつも思ってるよ、ありがとう、って。 だからね、余計にね、今、母との関係を大切にしようと思えるんだ。あれだけ周囲を巻き込んで、迷惑かけて、そうやってようやくここまで辿り着いた。まだまだ危うい関係だけれど、それでも、私は今ようやっと、母と話すことができることを、うれしいと感じられるようになってる。母が生きていてくれることを、ありがたいと思うことができるようになってる。 関係は、変わり得るんだ。お互いが生きてさえいれば。 そう、そして私は今生きている。いろんな人との緒に支えられて、こうして生きてる。 だから、思うよ。生きていてよかった、って。死ななくてよかった、って。誰が何と言おうと、私は生きててよかった。 今日ももう夜が明けた。雲が広がってはいるけれど、空は徐々に徐々に明るくなってゆくよ。そうやって一日が、また始まる。 |
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