見つめる日々

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2005年04月19日(火) 
 朝。穏やかな風が開け放した窓から滑り込んで来る。私は、明るい外景に誘われて窓辺に立つ。そうして空を見上げると、今私を撫でた風だけでなく空も雲も光も、みな穏やかであることを知る。
 いつものように娘を自転車の後ろに乗せて坂をのぼっていると、娘が突然言い出す。ママ、降りる。え? なんで? 白いポンポンが欲しいの。白いポンポン? 何それ? いいから、降りるから降りるっ。仕方なく私は自転車を止める。すると娘は、今通り過ぎようとしていた小さな空き地に群生する蒲公英に手を伸ばす。この白いポンポンが欲しいの。白いポンポン、それは、蒲公英の綿毛のことだった。
 二本、三本、四本。結局五本の綿毛を手に彼女は戻って来る。これ、とっておくんだ。え? とっておくの? うんっ。いや、でも、それは無理なんじゃない? どうして? 未海はこれが欲しいんだもん。いや、でも、多分無理だと思う。と、私が言っているそばから、風がひらりと吹いてくる。あ! ね、ほら、風に乗って綿毛は遠くへ飛んでゆくのよ。いやっ。いやって言っても…。あぁあ、壊れちゃった、ポンポン、壊れちゃった。娘はそう言って、半べそをかいている。娘よ、気持ちはとてもよく分かるが、それが自然なのだよ。そう言って彼女を慰めたくなったけれど、やめておく。
 家に戻り、光がさんさんと降り注ぐベランダに出る。そして、昨夕から気になっていたミニバラのプランターの前にしゃがみこむ。何が気になっていたかといえば、うどんこ病。白と朱赤のミニバラが、すっかりうどんこ病にやられてしまったのだ。しばらくじっとプランターの前に佇んでいたが、見つめていたからとて病葉は治ってはくれない。私は植木鋏とバケツを取りにゆく。
 ぱちっ。鋏の音と共に、枝葉が落ちる。私はそれをそっとバケツに入れる。ぱちっ、ばちっ、ばちっ。次々に病葉を切り落としてゆく。新芽ばかりが病気にやられているから、本当は鋏など入れたくはない。躊躇う心をぎゅっと握り返しながら、私は鋏を入れ続ける。
 バケツが半分ほど、切り落とした病葉で埋まる。なんてもったいないことを。思わず口を突いて出る言葉。私は今度は、バケツの中の病葉をじっと見つめる。
 ふと、心の中にあの樹の姿が浮かんで来る。病に冒され、次々に枝を切り落とされていったあの大樹。布をぐるぐると巻かれていた頃もあった。結局、空にあれほど大きく伸びていた枝の全てを切り落とされた大樹は、あの威厳を湛えて大地に立っていた姿を跡形もなく失い、残ったのは、太い幹と、その幹を破って出てきた若枝葉だけになった。それでも彼は、生きている。どんな姿になろうと生き抜いている。
 今、さんざん鋏を入れられたミニバラの樹たちは、芽吹かせた若葉の大半を失い、風通しが妙に良い隙間だらけの姿になった。みすぼらしいと言えばみすぼらしい。でも、これでもし病が治るのなら。
 最後に私は液薬を霧吹きで吹きつける。どうか治ってくれますように。あの大樹のように何処までも生き延びてくれますように。心の中に浮かぶのは、彼らを挿し木した頃のこと。白も朱赤も、どちらとも挿し木で増やした。友達がふとしたときにプレゼントしてくれた花束の中にあった花だった。あれからもう一体何年が過ぎただろう。これをプレゼントしてくれた友人たちとは今ではすっかり疎遠になった。多分もう二度と会うことはないんじゃあなかろうか。人の関係はそうやって変化し、私の手元に残ったのはこのミニバラの樹のみ。でもだから、余計にいとおしい。
 私は鋏を片付け、もう一方のベランダに出る。ミヤマホタルカヅラを振り返ると、この陽気に誘われて三つ目の花が咲き始めたところだった。澄み渡るこの藍。今もしここから見える景色をじっと覗き込んでみたとしても、これほどに澄んだ色合いはなかなか他には見つけられないだろうと思う。ミヤマホタルカヅラの花の前で私はしゃがみこみ、私はただじっと、花の色を見つめる。じっと。
 多分今週中に咲くのだろう蕾たちはぷっくらと膨らみ、薄紫色に色づいている。それにしても今年はなんてたくさんの花芽をつけてくれたんだろう。去年、ミヤマホタルカヅラはあまり花をつけなかった。私が挿し木で増やしたばかりだったからといえばそうなのだろうけれども、でも、私はこの花に会えなくて、とても寂しかった。一年待った今、彼らはこちらが驚くほどの花芽を湛え、戻ってきてくれた。そのことがこんなにも嬉しい。これからしばらく、彼らが私の心を満たしてくれるんだろう、そう思うと、なおさらにいとしさが募る。
 途中ふと思い立って、家の周囲をあちこち歩いてみる。私が見上げるのは桜の樹。あちこちに立つ桜の樹を見て回る。もうみな、花をすっかり落として、代わりに青々とした葉々を茂らせ始めている。その足で埋立地まで私は歩く。そして今度見上げるのは立ち並ぶ銀杏の樹。
 思わずうわぁと声が漏れる。なんて小さな掌だろう。自分の息を止め、じっと耳を澄ます。すると、夥しい数の掌が、ひゃあひゃあとおしゃべりを始める。みな一斉に笑っているみたいな声が、私の中で木霊する。手を伸ばし、ほんの少しだけ葉に触ってみる。ひんやりとした若葉の感触。ひゃぁひゃぁひゃぁ。私の小指の爪よりもずっと小さい葉々たち。今、風が吹いた。ひゃぁひゃぁひゃひゃひゃひゃひゃ。風が彼らをくすぐったのだろうか、若葉の笑い声が、鈴の音のように辺りに響き渡る。私はなんだか嬉しくなって、もし誰もいなかったら、スキップでもして帰りたくなる。もちろん、こっそりと、だけれども。
 そうやって、淡々と時間が過ぎてゆく。しなければならないことは山積みでも、したいことはそんなに多くはない。私は、したいことだけを選んで、ちょっと休んでは為し、為してはまた休む。空では太陽が歩み続け、いつのまにか西に傾き始める。陽光の色もそれに合わせて少しずつ変化をみせる。ガラス越しにさし込んで来る斜めの光が、畳の上に影模様を描く。私はその絵が一刻一刻変化する様を、見つめるでもなくぼんやりと眺め、そのたびに小さく深呼吸をする。
 ぱっくりと割れていた傷口がくっつき始めたからだろう、それがそのまま包帯にもくっついて、腕を動かすたびに奇妙な痛みが走る。それが面倒で私は病院で巻かれた包帯をひょいと解く。風に晒していればこんな傷口、いずれは乾く。微妙に膿んだ場所もいずれはくっつき、そして、乾くだろう。ふと思う、この目に今映る腕の傷口と、私が心に押し込んだ傷痕とは、重なるんだろうか。それとも、重ならないのだろうか。
 かつて、さんざん消去したくてたまらなかったこの肉体は、あれからもずっとこうして生き延びている。あの頃はあれほどに消去することを願っていたのに、今はどうだろう。私は、消去したくないし消去されたくもない。そう思っている、間違いなく。
 ざっくざっくと腕を切り刻むとき、痛みはない。皆無といっていいほどに存在しない。なのに、こうして傷となって時間を経ると、奇妙な痛みが沸いてくる。それは今のように傷が引き攣れる痛みだったり、何かに擦れて生じる痛みだったり。どちらにしても、この痛みは一体、何処から沸いてくるのだろう。でも、この痛みは多分、ありがたいものなのだと今更だけれども思う。でなければ、私はあっさりと次々に切り刻むのだろうから。そう、私はそんなに強くない。
 でも。
 そう、確かに、私は強くない。弱い。でも、この、生き延びようとする底力だけは多分、とてつもなく強い。
 自分の弱さを受け容れ、同時に自分の強さを信じ。淡々とこうして生きてゆく。それができれば、それさえできれば、多分、私は自分をまっとうできる。そんな気がする。
 今、窓からふわりと風が舞い込む。花瓶にさしたアネモネの花びらがひゆらりと落ち、床に散る。
 もうじき今日も終わってゆく。眠るときには、今日できなかったことを数え上げるのではなく、今日できたことを数えて、それが一つでも在ったことを笑んで眠れるといい。
 遠くで今、サイレンの音が木霊する。


遠藤みちる HOMEMAIL

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