見つめる日々

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2005年02月24日(木) 
 窓の外で雄鶏の鳴き声が今夜も聞こえ始める。いい加減に横にならないと。そう思い、窓を閉め椅子から立ち上がる。娘の横にそっと滑り込む。そっと滑り込んだつもりだったのに、娘がぐるんと寝返りを打つ。半分だけぼんやりと開いた目をこちらにむけて、にぃっと笑う。「ママ、起きててね、みうが寝るまで起きててね」。それだけ言って、またすぅっと眠りに戻ってゆく。寝息のリズムで、娘が確かに眠りに落ちたことを確かめて、私はようやくほっとする。少しだけでも眠ろう。そう思って瞼を閉じる。
 おはよう。声をかけながら娘を揺り起こす。すると、ぴょんと飛び起きて、何かを探し始める。「あ、あった!」。そう言って娘が抱えたのは、昨日贈られたプレゼントたち。私は思わず苦笑してしまう。「なくなっちゃってたらどうしようって思ったの。ちゃんとあったよ、ママ」「よかったねえ」「うん」。
 そして朝の仕度をあれこれ片付けてゆく。その最中に、娘が突然思ってもみないことを口にした。「ねぇママ、このおうちにもう一人誰かいればいいのにね、男の人が」。あまりに突然の言葉だった。私は驚いて、どう返答していいのか一瞬迷う。迷った末、苦し紛れに言ってみる。「どうしてそう思うの?」「その方が楽しいと思う」「うーん、でも、楽しいことばっかりとは限らないよ、その男の人が怒ったりしたらどうするの?」「でもねぇ、ママ、かんぱーいとかおめでとうとか、二人でやるより三人の方が楽しいよ」「…そうだねぇ、うーん」「男の人、誰かここで一緒にいたらいいのになぁ」「…」。これ以上、彼女に何か言葉をかけることは、躊躇われた。下手な言葉をかけたって、彼女のそういった思いは消えないだろう。そう思ったら、私の口は自然に閉じた。しばらく間を置いて彼女に再び声をかける。「ごはん、できたよ」。

 家に戻りあれやこれや家事をこなす。ガスコンロの掃除もしてみる。押入れの中を片付けてみる。でも、朝、娘が呟いていた言葉が、私の頭から離れてくれない。娘がそんなことを思っていたということをまざまざと知った私の心の中は、ざわざわと波立っている。これが片親の持つ憂鬱なのだろうか、ひとり親だったら誰でも一度は通るだろう場所なのだろうか。そんなことをあれこれ思い巡らせて気持ちを切り替えようと思うのだけれども、何をしてもどうしても朝の彼女の言葉に戻ってきてしまう。誰かもう一人、男の人がこのおうちにいてくれたらいいのにね。彼女の中からその言葉は、自然に零れ落ちたように感じられた。だから余計に、私は引っかかっているのだろう。
 でもじゃぁ、一体何ができるだろう。
 何も、できることはないのだ。
 本当に何もないのか? たとえば私が好きな人を見つけるとか、パパになってくれそうな人を見つけるとか? 或いは、みうを大切にしてくれるだろう人を探し出すとか?
 違う。そんなのは問題をすりかえているだけだ。そもそも私が好きになるかもしれない人と娘が望む人とは当然違うだろう。かといって、娘が望むだろう人を私が確実に愛することができるかといったらそれもまた違う。そんなふうな考え方、選択は、どうにも間違っている。
 娘がこれでもかというほど満足できるように私が精一杯彼女を愛すればいい? 今だって私は精一杯やってる。もちろんそれは彼女を満足させていないかもしれない。でも、私がいくら頑張ってみたって、パパという像の欠落を、パパではない私が埋められるものじゃぁない。
 そうやってあれこれ考えているうちに、私は苦笑してしまった。
 一体私は何をあれこれ悩んでいるのだろう。これっぽっちのことで動揺してあれこれ悩んで、一体そこから何が生まれ何が解決するというのか。私にできることは、彼女のそういう思いを受け止めること、そして、精一杯愛すること、それに尽きる。それ以上でもそれ以下でもない。彼女がこれから何度そういった言葉を口にしたとしても、二度と揺るがないほどに強く在りたい。強固な大地を自分の足元にしかと作りたい。
 自分が置かれている状況に100パーセント満足する人間なんて、殆どいないだろう。何かしら小さな不満を誰もが抱いているに違いない。でも、その状況を受け容れ、そういった現実を受け容れ、自分がその中でどうやって生きてゆくか、そして一歩でも自分の望む高みへ近づいてゆけるか、そうやって一歩一歩歩いて生きてゆく。

 いつの間にか日は西に傾き始めている。空を見上げながらも私は手を動かし続ける。とにかくひとつひとつこなしてゆくことだ。ひとっとびに高みへ飛びあがることなんてできないのだから。こうあるといいな、あああるといいな、そう思うのならば、一歩でもそこに近づくために、自分の目の前にある障害物を、ひとつひとつ自分の手で片付けてゆくことだ。それに、変にひとつのことにこだわり過ぎて、世界の全体を眺めることを忘れてはいけない。こうやって深呼吸しながらぐるりと街景を見回せば、それだけで心の中に生じたしこりは小さくなるものだ。見回した街景がたとえ、薄い灰色にくぐもっていて、大通りからは排気ガスが漂ってきそうな場所だったとしても、この街全体の中で、私が住むこの部屋の窓はきっと、小さなかけら一つ分くらいだろう。そこで暮らす私なんて、もしかしたら米粒ほどかもしれない。そしてそんな私の中に生じたしこりは、多分、針の先ほどに過ぎない。
 昨日歩いた道々を心の中に思い浮かべてみる。知らない道を私は右へ左へ歩いていた。道とは思えないような場所をくぐりぬけたりもした。それでもちゃんと、私は家に戻って来れた。
 大丈夫。これっぽっちのこと、どうってことはない。今度娘が似通ったことを言ったなら、かかかと笑って受け流せるくらいになっていよう。そうだね、誰かいい人いないかなぁ、なんて言いながら。


遠藤みちる HOMEMAIL

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