見つめる日々

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2004年07月12日(月) 
 診察を終えて病院から出るその瞬間。射るような日差しにくらりと体が揺れる。額に手をかざし目を細めて見上げた空は、右手の方から鼠色の雲が広がって来るところ。雨でも降るのだろうか。そういえば天気予報を確かめなかった。そんなことを思いながら左手の空を振り仰げば、青々と澄み渡る空。ちょうど私の体を境に、右は鼠色、左は澄み渡る青。しばらくその空の色を、私は眺めていた。
 処方箋を受け取り電車に乗り辿る家路。その間、見慣れた風景が私を過ぎ去ってゆく。でも何故だろう、どの風景にも立ち止まれない。私はすぅすぅと体から心から抜けゆく空気の音を耳の中で聞いているような錯覚を覚える。何処までも世界が上滑りしてゆく。そんな感覚。
 気がつけばもう、玄関の前に私は立っており。さて、ここまでどうやって帰ってきたのかと首を傾げる。実感を伴わない映像は何処までも私の心の壁を流れ落ち、指を伸ばしても砂の城のようにさらさらと風に消えてゆく。黙って誰もいない家の扉を開ける。その瞬間、聞き慣れた娘の声が蘇る。「ただいま」。彼女は保育園から帰ってきた折、時々思いついたようにその言葉を口にする。ただいまぁ。だから、彼女の後から家の中に入った私が彼女の声に答える。おかえりなさぁい。そんなとき彼女はきまってつんと鼻を上げて、自慢げに奥に入ってゆくのだった。ただいま。彼女の声が私の頭の中で木霊する。誰もいないけれど、私は言ってみる。おかえり。少しだけ、気のせいかもしれないけれども少しだけ、ここが私の場所だという実感が私をかすめてゆく。
 先日、父が交通事故に遭った。トンネルの中を車で走っていた折、隣の車線を走っていたはずの女性の運転する車がどんどん父の車に近づいて来る。おかしいなぁと思いながら父は速度を守って運転を続ける。その間にもどんどん左に寄ってくる車。これはまずいと父が思ったときは遅く、気づけば左のトンネルの壁に衝突し、その衝撃で父の車は右のトンネルの壁まで飛ばされる。次に父の中に残っている映像は、大破した車の中で呆然としている自分だったという。
 事故は、携帯電話で通話しながら運転していた女性の、完全なるミスだった。父は幸いたいした怪我も負わずに済んだ。ほっと胸をなでおろした私に、父がこんなことを呟く。
 「あの時一瞬、俺は生まれて初めて死を意識したよ。あぁ俺はここでもう死んでしまうのかな、ってな。今俺が死んだらおまえたちがとても困るだろうな、母さんが困るだろうな、あぁどうしようか、そう思った。今死ぬのは困るんだがなぁ、ってな。俺はあと十年は、どうやっても生きなきゃならないのになぁって。そう思ったよ」。
 父の呟きに、私はしばし黙って、それを聞き、受け止めた。
 この数年の間、私が私なりに選んだ道を歩いてきたとはいえ、それはきっと親から見れば、とても切なく哀しいことだったのかもしれない。いや、どう言ったらいいのだろう、私が私なりの選択をしたことによって、新たに背負うことになった幾つもの荷物の山を見て、父母は父母なりに心を痛めているのだな、と。多分今、私たちを一番心配しているのは、この父母なのだろうな、と。それはひどく当たり前だけれども、私はそのことを、改めて噛み締める思いがした。まだあと十年は生きなければ。そう思ってくれる父母に、私たち母娘がどれほどに強く支えられているか。ありがとうという言葉の代わりに、私は言ってみる。どうであれよかったよ父さん、そうよ、何かあったら困るんだから、しっかりしてよ。そう言ってからからと笑ってみる。苦笑いをする父の横顔を、私はそっと盗み見る。

 それからもうひとつ、友人の個展のオープニングパーティに娘と共に参加させてもらうという出来事を経る。電車を延々乗り継いでゆく長い道程。普段なら「ママ、おんぶして、もう歩くのやだ」とごねる娘が、一言もそんなことを言わずに一生懸命ついてくる。実は、夕方からこんなふうに遠出するのは、私も娘も初めてのこと。私が夜外出しない理由は簡単で、もう二度とあんなめに遭いたくないということと、あの体験を経てからというもの人ごみや暗がりがこれでもかというほど怖いから。でも。
 無理をして頑張って出掛けてみてよかったと、つくづく思う。
 会場となった小さな店の中、集まった人たち。その誰もが、何の境もなく、娘を受け容れてくれる。一人だけ場違いな幼い娘相手に、いやな顔ひとつ見せず、同じ目線になって遊んでくれる。そして彼女の母であるはずの私が、母親業を怠けてアルコールに口をつけることまで笑って眺めていてくれる。友人のオープニングパーティだというのに、私たちは彼女の個展を祝いにきたはずなのに、休ませて楽しませてもらったのは、逆に私や娘の方のような、そんな申し訳なさとありがたさをつくづくと感じる。頭を何度下げても足りないくらいの感謝を、どう言葉に表したらいいのか分からないから、私は何も言えず、その代わりといったら何だが、何処までもくすくすと笑って過ごす。
 でもそんな楽しい時間というのはあっという間に過ぎるもの。時計の針の具合をちろちろと伺いながら、もうそろそろおうちに帰ろうか、と彼女に声をかける。娘はわーんと声を上げて泣いた。また会えるから、と、私は繰り返し彼女の耳元で囁く。そうして私たちは、とてもあったかい気持ちをみんなからもらったまま家路を辿る。
 その帰り道の電車の中でおぞましい感覚が私を襲う。突然後ろから背中を触られ、その手が執拗に私の体をまさぐろうとする。声が出ない。頭の中はパニックになり、かつての事件に絡まるあらゆる記憶が音を立てて私に襲いかかって来る。これでもか、これでもかというほど記憶は私の首を締める。それは一瞬のことだったろうけれども、私には永遠のように長く感じられ、もうダメかと一瞬思いかける。私は咄嗟に、目の前に座っている娘の顔を見る。すると何故だろう、微かだが声が出た。振り向けば、私の反撃なぞには全然動じることのない、にやけた顔がすぐ後ろにあった。瞬間、こみあげてくる吐き気。もう一度言ってみる。ヤメテクダサイ。
 運が良かったのかもしれない、私のすぐ隣に立っていた女性が気づいてくれて、彼女が私よりも大きな声を上げてくれた。次の駅でその男性は下車したが、私の網膜からはその男の表情が離れてくれない。私の声を聞いても隣の女性の声を聞いても、その男は笑っていた。降りてゆくその瞬間まで、そいつは笑っていた。内臓をナイフでぐいとえぐられたようなあの気味悪さ。ふらふらとその場にしゃがみこみたい衝動を押さえ、私は娘の頬に手を伸ばす。大丈夫、私は大丈夫、まだやれる。それが暗示だと分かっていても、私は心の中で繰り返す。大丈夫、まだやれる。娘は何も言わず、私をじっと見、そして、にっと笑った。そう、大丈夫、まだまだやれる。私も彼女に笑い返す。そう、大丈夫。私は大丈夫。
 何とか家まで辿りつき、娘を寝かしつけてから思う。私は、彼女に、この現実の世界をどう伝えていったらいいのだろう。そのことが頭から離れない。小さな彼女を快く両手を広げて受け止めてくれる人もいれば、一方、電車の中の男のように狂気の眼差しでもってその体を玩具にするような人間も同時に存在する。それが私たちの生きる世界。そのことを、一体どう伝えていったらいいのだろう。私は途方に暮れる。右掌に乗る現実、左掌に乗る現実。その両方がこんなにも相反するものだけれども、でも、これらが同時に存在しているのが私たちの世界なのだと。一体どうやって。
 まだ私は何の答えも持っていない。もしかしたら一生答えなんて見つけられないのかもしれない。でも。
 いいところだけ、或いは悪いところだけ、どちらかだけを伝えてゆくのではなく、その両方を貴女に伝えられる、そういう人間でありたい。そのことだけは、強く、思う。

 窓の外広がるのは、すっかり鼠色の雲に覆われた空。やっぱり雨が、降るのかもしれない。


遠藤みちる HOMEMAIL

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