2005年04月16日(土) |
明るい日差しが母の庭に降り注ぐ。母の庭、そこには秩序というものが存在しない。言い方を変えると、きれいに整えられた庭ではない、むしろ、好き勝手に植物が生えている、そんな、草木が在りたいように在る、ただそれだけの庭だ。確かに母は種をまく。苗を植える。挿し木する。接木もする。けれど、そこには母の意志よりも植物たちの意志の方が大きく働いている。母は言ってみれば、庭にとって草木の代弁者のような、そんな存在に過ぎない。草木の声に耳を澄まし、彼らが一番愛らしく、同時に一番伸び伸びと生きられるように配し、水をやり、愛で撫でる、それが母の役目だ。 今、そんな母の庭は、花韮があらゆる場所で花を揺らしている。それは、どうしてこうも増えたのかと呆れ笑ってしまうほどだ。花韮の前は水仙だった。母に、よくもまぁこんなにもたくさん庭のあちこちに水仙を植えたものだね、と言ったところ、私が植えたのはほんの一握りよ、あとは水仙が勝手に増えたの、と事も無げに返事が返って来た。おかげでその時期は、庭は黄色い絨毯をひいたのではないかと思うほどの花に埋もれていた。でも、水仙の季節に咲く花はそう多いわけじゃない。むしろ、枯草色の方が庭の大部分を占めるのがたいていだ。そんななか、母の庭だけが黄金色に輝いている。しかも、整理整頓されているわけでなく、水仙が好き勝手に増えて庭のあちこちで揺れているわけだから、その姿は実に自然なのだ。道ゆく人がみな、それを眺めて口元を緩める。そして、庭の中、しゃがみこんで萎れた花殻を摘んで歩く母の姿は、すっかり黄色の中に埋もれている。 今、アネモネやテッセン、つつじに桜草、チューリップにエリカ、その他私の頭では覚えきれないほどのたくさんの花々が母の庭で咲き誇っている。みんな自由自在に増えてゆくから、場所と場所で交じり合い絡み合いながら、空に手を伸ばしている。一日だって庭から離れられないのよと嘆く母の声は、嘆きながら同時にとても誇らしげに聞こえる。母の愛情をいっしんに受けて、それを肥しにして咲き誇る花々。庭というのはこういうものなのかもしれないと、母の庭を眺めているとつくづく思う。決して美しいわけではない、けれど、いつまでも眺めていたくなるような、そんな庭。 水場の近くに紫陽花の株が幾つもあるのだが、その紫陽花のうちの、より日当たりのいい場所に陣取っている株の新芽に触れて驚いた。もう蕾がそこに隠れているのだ。私はあっちこっちの新芽をそっとめくってみる。ここにも、そこにも、あそこにも。産まれたての赤ん坊の爪のような、小さい小さい塊が、やわらかい新芽に包まれてこっそりそこに在る。紫陽花が咲く季節はまだまだ先だろうに。なんて気が早いのだろう。私は思わず笑ってしまう。彼らに、そんなに急いで何処に行くの、と、尋ねてみたくなってしまう。 娘が産まれてから、再び交じり合うようになった母と私。まだ私や弟が実家で暮らしていた頃も多少なり感じてはいたけれども、この頃とても強く感じるものがある。あぁ母は言葉を使うことがとても不器用で、だから私たちは必要以上にぶつかり合って来たのだな、と。もちろん母に似て私も言葉の使い方が不器用だ。要らぬ言葉をぽんぽん言ってしまったりする。でも、今こうやって母の庭を眺めていると、母という人が実は、どれほど愛情深い人であるのかを、まざまざと知らされる気がするのだ。 言葉がなければ私たちは伝えきれないものをお互いに持ってしまっている。それは人間の性の一つだろう。でも同時に、言葉が在ってしまうからこそすれ違ってしまう、そういう部分もまた、存在する。今、お互いに適度な距離を持って、誤解しかねない言葉は聞いたそばからそれぞれに受け流す術を覚えて、私たちは多分、心の距離が縮まった。そして、余計な言葉を交わさない分、母は私が育てている孫を、私は母が育てているこの庭を眺め、おたがいを認め合う。 私が裏庭から通りに面した庭の方へ歩いてゆくと、娘が嬉々として走って来る。見ると、色とりどりの花束を片手に握り締めている。どうしたの、と聞くと、今ね、ばぁばと花束作ってるの、と弾んだ声が返って来る。それだけ言って私の娘は母の元へと飛んでゆく。ばぁば、今度はこのお花がいい。どれどれ、あぁこれはねぇ植えたばっかりのお花だから他のがいいなぁ。じゃぁこっち。いいわよ。そして母は花に鋏を入れる。ねぇばぁば、ピンクはいっぱい摘んだから、今度は黄色のお花がいい、あと白いのも。白いのはいっぱいあるから未海が好きなの取っていいわよ。じゃぁ黄色いのは? 黄色いのはねぇ、じゃぁこれは? うん、これにする。そうやっていつまでも庭の中をぐるぐる回っている二人。あっというまに娘の手ではもちきれないほどの花束になり。 その花の半分が、今、うちのテーブルの上に飾られている。ばぁば、これ、半分ずっこしようね。いいよぉ、じゃぁ未海の分はどっち? こっち! じゃぁばぁばのおうちにはこっちの半分を飾るね。うん、未海はね、こっちの半分ね。昼間、母と娘とが為していた会話が、そのまま私の脳裏に蘇る。ばぁば、お花はかわいがってあげないといけないんだよね。そうね、かわいいかわいいってしてると、お花はどんどんきれいになるのよ。未海ね、ママの薔薇の樹もね、かわいいかわいいってしてるんだよ。じゃぁきっといっぱいお花が咲くね。うん、そしたらばぁばに持って来てあげるね。 それは、日差し明るい春の日の、とある午後の風景。 |
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