2005年03月20日(日) |
見覚えのある後姿。私はこの人を知っている。そう思った瞬間、逃げろ、という言葉が脳裏で点滅する。逃げろ、逃げろ。点滅はどんどんと速度を速め、私の心臓はばくばくと音を立てる。ここは何処なんだろう、列車の中? それとも建物の中? 分からない。分からないけれど、逃げなきゃいけない。私は足を動かして椅子から立ち上がり、全速力で逃げ出そうと試みるのだけれども、足がびくとも動かない。動かさねば、一歩でもいい、動かなくては、そう思うのに、全く動かない。まるで地面に足の先が溶けてくっついてしまったかのよう。せめて目を逸らさなくては、そう思う。そう思うのに、私の目はその後姿にはりついて動こうとしない。後姿の、肩の辺りがゆっくりと動き出す。あぁこの人は今振り向こうとしている、だめだ、見てはだめだ、目を逸らさなくては、ここから逃げなければ。私の内奥で、誰かが必死に私に呼びかけている。逃げて、ほら、早く逃げて! その人が振り向く前にここから逃げて! まるで銅像か何かになってしまったかのよう、私の体はもう、ぴくりとも動かない。そして目の前で、後姿がくるりとこちらを向く。ゆっくりと、ゆっくり、と。 絶叫しかけて、私は目を覚ます。全身が強張っている。心臓だけがばくばくと音をたて、私は唇が震えているのを感じる。それが夢だとわかるまで、しばらく時間がかかった。夢だということを認識してからも、私の中心は痺れ、まっすぐに立ちあがることは、とても難しかった。 あぁ、知っているどころじゃない、あの後姿は、あの後姿はあの加害者のものだ。私はふらつく体を必死に腕で支え、激しい眩暈が去るのをじっと待つ。夢はあまりに鮮明に、私の中に刻まれて、目を覚ましてもそれは、まるで今目の前にあるかのように鮮やかに蘇る。その映像から目を逸らしたくて、私は瞼を閉じる。けれど、余計に像が鮮やかになるばかり。 ベランダに出る。夜明け近くに眠って、まだ一時間と少ししか経っていない。けれど、外はもうすっかり明るくて、街は輪郭を取り戻していた。夜の間闇にまぎれて見えなかったものたちが、今、陽光を浴びてくっきりと浮かび上がる。何が見たいわけでもなく、また、何を見るでもなく、私はぼんやりとベランダに立つ。ベランダの手すりに手を乗せると、冷え切った手すりが私の掌をべろんと舐める。私はただ、ぼんやりと立つ。 何となく足元を見やると、そこにはアネモネのプランター。一昨日よりも昨日よりも、ずっとたくさんの蕾が頭を持ち上げている。白と藍。適当に交じり合って風に揺れる。花びらの色がはっきりするにつれて、蕾は楕円に膨らんでゆく。如雨露から水をやると、蕾の上で、葉の上で、ぽろんぽろんと水粒が転がる。プランターの底から水が零れだし、やがてそれは川のように集まって、ベランダの端の排水口へと流れ落ちてゆく。音もなく。私はその流れゆく様を、ぼんやりと、見ている。 ふと思う。加害者は夢を見るのだろうか。あの事件にまつわる夢を見るのだろうか。もし見るとしたら一体どんな夢だというのだろう。いややっぱり、そんな夢、加害者は見ないで済むのだろうか。じゃぁどうして、被害者ばかりが繰り返し、あの事件を記憶から引っ張り出さざるを得ないような夢を見るのだろう。 その間にも、太陽は少しずつ真上へとのぼり、私の髪は、風に煽られてゆく。 止めよう。いくら考えても答えは出ない。私が求めているような答えは、決してそこには存在しない。考えるほどにきっと、しんどくなるだけだ。 私は、如雨露にもう一度水を汲み、薔薇やミヤマホタルカヅラにも水をやる。やがてベランダには大きな川ができ、水は絶え間なく流れ落ちてゆく。
あれだけ心配した娘の熱は、ぐんと下がり、顔色も熱に浮かされた赤い顔からいつもの肌色へ戻り出す。お握りが食べたいと言うのでゆかりを混ぜてお握りを二つ作る。食べたい気持ちはあるものの、いっぺんには食べられないようで、何度かに分けて彼女はお握りを口にする。 ねぇママ、いい天気だよ。そうだね、気持ちいいね。公園行かないの? 今日はやめようよ、お熱でたばっかりだもん。うん、分かった。できれば横になってて欲しいんだけど、今日は。えー、みうはぬりえやりたい。ぬりえ? うーん、じゃぁちょっとだけね。あのね、ママ、次はお店屋さんごっこしたい。ママ、パズルもやりたい。ママ、テレビ見たい。少し熱が引いて楽になったのか、彼女の何々したいは延々と続く。私はそれに全部付き合う。時々眩暈に襲われ、私は何度か体を立て直す。 ママ。彼女が突然真顔になって私に尋ねる。なぁに? ママもみうが大きくなったら死んじゃうの? うん、いつかね。でもみう、ママに死んでほしくないの。うん、ママもね、みうが先に死んじゃったらやだ。じゃぁ、みうが大きくならなければママは死なないの? ははははは。なるほど、そうきたか。みうね、ママが死んじゃったりしたら、ひとりぼっちになるのよ。ひとりぼっちじゃぁないよ、ママは死んだっていつでもみうのそばにいるし、その頃にはみうも結婚してるかもしれないよ、素敵な人と。ママ、死んだらどうなるの? 天国っていうのがあるらしいよ。じゃぁママは天国にいくの? うーん、ママは多分、天国にはいかないで、みうのそばでうろうろしてるよ。だから、みうが心の中でママって呼べば、いつでもママはそこにいるのよ。ふぅん、そうなんだ。じゃ、死んでも悲しくないの? そうね、みうの心の中にはいつだってママがいるからね、悲しくないかもしれないよ。ふぅん。じゃぁママが死んでもみうとママは仲良し? そう、仲良し。 大叔母の葬儀に行ってからというもの、時折こうした会話が為される。みうに比べたらずいぶん人の死に慣れているはずの自分でも具合が悪くなったりするのだから、彼女の中ではきっと、死というものが大型台風のようになって荒れ狂っているのではなかろうか。もちろんそれは、四六時中そうであるというのではなく、ふとしたときに、彼女が死というものを思い出し、それを受け容れるために彼女なりにいろんな方法で取り組んでいる、そんな気がする。 どういうふうにそれが落ち着いて、着地するのか。私はそばで、じっと見つめていたい。
夜。もう微熱程度にまで熱が引いた娘の寝息は、昨日とは比べものにならないほど落ち着いて、ひゅるひゅる鳴っていた喉も今夜は静かだ。私は窓を開け、いつもの椅子に座っている。窓から忍び込んで来る風は少し冷たく、私は娘が貸してくれた膝掛けをして、ぼんやりと煙草を吸う。さっきから迷っている。娘も眠ったことだし私も久しぶりに早く横になろうか、そう思うのだけれども、眠りたくないという気持ちも同じくらいあって。私は煙草を吸っている。 あんな夢を見るくらいなら、眠らない方がいい。今夜もまたあんな夢を見るくらいなら、このままこうしてぼうっと闇を眺めていたい。私の中で、そういった思いが交錯する。そしてふと思う。幸せな夢って、どんな夢だろう。見たくなるような夢ってあるんだろうか。そう思って、私は苦笑する。想像できないからだ、幸せな夢、というものが。 煙草の煙は、広がる闇にこくんこくんと吸い込まれてゆく。風はまた冷たさを増す。私はまだ、椅子から立ち上がれないでいる。 |
|