2005年04月20日(水) |
娘の隣に潜り込んで毛布にくるまる。眠れないまま一時間を過ごし、私はもう面倒になって眠ることを諦めた。それじゃぁと思い本を手に取る。そして頁を捲る。でも。 最近心に余裕がなくて、本を読むのに酷い困難を感じる。文章をそのまま読み下すことができないからだ。たとえば、「私は空を仰いだ」という一文が本の中にあったとする。主語は「私は」、述語は「仰いだ」、そんなこと、多分小学生でも理解できるだろう。それができなくなるのだ。つまり「私は」という文字を読む、それが私の中で「わ」「た」「し」「は」に分解されてしまう。分解されたまま、戻らないのだ。頭の何処かで、これは「私は」なんだ、と知っている、知っているのだが、それを引っ張り出せない。「私は」はばらばらになって宙を舞う。だから私は、いっときも気を抜けなくなる。必死になって文字を追う。文字を追うのだが、それを言葉として認識するのに、酷く時間がかかり、その労力はたとえられないほどの量になる。そうして私は途方に暮れる。これが一時的なものだということは経験で分かっている。今は多分、心も頭も酷く疲れているのだ。だから、普通ならすっと理解できることが理解できなくなる。ただそれだけだ、そう分かっていても、溜息が出る。そういう自分であることを、受け容れなければならない、そのことが、悔しい。同時に、読みたいのに読むことができないという現実に、むずがゆさを感じずにはいられない。 そうして本と格闘しながら迎えた朝、幾つもの溜息を枕の周囲に散らばして、私は起き上がる。薄暗い部屋、カーテンを開ける。でも空も同じく薄暗い。雨がいつ降り出してもおかしくはない色合い。 多分今日は、お迎えは歩きになるだろうな、そう思いながら自転車を漕ぐ。すると娘が後ろから大きな声を上げる。「ママ、病院に行かなくちゃだめよっ」「え? 病院?」「そうだよ、お医者さんが言ってたでしょ」「あ、腕ね、そうそう、言ってた」「早く行きなさい」「…はい」。まったく、五歳の娘に諭されてどうするよと苦笑が漏れる。そういえばそうだ、もう一度来なさいといわれたのだった。でも、何となく面倒くさい。 結局病院に行くことなく、私は部屋に篭って時間を過ごす。別にこれといってやることがあったわけではない。でも時計は、淡々と時を刻む。 ふと窓から外を見やる。目の前の大通りに立ち並ぶ樹々を見てはっとする。いつのまにか降り出した雨に濡れた枝々は濃褐色になり、その色の合間合間に、若い萌黄色が揺れている。あぁ若葉だ、若葉が揺れている。ただそれだけのことなのだが、私は妙に嬉しくなる。ここから見下ろすと私の指先ほどの大きさの若葉。雨に濡れ、その色は余計に艶やかに私の目を射る。 腕がむず痒くて、私は包帯をまた解く。解いた包帯を手に取り、ぽいっとゴミ箱に投げ入れる。もういらない。傷口同士がくっつけば、あとは放っておけばいい。多少膿んでいようとそんなの、たいしたことじゃぁない。 包帯など、しない方がいいのだ。包帯なんてしていると、その包帯の端っこが洋服からはみ出してちらりと見える、それだけで、傷を意識してしまう。そうだ、切ったんだっけ、と思い出してしまう。思い出すたび、私はあの時暴発した自分を思い出す。そうすると、憂鬱になる。 こんな堂々巡りにはまっているよりも、さっさとゴミ箱に捨ててしまうのがいい。私は病院からもらった薬以外、包帯やらガーゼやらは全てぽいぽいと捨ててみる。 腕を撫でると、左の腕、盛り上がった傷口がぼこぼこと、撫でる私の指の腹に伝わる。切り刻んだ腕の部分が痒くて、がりがりと爪で引っかいてしまう。咄嗟に思い出す。「ママ、だめよ、かいちゃだめなのよ!」。娘の声だ。自然、私は苦笑する。数日前、約束したのだ、娘と。娘も今左腕に湿疹がでていて、それが眠る前になると痒くてたまらなくなるらしい。それを「かいちゃだめよ」と私が先に言ったのだ。そうしたら彼女が「じゃぁママもかいちゃだめよ」と言い返してきた。おお、なるほど、と思い、約束したのだ。お互いかかないことにしよう、と。もっとかきたくなる衝動を、娘の声で抑え込む。我慢、我慢。約束は約束だ。 そして思わず膝を叩く。やっぱりそうだ、包帯なんかしてるから、ここしばらく、私はやけに傷に拘ってしまっていたんだ。そうだそうだ、切り刻んだことなんて忘れてしまえ、どうせ妙に現実感薄い出来事なんだ、忘れてしまえ。傷がちょっと増えたくらいが何だ、どうってことない。 包帯もガーゼもゴミ箱に捨てた、それをちらっと横目で見て、私は片手でぐいっとゴミ箱の奥にそれを突っ込む。見ない見ない。もう全部忘れた。何もなかった。そうだ、何もなかった。 そう思ったら、笑えてきた。なんか暗いよな、最近、私、鬱々してるよな、そう思ったら、俄然やる気が出てきた。そうだ、あの本の続き、読もう。文がなかなか理解できないなら、文をそのまま自分の手で書いてみればいい。書けば少しは理解の足しになるかもしれない。私は、枕の横に置いたままだった本を開き、早速書き写し始める。 この本、「手のことば」の中には、様々な発見が潜んでいる。聾者の両親の元に産まれたのは健聴者だった、というその現実をただ淡々と記しただけの本なのだが、それがいかに残酷で、同時に何処にでもあり得る風景であるのかを、読む者にまざまざと伝えてくる。たとえば、健聴者の娘が両親の会話を聞く場面。両親は声で会話するのではない、手で会話する。その手の動きが見えなくなる闇の中では、会話を為すことができなくなる。娘がそれをどんなふうに見つめているかを淡々と記した箇所、これは多分、こういった環境ではごくごく当たり前の風景だ。確かに、明かりがなければ手話を交わすことはできない。でも、私はそれを読むまで、全く気づかずにいた。たったこれっぽっちのこと。多少想像力を巡らせれば恐らくは想像できるだろう出来事だというのに。そしてまた、娘が結婚をし両親の元を出ていった後の両親の様子を記した一場面、用事があっていつもより早く起きようと思い立ったけれども、その術がない、何故なら目覚し時計をセットしても、彼らにはそれを聞く力がないからだ。そして両親は自分の足元に目覚し時計をセットする。夜明け前、目覚し時計が鳴り出す。彼らに音は聞こえない。代わりに、鳴り出した時計の振動が、彼らの足に伝わり、その振動に驚いた彼らは、時を知り目を覚ます。------こんなこと、多分毎日繰り返される風景のたった一コマに過ぎないのだろう。けれど、健聴者である私には、思いつかないことだった。 私は誰のことも差別しないとか、私は他人の立場に立って物事を考えるよう努力してるだとか、そんなことを言うことはたやすい。けれど、人は一体何処まで、他人の立場にたち得るというのだろう。昔、思ったことを今また私は思い出す。人間は、何処までいっても本当には他人の立場に立つことなんてできやしない、不可能だ、ということ。 私たちは想像力を持って産まれてきた。けれどこの想像力だって、自分の経験値にそっているものなんじゃぁなかろうか。自分の経験体験から、人は想像するのだ。こうではないか、ああではないか、と。じゃぁその経験から外れている物事はどうなるか。想像することは、多分、できない。 だから、想像力をもってしても他人の立場に真に立ち得るということは不可能なのだ、と充分に思い知った上で、それでもなおかつ、自分の想像力を駆使する、それが多分、私たちにできることのひとつだ。そしてこの想像力は、自分の経験値が物を言う。それは、頭の中につめこまれた知識によって補いきれるものでは決してない。自分が自分の体をもってして思い知ったことこそが役に立つ。自分が実感し得たものこそが、役に立つ。 娘を迎えにゆく時間になるまでの間、私は結局、五頁も読み進むことができなかった。私の脳味噌は、まだ現実の時間についていけないでいるらしい。でも、それもまぁよし。そういうときも、ある。 ノートを閉じ、本を閉じ、私は家中の窓を閉めてまわる。最後玄関を閉めて、細かな雨の降り続く中を歩き出す。 この雨もじきに止む。そしてその後には太陽がさんさんと陽光を降り注ぐ日がやってくる。私はそれをただ信じて歩いてゆけばいい。 さぁ、この坂を下り横道に入れば保育園だ。数時間ぶりに娘に会える。 |
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