見つめる日々

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2005年03月25日(金) 
 相変わらず込み合う電車の中。乗り合う人々にはまだ冬の装いが残っている。これが冬だからまだいい。夏、直接肌と肌が触れ合うようになってしまうと、私はこんな込み合う電車の中では立ち続けていることができなくなる。どう身を縮ませて乗り込んでみても、電車が揺れるたびに誰かの肌が自分の身体に触れる。しかも、電車は一度駅を出てしまったら逃げ場がない。次の駅に着くまでひたすら辛抱しなければならない。その際にぺたっと誰かの肌が私に直接触れてしまうと、私はもうそれだけで、金縛りにあったような状態に陥る。必死の思いで次の駅まで自分を保ったとしても、駅に降りたらそのままトイレへ直行。こみ上げる吐き気に任せて、しばらくトイレに篭っていなければならなくなったりする。それでも、ずいぶん以前よりはましになったと思う。トイレに駆け込まなければならない回数が、僅かずつとはいえど、減っている。こうやって慣れていけたらいい。
 昔はこんなではなかった。中学生以降、片道二時間通学だった。人が乗れないほど込み合う電車の中で立ち続けていることは、難しいことなどではなかった。確かに、直接誰かの肌に触れれば、それはあまり気持ちのいいものではなかったけれども、それでも、吐くようなことはあり得なかった。
 それもこれも、PTSDを抱え込んでからの症状だ。いったん抱え込んでしまったこの症状を克服するのに、あとどのくらいかかるのだろう。一度失ってしまったものは、なかなか元には戻らない。割れた鏡だって、いくら欠片が全部揃っていても、元のまっさらな状態には戻れないように。一度壊れたものをいくら復元してみても、それはやはり、壊れたという過程を経て再度組み立てられたものでしか、ない。
 ようやく辿り着いた駅。降りて改札をくぐり、階段を上がれば、そこに花屋がある。この花屋の存在は、私にとってとても大きい。花が在る。たとえそれが根を切り落とされた代物であっても、そこに花が在るというそのことが、私を助けてくれる。買うわけでもないのに花屋の前に立って、しばらく花を眺めて過ごす。スイートピーの桃色、トルコキキョウの白と紫、ガーベラの橙色。私の目の中でゆっくりそれらの色が溶けてゆく。そして私はようやく、深呼吸をする。
 道々、何度も立ち止まり呼吸を整えて、また歩き出す。その繰り返し。調子のいいときはどうってことのない道程でも、体調が悪いと、一体何処まで歩けば着くのだろうと途方に暮れる。強い風が私の髪の毛を煽る。下ろしていた髪の毛を一つに結わき、私はてくてくと歩き続ける。ビルの影から抜け出て日溜りに出ると、途端に体があたたまる。日向と日陰のこの温度差。空を見上げてみる。立ち並ぶ背の高いビルに囲まれて、見上げる空は小さく切り取られているかのように見える。薄く雲が立ち込めているのか、それとも空気が濁っているのか分からない。私は眩しくて再び下を向く。
 ようやくの帰り道、空いた隅っこの席に座る。電車は小さく揺れながら走り続ける。もう少し行くと川を渡る。その川の姿を捉えられるように、私は体を少し捻る。かつて住んでいた街。通い慣れた駅を列車は素通りしてゆく。そして川が現れる。
 水量が少ないと川の端のあちこちに泥の山が現れる。一時期より水質が良くなったというようなニュースをテレビで見たけれども、あまり変わっていないようにしか見えない。今はまだ川の両岸は薄茶色だけれども、季節になれば緑で敷き詰められる。コンクリートの間から生えて来る蒲公英、泥山に立つように揺れる薄、そういえば一度、まだよちよち歩きだった娘とここへ来て、クローバーの腕輪を作った記憶がある。花が少なかったから、殆ど葉っぱで作った。娘はその腕輪をはめて走りだし、そしてあの辺りで転んだのだった。
 私があれこれ思い出している間に、電車はあっという間に川を渡り、次の駅へと向かっている。体の向きを元に戻し、私は鞄から本を出しかける。出しかけて、戻す。本を読みたいという気持ちはあるのだけれども、今活字を追う気持ちになれない。私は眺めるでもなく窓の外をぼんやりと見やる。窓の外、次々流れ去ってゆく景色。こんなふうに、全ての記憶が後ろに流れ去ってしまえばいいのに。そんなことを、ふと、思う。
 いつものように自転車を漕ぐ気力が足りなくて、私は歩いて娘を迎えにゆく。娘と手を繋ぎ、坂を上り、坂を下り。ちょっとママ具合が悪いの、と言った私に、彼女はあれこれ世話を焼いてくれる。ママ、お荷物持ってあげようか。ママ、みうが引っ張ってあげようか。じゃぁママ、みうがお歌を歌ってあげる。
 食事の折も、いただきますと一緒に言ったものの、物を食べることができないでいる私に、娘が言う。ママ、ママの分みうが食べてあげるからね、だから残していいよ、苺だけ食べれば? そして彼女は、私の前にあった皿を自分の方に引き寄せ、必死に全部食べようとする。みう、そんなに食べたらおなかがぱんぱんになってはちきれちゃうから、それは残していいよ。ううん、食べる。いいよいいよ、じゃぁみう、その残ったのでお握りを作っておこう、そしたら明日の朝食べられるでしょ? うん、じゃぁお握りにしよう。ラップでご飯を包み、適当に握って作るお握り。娘が空いた皿にそれを載せてくれる。テーブルの真中にちょっと大きなお握り一つ。もうすっかり冷めたご飯なのに、何となくあったかそうに見える。
 娘が眠る前、せめて歌だけでもいつものように枕元で歌おうと思ったのだけれども、みうがすかさず言う。ママ、今日はみうがお歌を歌ってあげるから。そうして彼女が歌い出したのは、やっぱり「花」と「大きな古時計」。そして今日はもう一つ、「砂山」が加わった。海は荒海、向こうは佐渡よ、すずめ鳴け鳴け もう日は暮れる、みんな呼べ呼べ、お星様出たぞ。懐かしい歌。
 娘が眠った後、私はいつものように椅子に座る。そして、「砂山」の歌詞をひらがなですべて書き記してみる。これでもう大丈夫だろう。明日娘に渡そう。そうすれば、言葉に詰まったときもすぐにこれを見て辿ることができる。まだ譜面の読めない彼女は、すべてを耳で覚えてゆく。もちろん、覚えたといっても、すぐにあちこち旋律が崩れてしまうのだけれども。
 私はこれらの歌が示すような、日本語で記された昔の歌がとても好きだ。日本語独特のやわらかさ、しなやかさが歌のあちこちに漂っていて、声に出して歌うのはもちろん、ただ目で歌詞を追うだけであっても心地いい。いつか、これらの歌が似合わなくなるような未来がやってきて、これらの歌を授業や何かで教わっても、もうその景色や匂いなどこれっぽっちも思い出せなくなるときがくるのかもしれない。今だって、たとえば戦争にいった父親を母と二人で待つ歌「里の秋」などを自分が歌うと、実感としては分からない。分からないけれども、歌詞の中に映像があって、私はそれを辿る。でも、そんな映像は、自分の中で重なる何かがあるから思い描けるのであって、そうでなければ、歌詞はきっと人の心を素通りしていってしまうのだろう。そう思うと、少し寂しい。娘にとってどうなんだろうか。まだ意味を知らずに、歌うことが楽しくて歌っているだけのこともあるだろうが、できるなら、彼女の中にも、何らかの方法で映像を残してゆくことができたならと思う。
 窓から滑り込む風が、昨日より冷たく感じられる。じんわりと染みてくるような冷たさ。私は構わずベランダに出て空を見上げる。白く輝く丸い月。そして数えるほどだけれども闇の中瞬く小さな小さな星屑。吐く息がまだ、僅かに白い。この白さももうじき、溶けて消えてゆく。ベランダの手すりに手を置くと、冷たさがまっすぐに伝わってくる。私はさらに強く握り締めてみる。今のうちに名残惜しんでおこう。冬はもうじき、遠くへいってしまうのだから。


遠藤みちる HOMEMAIL

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