見つめる日々

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2005年02月23日(水) 
 娘と共に明るい朝の光の中を自転車に乗って走る。いつもと違うのは煽られそうな強い風が渦を巻いて吹いていること。思わず二人とも声が出てしまう。ひゅぅぅ、ひゅぅぅ。歌うように声を出しながら、私たちは自転車に乗る。今が二月だなんて、この明るくぬるい日差しの元では信じられない。
 地図を持たずに歩くのが好きだ。特に車では通ることのできない細いうねうね道を、こっちでもないあっちでもないとめちゃくちゃに歩きながら散歩するのが私は大好きだ。今日はカメラを携えながら、そんな道を右に左にと歩いてみる。
 自分の家を出発点として歩き始めたものの、二十分も経たないうちに私は迷子になる。右も左も分からない。電信柱に書かれた町名も殆ど覚えがない。ここは何処かしら、一体私は何処を歩いているのかしら、そう思いながら次々角を曲がる。
 古い家屋と新しい家屋とがごちゃまぜに立ち並ぶこの辺り。道も、行き止まりなのかそれとも他人の庭なのかよく分からないような所があちこちに点在する。どうみても人の庭或いは玄関先だろうに、と思うのだけれど、そこを通って向こう側に道が続いていたりする。恐る恐る足を踏み入れ、失礼します、と言いながらその前を通る。街灯も、昔祖母の家の周囲にあったような細く小さな街灯ばかり。昔は栄えていたのかもしれない商店会(商店街ではない)には、これは商売しているのだろうかと不思議になるような梅干屋があったりする。幾つもの瓶の中に詰めこまれた梅干は、もう半ば溶けているのではないだろうかと思うような代物で、これは一体どうやって食べるのだろうとどぎまぎしてしまう。八百屋の前を通りながら店をちらちらと眺めると、奥の丸椅子に座って煙草をゆっくりとふかすおじいさんの姿。店の中に立つ二人の老婦人は、買い物に来たというよりもおしゃべりに来たという雰囲気。その先には、もう何年も前に店じまいしたのだろう豆腐屋の看板。とうふのふの字の点が欠けている。
 坂を上り坂を下り。私はあちこちを歩き回る。その最中も春一番は吹き荒れて、後ろに束ねた私の髪の毛にじゃれつく。ふと見ると日向ぼっこをしている老犬。私がしゃがみこんで少し離れたところから声を掛けると、ゆっくりとした動作で首をこちらに向けてくれる。しかし、今僕は眠いのですよ、という表情を浮かべ、よたりよたりとすぐにまた元の位置に戻ってゆく。
 どうもここは谷底らしいというようなところにいつのまにか辿り着く。瓦葺の屋根の上に黒猫一匹。瓦の上、大きく欠伸をしてごろんと横になる。その家より少し先に砂利道があるのを見つけ、私はそこに入ってみる。すると、一体廃墟となってどのくらい経つのだろうと思えるような一階屋の姿。
 恐る恐る私は足を進める。玄関だったのだろう引き戸も縁側ももうぼろぼろ。扉はどれもこれも破れている。破れた穴の向こうにはこれもまた破れた障子が四つ五つ重ねられ放置されている。周囲を見まわして、私はこっそり玄関だったのだろう場所から部屋の中に入ってみる。ふっと色味の気配がして左を向くと、押入れの隣の壁に大きなポスター。これは松田聖子のデビュー当時の顔じゃぁなかろうかと、色あせたそのポスターを眺める。そのポスターの下に放られた埃だらけのコミック一冊。そして、かつて水場だったのだろう一角の天井からは、蔦が幾筋も垂れ下がって、電球はない。私が足を動かすたびにみしっみしっと音を立てる床。雑草が床のあちこちから生えて、好き勝手な姿を晒している。その時ふっと背後に気配を感じ振り向くと、三毛猫がじっとこちらを見ていた。その猫の目に促されるようにして、私は廃墟から外に出る。もう一度廃墟を振り返る。廃墟はただ黙ってそこに在る。
 私は再び歩き始める。程なくして、やけに新しいマンションの群れに行き当たる。その手前に申し訳程度に作られた公園のベンチに腰を下ろし、私は煙草に火をつける。
 私の目の奥で交差する映像。この真新しい白い壁とつい今しがた見てきた崩れ果てた家屋の姿。あまりにも違い過ぎるその光景。それらがいっしょくたになっているこの町。地図には一体どんなふうに描かれているのだろう。
 私はそれが何処かも分からないまま、再び歩き出す。気がつくと見覚えのある路地。どうもいつのまにか戻って来ていたらしい。後ろを振りかえると、幾重にも重なるように立ち並ぶ家屋の群れ。私は多分またここに来るだろう。そんなことを思いながら家路を急ぐ。

 23日、今日は娘の誕生日。わざわざ祝いに来てくれたMと三人で軽い夕飯の後にケーキを囲みハッピィバースディの歌を歌い始める。そこにピンポーンと呼び鈴が鳴る。出てみると、大きな荷物を二つ抱えた配達のおじさん。びっくりしながら受け取ると、それらは全部娘宛。今娘はMからのプレゼントを開けている最中だから、こちらはまだ隠しておくことにする。
 Mが帰っていった後、二つのプレゼントを見せると、娘の目はいっそう輝く。嬉しいな、嬉しいな、でもどうしてみんなプレゼントくれるの? うーん、どうしてだろう、みんな最初はママのお友達だったけど、今はもうみうのお友達でもあるからじゃないの? そっかぁ、嬉しいなぁ、嬉しいなぁ。丸いほっぺたを桃色に染めて、娘はプレゼントを抱きかかえる。母である私が買えないようなかわいい品々が畳の上に並ぶ。大事に遊ぼうね。ちゃんと片付けるんだよ。うん、分かってる、ちゃんと片付ける。約束だよ。うん、約束。娘の小さな小指と私の大きな小指とを結びつけて、約束を交わす。
 そうやって届いたプレゼントたちに胸がいっぱいになったのだろう娘は、楽しい気持ちを抱えたまま眠り始める。眠る直前、私は彼女に言う。
 ねぇみう、お友達ってね、とっても大切なものなのよ。こうやって今日プレゼントが届いたのだって、お友達だからでしょう? みう、お友達いっぱい作りなさい、お友達を大事にするのよ。
 彼女の脳裏にその言葉がどうやって刻まれるのか私にはわからないけれども、でもこのことは、折々に彼女に伝えていきたいと私が思っていることのひとつだ。私はこれでもかってほど実感している。この私の十年を支えてくれたのは、間違いなく私の友人たちだ。彼らがいなかったら、私は今ここに存在していない。
 寝息を立て始めた娘の隣で、こっそり呟く。ねぇみう、今あなたがここで生きているのだって、もしかしたら友人たちのおかげかもしれないのよ。彼らがいなかったら、私は今ここにいないだろうし、あなたもきっと今ここにはいない。
 だからね。自分が心を通わせられる友達を作りなさい。そして大切にしなさい。これから歳を重ねていくほどに、きっと友達の存在は大きくなるだろうから。ね。

 気づいたら時計はもう真夜中をとうに過ぎている。開け放した窓の外はやけに静かだ。昼間あれほど吹き荒れていた風は一体何処に消えたのだろう。今耳を澄ましても、風の音はこれっぽっちも聞こえてはこない。
 ベランダに出て、空を見上げる。真ん丸い月が、まっすぐ空に浮かんでいる。高く高く。
 ありがとう。
 私は心の中で呟く。


遠藤みちる HOMEMAIL

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